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9. こんにゃくが好物らしいですね





「仇討ちと比べたらかなり簡単な任務だよね」

 上履きに履き替えながら、のり子はつぶやいた。

 朝の下足室はいつも混雑している。それも魔界の綾菓子学園のことだ。巨大な翼を持つ生徒や、長い尻尾の生徒もいるので気をつけながら履き替える必要がある。

 多種多様な生徒たちの波を器用にすり抜け、のり子は教室へと向かった。

(――よし、今日こそ霧之助君にサインしてもらおう)

 歩きながらのり子は心に決めた。父・梅座衛門に託された謎の誓約書。あれに霧之助のサインをもらえば借金が全て清算されるのだ。

 親の仇を討つために登校していた時は気が重かったが、紙切れ一枚にサインしてもらうだけなら楽勝だ。軽い足取りで廊下を歩いていたら、

「――こっちだ!」

 突然強い力で引っ張られた。

 バランスを崩してよろめきながら顔を上げると、

「俺だよ、のり子」

 ロッカーの陰に隠れて微笑むその男に見覚えがあった。

「……神多君?」

 のり子は目を疑った。

 こんな場所にいるはずのない人物だったからだ。

「久しぶりだな。元気そうで安心した」

 大学で同じゼミに所属している神多真司かんだしんじだ。

 実はのり子は、人間界では大学の四年生なのである。

「神多君、なんで、だってここ……」

 ここは魔界だ。

 普通の人間である神多が、こんな場所に来れるはずがない。

 状況が飲み込めず困惑するのり子を見て、神多はにこりと優しい微笑みを浮かべた。

「先週の金曜日にさ、お前がずっと休んでるから心配で、講義のノート持ってお前んち行ったんだよ」

「え、そうなんだ? 知らなかった」

「でも留守だったから帰ろうとしたんだけど、たまたま通りかかった近所のおばさんが、お前んちのこと色々教えてくれて……」

 神多が少し言いづらそうにうつむいたが、すぐに視線を上げた。

「俺、全然知らなかったよ。のり子のお父さんのこと」

 主婦というのはいつの時代も噂好きでおしゃべり好きだ。

 ご丁寧に、のり子の複雑な家庭事情を彼に説明してくれたらしい。

「のり子のお父さんが鬼切だったなんて……。なんで今まで何も話してくれなかったんだよ」

「いや、なんでって言われても……」

「実は俺さ、実家が神社やってるんだ」

「そうなんだ。初めて聞いた」

「だから爺ちゃんからも、のり子のお父さんのこと色々聞いたよ。そっちの業界ではすごい有名人なんだってね」

「はあ、まあ……そうみたい」

「俺も協力するよ」

「え?」

「化け物退治だろ? お前一人じゃ危険すぎる。俺も手伝うよ」

 神多が、やたらキラキラとした笑顔で言った。

「これ見て」

 袖をまくって見せてきた右腕には、黒くて長い数珠が三重に巻かれている。

「爺ちゃんから借りてきた。ここに白い勾玉がついてるだろ。これ、鬼の牙で作られてるんだって」

 黄泉の鳥居もこれで通れたんだ、と得意げに話す神多は、これから大冒険に出発する少年のように希望に満ち溢れた瞳をしている。のり子は一体どこから誤解を解けばいいのか分からなくなってしまった。

