His Secret
【背中合わせの気持ち⇔番外編】 His Secret
巴里からいかにも何か言いたそうな視線を感じた。
大きな目でじっとこちらの出方を伺う様子は、飼い主の動向を見守る小型犬によく似ていた。
「…今、何か良からぬことを考えたでしょ?」
「いや、別に。小型犬に似てるなんて思ってないよ」
流石に巴里は長年俺を見ていただけあって、鋭かった。ぷぅ、と頬を膨らませた巴里を見て、噴き出してしまう。下から何とも言い難い圧力を感じたので、巴里が言い出しやすいように仕向けてやろうと思う。言いたいことがあるなら言わせてあげた方がいい。
「…わかった、改めるよ。小型犬じゃなくて旦那を心配する奥さんの顔をしている。どうした?」
「はるちゃんて、女子アナが好きじゃない?」
「あっつ…!」
吹いた。コーヒー吹いた。カップを持つ手が震え、中身が零れた。
今の一言で完全に(奥さんが)形勢逆転したのを感じた。
1日の終わりに2人でニュースを見るのが日課になっていた。ニュースを見るといっても、ほぼBGM代わりにして、各々今日あったことを話したり、俺が巴里を構って遊んだり、巴里から甘えられたり…まぁそんな時間だ。いつもなら穏やかなこの時間だけど、今日は何だか雲行きが怪しい。言い争いなら幼馴染時代に掃いて捨てるほどしてきたけれど、結婚してからは頻度が少なくなっていた。久しぶりとなると結構、堪えるかもしれない。…というか予想される内容が内容だけに分が悪いのは確実に俺だ。
あらあら、と巴里は手際よくティッシュボックスからティッシュを抜き取って零れたコーヒーを吹いてくれたけど、そのこちらを責めようとしていない表情と口調が逆に怖い。巴里をあまり怖いと思うことがないだけに動揺してしまう。
「女子アナっていうか、もっと言うとお天気お姉さんが好きじゃない?」
「あのな、巴里」
「別に怒ってるんじゃないわよ?」
嘘だ。怒っていないにしても面白くないと思ってるに違いない。
テレビに明日の天気を報じるお天気お姉さんが映っている。皮肉にも良く通る滑舌の良い綺麗な声がこの空間の居心地の悪さに拍車をかけていた。いつもなら見たいと思うところだけど、今日は消してしまいたい衝動に駆られる。
断っておくがアナウンサー好きと言っても押しがいる訳ではない。俺から言わせればアイドルを追いかける輩よりはまともだと思っている。そう思いたい。…っていうかこんなに必死で否定している時点でもう言い逃れできないのかもしれない。
本人曰く怒っている訳ではないらしい巴里は、何が言いたいのだろう。
「不思議だなぁって思って。お天気お姉さんの笑顔って綺麗だけど、余所行きのお仕事用の顔じゃない?そういう、自然体じゃない笑顔を好きだなって思う気持ちが良くわからなくて」
「え?うーん」
水を向けられた俺は、そんな風に考えたことはなかったから、巴里と同じように神妙な顔になった。予想していた責められ方と別の切り口で踏み込まれた為か、すぐに言葉が出てこなかった。なるほど、改めて言われてみれば確かに道理だ。
「はるちゃんは自分を隠してお仕事頑張るお姉さんの姿と、自分自身を重ねているの?だから応援してるの?」
「いや。いやいやいや、それはない。そんな深く考えてない」
「そうかなぁ。だってはるちゃん、あまり他の人に素の顔、見せないよね」
「…そうかな」
その指摘は正直ピンとこなかった。確かに格好つけなところはあるかもしれない。
「巴里だって、どこまではるちゃんの素顔を見れてるのか、わかんないし。だっていつも巴里ばっかり甘えているから」
「…巴里?」
…何なんだろう、これ。巴里は俺に甘えて欲しいんだろうか。もっと弱さを見せて欲しい…って言いたいのかな。支離滅裂になりそうな思考をなんとか整理させようと俺は口を開いた。
「んー…と。どう答えたらいいかな…。まず巴里、お前考えすぎ」
巴里の鳶色の髪を撫でてやると、すぐに甘えるように寄りかかってきた。
「…はるちゃん、巴里、辛いことがあったらどんな些細なことでも言って欲しいと思うのよ。それに疲れたらこうして寄りかかって欲しいな」
そう言われて、疑問が確信へと変わった。
「お前がいないと駄目だから一緒に暮らしてるんだよ。充分、甘えてるよ」
「…足りないよ…もっと、もっと甘えて欲しい…」
「強がってる訳じゃないんだ。でもマイナスな気持ちにも程度があるだろ?そういうの、全部お前にぶつけたいとは思わないんだ」
「程度?」
「例えば…仕事が上手くいかなくて、苛々してたとする。そういう時はお前を構ってからかって笑うことで元気貰ってるよ。俺の甘えはそういう感じなんだ。ちゃんと癒されてるよ」
