1、はじまりは突然
「だから、どうしてそうなるわけですか!?」
聖堂にひびきわたる、怒りに満ちた声。
それを受け止めたのは、聖堂の奥に鎮座する女神像の前に座り、ツメみがきに夢中になっている老齢の男だった。フッと、ツメに息をふきかけ、あごにたくわえた立派な白ひげをなでる。
「だって、おまえが適任じゃないか。二十歳前後で、若くて、かつそこそこの身分でそこそこの容姿。そして何より、重要なアレだよアレ」
「アレってなんですか」
「決まってるじゃない。こういう時、お決まりのアレだよ」
「だから、何ですか? もったいぶらないで、早く教えてください」
「そう急かすんじゃない。アレだよ、アレ。けがれなき乙女、つまりは処女だよ、処・女」
「処……っ! な、なんで教主様にそんなことを指摘されないといけないのですか! 破廉恥な!」
頬を真っ赤にそめながら、彼女はビシッと指さす。薄桃色の長い髪をゆるく一つに編み、鋭くなった水色の瞳は前方をにらみつけていた。
彼女に指をさされた人物はあっけらかんとした表情で、再びツメをみがき始める。
元・子爵家の令嬢で、現・イシュターラ神に仕えるイシュターラ教のシスター。
そんな彼女、ミュセアが突然の呼び出しに教主からたまわった命令は、大国メファスティアスの勇者王子のそばで封印を維持すること。
勇者王子。つい先日魔王を打ち倒し、この世界を救った英雄。
だが、その神聖な身には――魔王の魂が宿っていた。武器でも魔法でも消滅することができなかったそれを、彼は最後の手段として自身に封じたのだ。
その封印を維持するためには、イシュターラ神に仕える聖女の力が必要。王宮の宮廷魔術師からそう極秘の依頼を受けた教団が、白羽の矢をたてたのがミュセアだった。
封印の維持、それにはけがれなき聖女が常に封印者へと神気を送らなければならない。送る方法は、そばにいることが前提だった。つながる距離が短くなればなるほど、効果は増す。
それはつまり――。
「無理です、絶対無理! 好きでもない、しかも顔も知らない人に、て、てごめにされるかもしれないなんて!」
「ははは、いいじゃないか。今更、減るもんじゃなし。むしろそっちの方が、おまえのためかもしれないよ?」
「へ、減るとか、そういう問題じゃないですし、余計なお世話ですから!」
「そうは言ってもなあ、もう王宮にはオッケーって伝えちゃったし。神気を送るって、ただ傍にいるだけでいいんだから、ここにいるよりも簡単で楽な仕事だろうに。おまえの個人情報とかもとっくにあっちに渡しちゃったんだよなあ」
「ちょっ、教主様!? それ、プライバシーの侵害じゃ!?」
「プライバシー? 誰の?」
「もちろん、私のですよ!」
「えー。父親の賭博が原因で破産しちゃった子爵家から、誰がおまえを救ってやったんだったっけ?」
「そ、それは確かに心から感謝してますけれど! って、次はまさかの脅迫!?」
「それになあ、もうすでに報酬もたんまり受けと……、おっと誰かきたようだ。というわけだから、あとは任せたよ」
「えええっ!?」
ヒラヒラ、と手をふりながら満足げに去っていく教主に、ミュセアは「もしかして」とつぶやく。
もしかしてもしかしなくても私、あの教主と教団に売られた!?
そう叫びそうになるのとぶん殴りたくなる衝動をグッとこらえ、ミュセアは急いで聖堂をあとにした……のは、ついこの前のことだった。