「化け物退治が終われば、また大学に来れるんだろ?」

「いや、あのね神多君、よく聞いて欲しいんだけど」

「いいんだ!」

 神多はのり子の言葉を遮った。

「危険なのは俺もよく分かってる。でも自分で決めたことだから」

「そうじゃなくて」

「俺だって一応は神社の跡継ぎだし。地球を守るために戦いたいんだ」

「どうしよう地球を守る気でここに来たんだ?」

「だから気にするな。何が起きてものり子が責任感じることはないんだよ」

「責任じゃなくて巨大な不安を感じるんだけど」

「ゼミのみんなも、のり子のこと心配してるんだぞ」

「え?」

「最近全然来ないから、単位足りなくなるんじゃないかって」

「そ、そうなの……?」

 クラスメイトに心配されるなんて今まで経験したことがないので、なんだか不思議な気持ちになった。

 のり子はこれまでずっと人との関わりを極力避けていた。しかし大学ではそれなりの人間関係を築けている。

 鬼切である父・梅座衛門のことを知る人物は大学内にはいないし、高校と違って講義ごとにメンバーが変わるので、広く浅い交流をするのに最適だったからだ。

 特に、神多真司とは映画好きという共通の趣味もあってか自然と会話が弾み、常日頃から親しくしていた。

「のり子、俺とお前で力を合わせて化け物を退治しよう!」

 神多がのり子の手を力強く握った。

 決して悪い人じゃないのはよく分かるのだが、まさかここまで思い込みの激しい人だったとは。大学にいる時は普通の青年だったのに。

「あ、あのさあ神多君」

「俺に任せろ。色々と策を練ってきたんだ」

「一体何がそんなに君に火を点けたの」

「地球の平和を守って、また一緒に大学に行こうな!」

 じゃあまた後で! と爽やかな笑顔でどこかへ走って行ってしまった。

 そう言えば神多は高校時代、野球部のキャプテンでかなりの熱血少年だったと聞いたことがある。

「――ちゃんと説明しなきゃ……」

 廊下に取り残されたのり子はぽつりとつぶやいた。




「このクラスに新しい仲間が増えます」

 朝のHRで長子先生が発表すると、生徒たちが大いに盛り上がった。

 カケルが「このクラス転校生多くね?」とあくびをしながら話しかけてきたが、のり子は返事をすることができなかった。

(――転校生ってまさか、神多君……?)

 嫌な予感がしまくりだった。

 さあどうぞ入ってらっしゃい、と長子先生が声をかけると、教室の扉が開いて一人の生徒が入ってきた。のり子は手に汗握りながら事の成り行きを見守った。

「――初めまして。閻道冥子えんどうめいこです」

 燃えるような赤色の髪が膝の辺りまである、小柄な少女だった。

 色白で、勝気そうな大きな瞳が印象的な美少女である。

 神多じゃなかったことにのり子はほっと一安心していたが、

「嘘でしょ」

「なんでこんなところに……」

「信じられない……!」

 クラス内の動揺が半端じゃなかった。

 生徒たちがみな異様なざわつき方をしている。

「カケル君、みんな何を驚いてるの?」

 不思議に思ったのり子が小声でカケルに聞いてみると、

「……あの転校生、閻魔大王の娘だよ」

 メンドクセー奴が来たもんだ、とカケルは渋い顔をしながら言った。

 ――えんまだいおうとは、あの有名な閻魔大王様のことだろうか?

 死者の天国行きか地獄行きかを決める、裁判官のような存在だったと記憶している。

 閻魔に関してあまり詳しくは知らないが、とにかくすごく偉い人の娘が転校してきた、というのはなんとなく理解した。

「閻魔の娘ならエリート校に行くはずなのに、なんでウチみたいな一般校に来たんだろーな」

 カケルがそうつぶやくのを聞いて、のり子は「ここって一般校なんだ」と心の中で思った。魔界高校のレベルランキングは、のり子にはよく分からない。

「――霧之助様っ!」

 突然、閻道冥子が走り出した。

「会いたかったわ霧之助様っ!」

 赤髪を揺らしながら猛ダッシュをした冥子は座っていた霧之助に力いっぱい抱きついた。クラス内が騒然となった。

「やっとお会いできましたわね。冥子はこの日をどんなに待ったことか!」

 ぎゅうぎゅうと抱きついてくる冥子の両腕を、霧之助は無表情のままでやんわりとほどいた。

「……閻道さんだっけ?」

「冥子とお呼び下さい霧之助様」

「冥子さん、俺たちどこかで会ったことあるかな?」

 霧之助の真顔の質問に、冥子はにっこりと微笑んだ。

「正真正銘、今日が初対面ですわ」

 初対面なんだッ?!

