三
冬の真昼のうすい光が差し込む部屋に、ペンを走らせる音が響く。少し右上がりの癖のある文字でノートを埋めて、カルセはふーっと詰めていた息を吐き、大きく腕を反らした。
寮の自室には暖房器具がない。ラウンジに行けば暖炉が燃えているが、あそこに行くと寒さをしのいで勉強をしている下級生がたくさんいて、ついつい面倒を見てしまうのだ。おかげで自分の課題は結局、真っ白なまま持ち帰ってしまう。
寒さで強張った手を握ったり開いたりしながら、今日はなかなか捗ったな、と一人頷く。そうして吸った息を吐くように、歌を口ずさんだ。
机の片隅には、荷物の詰まった箱が口を開けたまま置かれている。今朝、母親からカルセに宛てて届けられたものだ。
全寮制を規則とするハーローツ少年学院には、学生たちの家族から手紙や荷物がたくさん送られてくる。それらはすべて寮母が預かり、寮監を務める副校長のスリンジャーが、授業の行われない毎週日曜日の朝に、中身を検分して、問題がなければ生徒に届けられる。中には学院に持ち込みの禁止されている遊び道具や雑誌を、誕生日のプレゼントとして家族にねだる生徒もいるからだ。スリンジャーが勉学の妨げになると判断したものは、箱を閉じ、家族のもとへ送り返される。
カルセの母はそういった規則や規約にはきちんとした人なので、問題のあるようなものは何も入れてこなかった。大きなものとしては毛布が一枚。その他は、缶詰の果物やマッシュポテト、ビスケットやチョコレートなどの日持ちのする菓子ばかりである。
途中まで読んで一番上に置きっぱなしにしていたのを思い出し、カルセは手紙に手を伸ばした。ほのかにラベンダーの香りのする便せんに、細いペンで綴られた清潔感のある文字が並ぶ。内容は毎週のものとあまり変わらない。灯神祭に向けて無理をしていないか、食事をおろそかにせず本番に備えて、しっかりと練習に励むように――そんなところだ。
中等部に上がって、灯神祭に学院の礼拝堂でうたう役目を賜ってからというもの、母は毎年この季節になると週ごとに贈り物をしてくる。君に届け物だ、と呆れ顔でドアを叩くスリンジャーに、今朝はジンジャービスケットを一袋分けた。寮の食事は十分に出されている。これ以上望んでいるものなんてそれほどないのだけれど、母には息子の暮らしが気にかかって仕方ないらしい。
灯守の血を引く、大切な息子のことだから。
チリ、と喉に掠れるような痛みを感じて眉を顰め、カルセは冷たい指で喉仏に触れた。
「あー……」
静かに声を伸ばしてみる。痛みは一瞬だったが、均等に息を吐いているつもりなのに時々ふいに掠れるのは成長期の影響か。探るように何度か声を出していると、耳の奥で「カルセ、」と呼ぶ声が聞こえた気がした。
カルツにはまだ、変声の兆しは見られない。カルセから消えかかっている、雲母のような柔らかくてきらきらとした少年の声を、当たり前のように残している。
双子といえど、自分たちは二卵性の双子だ。
めくれたページの重さで閉じていく教科書を見送って、カルセは見るともなしに、母の手紙を広げたまま思った。子供のころは瓜二つで、髪の分け目くらいしか違いなんてなく、両親ですら二人が入れ替わってもすぐには気づかないくらいだったが、それは外見の話だ。カルセはやんちゃで怖いもの知らずで、カルツはおとなしくて人見知りだった。
相反する性格が生む差異は成長と共にいっそう明らかになっていき、ハーローツの初等部に上がるころには、顔はそっくりでも纏う空気が変わってきていた。学院での生活が始まってみれば、得意なこと、不得意なことも違うのが分かった。
カルツは、運動が苦手だが勉強なら学年一できる。読書家で座学が好きだ。それはもう、三十八度の熱を出していても授業に出たいと望むくらい。授業のない時間は大体本を読んでいて、母から届く小遣いは毎月頭に、学院内に設けられた古本屋で消える。
カルセは、実のところ勉強は特別好きでも嫌いでもなかった。満遍なく平均より上の成績は取り続けているが、どちらかといえば体を動かすことや、生徒会や学院の活動に従事するほうが向いている。母が勉学の成績を重要視する人でなければ、多分もっと座学は手を抜いていて、代わりに体育系のクラブにでも参加していただろう。読書は好きだがあまり難しい本は退屈だし、小遣いは一年がかりでこつこつ貯めて、寮長になってすぐラウンジに寄付するチェスセットに使った。以来、毎夜のように顔を出しては、上級生も下級生もなく皆でゲームに興じている。
内面に芽生えた趣味嗜好の違いは歳を重ねるにつれて、外見にも表れ始めた。部屋での読書の時間が何より長かったカルツは、中等部に上がるころには黒板が見えなくなり、眼鏡をかけた。線が細く、日に当たらない頬は血管の色が透けるほどに白い。いつ見てもラベンダー色の髪を、人形のように綺麗に整えている。制服もボタンひとつ崩さないし、ローファーに雨粒のあとが残っていたことなんて、一度もない。
対するカルセは、近ごろ腕や背中にうっすらと筋肉の線が浮き始め、三年生の中でも体格のいい部類になった。外で遊ぶ時間も長かったせいか、いつも血色がよく、健康的な印象を与える。忙しさにかまけて襟足が伸びがちで、よくランスが生徒会長なのだからと文句を垂れながら切ってくれる。制服のかっちりした作りが昔から苦手で、校則に触れない範囲でボタンを緩めて着ている。靴だけはいつどんなときも、綺麗に磨くようにしているけれど。
もう前から見ても後ろから見ても、カルセとカルツを見間違えるような者はない。
少しずつ、少しずつ積み重なった違いが、二人を別の人間にしていくのだ。そして今またひとつ。声が別物になろうとしている。
「っ、げほ」
咳き込んで、カルセは苦笑した。カルツの声を真似ようとしたが、もう体のどこからもカルツと同じ声は出せなかった。変声の影響が、思ったよりもはっきりと歌に出る。無理にうたうと噎せてしまいそうだと諦めて、高音の連なる部分は伴奏を少し華やかにしてごまかしてもらえないかと、明日にでもピアノを弾く生徒に頼んでみようと決めた。
机の上の荷物を一瞥し、手紙を引き出しにしまう。引き出しを閉めた手をそのままポケットに押し込むと、小さな包みを取り出し、蜂蜜のキャンディを一粒、口に放り込んだ。
掃除でもしよう、と窓を開けに立って、真下に見えたラベンダー色のつむじに瞬きをする。
図書館に行っていたのか。分厚い本を両手に抱えたカルツが、学院のコートをはおり、紺色の背中を寒さに丸めながら雪の上を歩いていくところだった。
「カルツ」
呼びかけると、弾かれたように上を向く。
「部屋に戻るところか?」
「うん」
「寄っていけよ。母さんからお菓子が届いてるんだ、お前と分けろって」
レンズの奥の水色の眸に、冬の日が差し込み、一瞬ちかりと揺らめいた。カルツはやがて、今いく、と笑みを浮かべた。