4、魔王降臨
「フ……」
「……レイン様?」
ミュセアは、ゆるゆるとまぶたを上げる。目をこすりながら上半身を起こし、隣にいるはずの王子の名前を呼ぶ。
闇一色につつまれた部屋を、窓からさしこむ月光だけがほのかに照らしていた。それを横から受けながら立ちつくしているレインを見つけ、ミュセアは首をかしげた。
天井をあおぎ、レインが右の手のひらで自分の顔をおおう。
「フ……、フハハハハハ! ようやく、ようやくまた出てこられたぞ!」
「! レイン様?」
もう一度名前を呼びながら、ミュセアはあわててベッドからおりた。
レインが彼女に視線を流してくる。その瞳は、美しい宝石のような紫色だった。レインのそれとはまったく違う、その色合い。ミュセアの頭の中で、過去の記憶が重なり合う。
「あの目は、まさか……!」
ミュセアの疑問が、確信に変わる。
レインがニヤ、と彼らしからぬ不敵な笑みを浮かべた。
「全知全能たる大魔王シャイスリッドとは、この俺様のことだあああ!」
レインの全身から、黒いオーラが噴き出す。
両手で自分の顔を守りながら、ミュセアは小さく息をのんだ。
「あん? おまえ確か……この前、俺様を勇者に戻した女じゃねえか! それ以降なかなか出てこられないと思ったら、おまえが傍にいたせいだったようだな」
「くっ……」
「今回は、前のようには行かん。無駄な足掻きをされる前に、サクッと殺してやろうか?」
レインが――魔王シャイスリッドが、ミュセアを指さす。
ヒュ、と風を裂く音とともにミュセアの首元に線がはしり、ハラリと彼女の寝間着の一部がはだけられた。
「きゃあっ」悲鳴をあげながら、ミュセアは両腕で胸元を隠す。そこへシャイスリッドの手が無造作に伸び、何かをつかんだ。
ビク、と彼女の肩がはねあがる中、シャイスリッドがひきずりだしたのは鈍い光をはなつ十字架だった。
「ほお、これは銀のロザリオ……か。あのクソ生意気な女神イシュターラの加護を受けた聖女、てわけか。なるほど、どうりで俺様の封印を強固なものにしたわけだ。ククク、おもしろい。ちょっと遊んでやるよ」
ロザリオがクイ、とひかれる。
チェーンがくいこみ、ミュセアの身体が前のめりに倒れていく。手首が強くにぎられ、身をよじるミュセアの耳元に、シャイスリッドの唇が強引に近づけられる。
「へえ」と感嘆の声があがった。
「きれいな肌をしている。もしかして勇者とは、まだ何もやっていないのか?」
「や……っ!」
まとわりついてくるシャイスリッドに、ミュセアは必死に抵抗をする。首筋にしめった吐息を感じたとき、彼女の水色の瞳がキッと鋭さを増した。
「は、放して! 放しなさい!」
ミュセアの左手がうなり、パンッと乾いた音がつづく。
シャイスリッドの紫の瞳が見開かれ、驚愕に満ちた顔にゆっくりと手が這わされる。
「叩、かれた……だと? 親父にも叩かれたことのない、この至高の存在たる俺様を、叩いたのかああああ、女ぁああ!!」
激昂する魔王シャイスリッドに、ミュセアは一歩二歩と後退する。その背中が、壁に追いやられた。
この前は、相手に触れることで封印が維持できた。
じゃあ今回は? と考え、ミュセアの思考が停止する。相手に触れる、さらに上の段階上の段階――。思いついた方法に、ミュセアはブンブンと首を横にふった。
(そ、そんなの急にハードルが高すぎる……!)
初めて、なのに……とミュセアが唇をかんだ、そのとき。
ミュセアとシャイスリッドのちょうど間に、黒い竜巻がおこる。それが徐々に人の形を作っていき、なびいていた黒いポニーテールが立ち上がった人影を覆う。
突然の訪問者に、シャイスリッドが顔をしかめた。
「誰だ?」
不機嫌きわまりない表情でシャイスリッドが問えば、人影――ピッタリとした赤のボディスーツに、スレンダーな長身を包んだ妖艶な美女が微笑した。
「メファスティアスがほこる麗しき女豹クラウディア、漆黒の闇夜をきりさき、参上いたしました♪」