二
「それでは本日は授業の時間を使って、初等科六年生の生徒たちと一緒に、地域の皆様へのお手紙を書いていただきます」
昼下がりの礼拝堂に、凛とした女の声が響き渡る。
「皆さんももう毎年、上級生の話を聞いてご存知だと思いますが、今日書いていただく手紙は灯神祭の招待状です。二週間後に迫った灯神祭では、例年この礼拝堂に、町の方が大勢集まってくださいます。皆さんのご家族だけではなく、地域の方を広くお招きし、灯神様のまなざしに届くよう盛大な灯神祭を執り行うのが、町一番の礼拝堂を持つ本校の大切な務めです。一枚一枚、丁寧に書いてください。まもなく初等科の生徒さんが到着します、その前に宛先と皆さんのお名前が書かれたリストを配布しますから、自分がこの町のどなたにお手紙を書くのか、きちんと確認をしておくように」
神学を教える女教師ミシェーラは、灯神の敬虔な信徒である。灯神祭はまだ二週間さきだというのに、毎年この季節になると、早々と礼拝の正装である黒のケープに身を包んで、長いハニーブロンドをひっつめにし、小さな百合を一輪さして授業をする。
彼女は細く腰のくびれた、これまた正装の、黒く丈が足元まであるワンピースをひるがえして歩く。広い礼拝堂の前のほうに集められた生徒たちに、端から順番に紙を配り始めた。隅のほうに座ったカルツには、まだ当分回ってきそうにない。
「招待状かあ。おれ、字汚いからやだなあ」
隣に座ったマレがぼやく。初等科の生徒とはいえ、最高学年にもなれば達筆な子は出てくる。ばかにされたらやだよ、と言って、億劫そうにペンをいじくった。
「それとカルセ君」
「はい」
「貴方には、授業の最後に初等科の子供たちへ、歌を聴かせてあげてもらいたいの。お願いできますね」
「分かりました」
おお、と前方の席で声が上がる。カルツは少し背中を伸ばして、最前列にラベンダー色の頭を見つけた。カルセのことだ。最初から、あとで前に出て歌うのを分かっていて、真正面に座ったのだろう。よろしくお願いします。ミシェーラが満足げに、そう微笑んだ。
「デュエットしてやれば、カルツ。音楽の成績、悪くないんだから」
「ばかなこと。あれはそういう歌じゃないんだって、分かってるだろう」
招待状がよほど面倒なのか、いつになくからかうような発言をしたマレに、カルツは苦笑いで叱った。ごめん、と雀斑の下の唇が尖る。いいんだ、気にしてない。それは本当のことだった。今はもう。
「権利を持たない僕が歌ったら、例え双子だって、灯神様は怒ってしまうよ」
囁くように言ったのは、ミシェーラが近づいてきていたからだ。やがて指の細い、神経質そうな手が、カルツとマレの前に紙を差し出していった。
誕生日順に並んだリストは、二月うまれのカルツにとっては下から読むものだ。探し始めてまもなく、自分の名前を見つけた。すぐ上にカルセの名前がある。兄はいつも、弟の上にいる。
灯神祭とは、このノスフォール地方に伝わる昔からの祭りで、毎年十二月の二十四日を祭日としている。雪深く冬が長いノスフォールでは、古くから民間に、火を祀る習慣が広まっていた。
それがやがて灯神という一つの像を結び、灯神信仰という国教に至り、ノスフォールに属する五つの国で盛大に執り行われるようになった祭りが灯神祭である。
言い伝えによれば、ノスフォールの人々の体のなかには、火がひとつ灯っているのだ。それは命の火であり、この火は灯神が、灯神祭の日に、年頃のよい女の腹に灯していくとされる。やがてその火を囲むように、赤ん坊が形を成し、十月十日を経てうまれてくる。
灯神祭は命の火を与えてくれる灯神に感謝し、同時に新しい命の恵みを乞う日である。そして、その灯神祭の花形が、灯守。
灯守とは、灯神に命を願う特別な歌をうたうことを許された者のことだ。ノスフォールには昔から、限られたいくつかの家系の者にしかうたえない歌があって、それを歌える者が灯守と呼ばれてきた。灯守の才能は遺伝である。灯守を親に持つ家系の、一人の男児にのみ引き継がれる。
「……うまいなあ」
初等科の少年をひとり挟んで、マレがぽつりとそう言った。少年は礼拝堂を天井まで伸びあがり、光になって降り注ぐようなカルセの歌声に聴き入っている。
「そうだね」
カルツは静かに答えて頷いた。
カルツとカルセの父親は、灯守だった。十年前、二人が四歳のときに、病に伏して呆気なく還らぬ人となった。父の中に燃えていた、灯守の血はカルセが引いた。町の教会へ行って、礼拝堂で二人うたったとき、灯神はカルセを選んだ。カルツはもうあまり細かい情景は覚えていないが、母が驚かなかったことだけは鮮明に覚えている。
理性的でありながら、まっすぐで迷いがなく、瑞々しい。自分の兄ながら、カルセの声はうつくしいと思う。
幼い頃から練習を聴き続けてきたその歌を、じっと聴いていると、思わず一緒にくちずさみそうになる。そんなことをしたら、灯神の怒りがカルツの胸の火を吹き消してしまうだろう。
響き渡るカルセの歌声の中、ミシェーラの影が静かに歩き回って、生徒たちの書き上げた招待状を回収していった。カルツはマレのものと重ねて、自分のペアだった少年に預ける。少年はそれを大切に受け取って、差し伸べられたミシェーラの手へと預けた。