 クラス全員が心の中でツッコんだ。

「今日初めてお会いしましたが、冥子は一万年と二千年前から霧之助様をお慕い申しておりました」

「ごめん俺はさすがに一万年も生きてないや」

「お弁当を作ってきたんです。良かったら召し上がって下さいさあどうぞこちらがお箸です」

「さっき朝ごはん食べたばっかだしまだ一時間目だし」

 霧之助の言葉も聞かずに冥子は机の上におせち料理のような重箱を次々に広げ出した。

「スゲーな霧之助。閻魔大王の娘から熱烈アプローチじゃん。どこで引っかけたの?」

「だから今日が初対面だってば」

 カケルがにやにやしながら囃し立てたが、霧之助は相変わらずつまらなそうな顔で答えた。

「さあみんな静かにして。もう一人紹介したい人がいます」

 転校生が重箱を広げ出したというのに長子先生はさして気にも留めずに手をパンパンと叩き、

「今日から教育実習の先生が来ることになりました」

 と発表した。

 さあどうぞ、と長子先生に促されて教室に入ってきたのは、

「――初めまして。神多真司です」

 今度こそ間違いなく神多だった。

 のり子は思わず顔を両手で覆った。

 まさか教師側で潜入してくるとは思わなかった。でもそっちの方が年齢的には合ってるのか。もうじき二十二歳になるというのに学生服を着て教室に座っていることがのり子は急に恥ずかしくなってきた。人間の年齢なんて魔界の住人から見ればあまり大差ないのだろうが。