誰かに言われて嫌だったことを逐一報告して現状が変わるなら、一緒に気持ちを共有するのも気分を楽にする一つの方法なんだろうけど。傷の舐め合いは不毛…と切り捨てるつもりはないけれど、巴里が許してくれてもあんまり言いたくないなと思ってしまう。…とは言え、巴里には何でも気軽に相談して欲しいと思ってしまうんだから、これは俺の格好つけのエゴなんだろうな。巴里に話しながら気が付いた。
「…こういう自分に都合の良い甘え方って、精神的に依存してるからできるんだろうな。…うん。俺、お前が思うよりずっと甘えてるよ」
巴里の髪を撫でながら言うと、ぼんやりと見返される。眠くなったのだろうか、と顔を覗き込むと途端に頬が赤く染まるので、可愛くて笑ってしまう。
「お前が言って欲しいって言うなら言うよ?朝、もっと寝てたいとか、だるくて仕事行きたくないとか休みたいとか。…でもそれってさ、自制さえできれば解決できることなんだ。自制できなくて苦しい時は、ちゃんと言うよ」
「うん…やっぱり強いな、はるちゃんは。格好いいなぁ」
「まぁ、奥さんの前だからね」
苦笑する。まだ子供はいないけど家庭を持っていることだし、しっかりしなくてはと思うのは普通のことだろう。
「…あと女子アナのことだけど」
傷の舐め合いはともかく、俺の方も巴里を不安にさせてしまうくらい言葉が足りていなかったんだろうと反省する。本当は蒸し返すようで気が進まないけれど、この際だから言ってしまおう。巴里を不安にさせるよりはずっといい。
「打てば響く反応ができる人が好きなだけだから。そういう反応ができる人は影で凄く努力してるんだよ。それで勝手に尊敬してるだけだから。それだけだから」
巴里は悪戯っぽく俺を見て、マイクを向ける素振りをした。気分は記者会見に挑むアナウンサーというところだろうか…女子アナの真似ごとをする巴里は、テレビの中の本物よりずっと可愛い。
「打てば響く反応ができる人が好きとのことですが、国会議員では駄目なのでしょうか?」
聞いてくるポイントはちっとも可愛くないけれど。
「…。柔らかさのある人の方が印象が良いと思います」
「では、何故アイドルじゃないんでしょうか?」
男同士の飲み会でならともかく、奥さんを前にして言えることではないのですが。
「……。アナウンサーはアイドルにはない品性があるように見えるからです」
「じゃあ、シチュワーデスさんは?巴里の独自の調査結果には、女子アナと同じくらい好きって判定がしっかりはっきり出てるんだからね」
何それ、何で知ってるの?怖いんですけど。
「好きなのは頭の良さだけじゃないでしょ?お顔と足が綺麗な人がはるちゃんの好みって、ちゃんと知ってるんだからね」
笑顔で畳みかけられて、早々に白旗を上げる。
「~~…っわかった。わかりました。訂正します。働く人は性別職業関係なく、素晴らしいものです」
「そうそう。女子アナ、シチュワーデスさんばかり贔屓するのは如何なものかと思います。若さとお顔と足の美しさだけが全てではありません」
「お前やっぱり、面白く思ってなかったな」
全く適わないな。巴里はアナウンサーの真似ごとがお気に召したらしく、俺に質問したいことを考えている。
「…では、最後の質問、宜しいですか?実際結婚されたのはアナウンサーとは違うタイプで、頭もスタイルも良くないちっぽけな女の子ですが、どうしてでしょうか?」
先程の勢いはどこへやら、一転して不安そうにマイクを向ける素振りをされて、どう言おうか考えた。
「…いや、結構アナウンサーと似てるところもありますよ。言葉をわかりやすく伝える為の努力をしているところ。そういうところも好きです」
仕返しとばかりに悪戯っぽく巴里を見ると、今度は巴里がぐっと詰まって見せた。
「でもアナウンサーが読み上げるニュースと違って俺にとってはあったかくて、信じられる言葉をくれます。彼女は昔からずっと、まっすぐで薄っぺらじゃない気持ちをぶつけてくれました。俺が知らなかった気持ちを教えてくれたのが彼女です。だから彼女以外はありえない。タイプとか関係ない。要は誰より俺を見て支えてくれて、その気持ちを伝えてくれたのが巴里だったから」
はっきりと言い切ると巴里は真っ赤になって顔を覆って見せた。
「こんなに口説かれたのは人生初かもしれません…。参りました///」
「いいんじゃない?たまには譲れよ」
赤くなった耳を噛むと、その色と違わない熱を感じた。調子に乗ってからかいすぎました、ごめんなさい、許してと言われても、言われた分はちゃんと取り返さないとと思う。
さて、どうしようかな。秘密を暴かれた分の報復はするつもりだけど…。
とりあえず巴里に寄りかかってみると、巴里は弾けたように笑い出した。
以前に一話だけ投稿しました『背中合わせの気持ち』というお話の番外編になります。本編が完結していないくせに番外編などあげてしまい申し訳ありません><主役二人が夫婦になっています。