「神多先生の特殊能力は何ですかー?」

 教室の誰かが発した質問に、のり子はドキリとした。

 これはのり子も転校初日に受けた質問だ。

 綾菓子学園は人間の立ち入りを禁止している。よって潜入するには魔界人のふりを必要がある。神多は一体、何に成り済ましてきたのか。

 のり子がヒヤヒヤしながら見つめていたら、神多は「大丈夫だよ」とさりげなく目配せをした。そして自信満々の笑みを浮かべて、生徒たちに向かってこう答えた。

「――僕の特殊能力は、小豆洗いです」

 よりにもよってなぜそれを選んだの神多君。





「――御握さん」

 六時間目の授業が終わった時、霧之助が振り返ってのり子に声をかけてきた。

「これ、うちの父さんから」

 長細い紙袋を渡された。

 中を見てみると、大きなフランスパンがひとつ入っている。

「良かったら食べて。味は保証するよ」

「いいんですか?」

「うん。荷物になってごめんね。父さんがどうしても御握さんに渡せって。それから……」

 霧之助が気まずそうに頭を掻いて、

「それから……あの時はごめんね。父さんがケルベロスとかその他色々変なこと言って」

「いえ、私の方こそすみませんでした。急に帰ったりして……」

 考えてみれば、血坂家ですき焼きを食べたあの夜以来、霧之助ときちんと会話するのはこれが初めてだ。

「美味しいすき焼きをごちそうさまでした」

 のり子が丁寧に頭を下げると、霧之助が目を丸くした。

「……怒って帰ったんじゃなかったの?」

「違います。怒る理由がどこにあるんですか」

「うちの父さんが変だから」

「それはまあ……。でもすごく楽しかったです」

「本当に?」

「はい。私、家族と一緒にご飯を食べる機会があまりなくて。だからすごく楽しい夕食でした」

 のり子の言葉を聞いて、霧之助がふわりと微笑んだ。

「それ聞いたら父さん喜ぶよ。きっとまた呼んでこいって言われる」

「呼んで頂けるならいつでもまたお邪魔します」

「良かった。俺も嬉しいよ」

「このフランスパンもありがとうございます。明太子つけて食べるの好きなので嬉しいです」

「あ、それ俺もよくやる。美味しいよね」

「すき焼きもチャレンジしてみます」

「いやそれは無理しない方がいいよ」

「そんなにひどいんですか?」

「俺は吐いた」

 二人同時に笑ってしまった。

 笑いながらのり子は、霧之助が父の仇でなくて良かった、と心から思った。

 霧之助を倒すとか、憎むとか、そういうことは絶対にやりたくない。

「――ちょっと。なによあんた」

 ふと気がつけば、いつからそこにいたのか、閻道冥子が仁王立ちでのり子を睨みつけている。

 赤い髪が怒りの炎に見えるのは気のせいではなさそうだ。

「あんた、霧之助様のお城に行ったことあるの?」

 やっぱりアレはお城なのか。

 確かに城と呼ぶにふさわしい建造物だったなあと、のり子が感心していたら、

「なによこれ?」

 冥子がのり子の手からフランスパンの入った紙袋を取り上げた。

「あ、それは……霧之助君のお父さんからもらったフランスパンで……」

「はああ?! なんであんたが霧之助様のお父様からパンをもらうのよ!」

「ええとこないだ霧之助君の家ですき焼き食べた時に……」

「すき焼きですってえぇーッ?! 冥子だってまだ霧之助様のお城にお呼ばれしたことないのにぃーッ!!」

 バリン! と力任せに紙袋を引き裂いた冥子は長さ五十センチはあるであろうフランスパンをわずか二秒で飲み込んだ。

「……冥子さん、フランスパン好きなんだね」

 霧之助が唖然としながら言った。

 のり子もあっけに取られて言葉が出ない。

 とんでもない早食いショーを目の当たりにしてしまった。

「霧之助様のお父様が作ったパンなら、冥子いくらでも食べますわ!」

「父さんが作ったんじゃないよ料理長が作ったんだよ」

「お? なにこれなにこれ、早速ドロドロの三角関係? いよっ、モテるね霧之助!」

「違うよフランスパンが足りなかったんだよ」

 カケルが野次馬根性丸出しで割り込んできたが、霧之助は真顔で「もうひとつ持って来れば良かったな」とつぶやいた。

「ちょっとあんた!」

 冥子がのり子に向かってビシッと人差し指を突きつけた。

「あんた名前はっ?!」

「お、御握のり子です」

「御握のり子! 霧之助様に金輪際話しかけないで! 今度近づいたら冥子のパパに言いつけてあんたの舌を引っこ抜いてもらうからね!」

 閻魔大王様に舌を抜かれるの刑!!

 それって嘘をついた人がされるやつじゃなかったっけ?!

 ああでも魔女って嘘ついて綾菓子学園に通ってるんだった!!

 のり子は頭の中がパニックになった。

「――ペナルティ10だ閻道冥子!」

 神多が猛スピードの競歩で教室に飛び込んできた(廊下を走ってはいけないから)。しかもボウルに入った小豆をしょきしょき洗いながらやってきた。

「綾菓子学園内では種族間の争いやそれにまつわる歴史問題の持ち込み、種族の権力を行使した攻撃や恐喝は全て禁止だ! 校則を破ればペナルティ10! ちなみにペナルティ100で退学だ!」

 怒鳴り散らす神多を、冥子は「ふん」と鼻で笑った。

「なによあんた。教育実習生のくせに偉そうに」

「鬼は外!」

 おもむろに神多が冥子に向かって小豆を投げつけた。すると、

「あちちちちちちちち熱いッ!!」

 投げられた小豆は全て青い炎と変化し、冥子は炎に焼かれながら走って逃げて行った。

「神多君、その小豆は……?」

 のり子が聞くと、神多はにこりと笑った。

「爺ちゃんに念を込めてもらった小豆だ。結構ご利益あるぞ」

「そうなんだ」

「怪我はないか、のり子?」

「うん、まあ……心に大怪我をしたような気もするけど」

 二人の会話を傍で聞いていた霧之助が不思議そうな顔で、

「御握さんと神多先生は……知り合いなの?」

 と聞いてきたので、のり子は思わずギクッとした。

「え、ええと、まあその、神多先生とは、ちょっとした知り合いで……」

「ふーん」

 霧之助が、のり子と神多の顔をじーっと見つめた。

 霧之助の赤い瞳に見つめられて、のり子は冷や汗が噴き出てきた。二人が普通の人間だとバレたら非常にまずい。

「――小豆洗いのくせに生意気よ!」

 どこからか突然ゴミ箱が高速で飛んできて神多の頭に直撃した。

 振り向くと、冥子が鬼の形相で立っている。

「御握のり子あんたもよ! 霧之助様に近づいたら承知しないからね!」

 あっかんべーをしながら走って逃げる冥子を「ペナルティ20だ!」と叫びながら神多が追いかけて行った。

「……なんつーか、大変そうだね。霧之助にサインしてもらうの」

 カケルがのり子の耳元で囁いた。

 舌抜かれないように頑張ってね、とも言われた。

 そうだった。誓約書に霧之助のサインを書いてもらわないといけないのだ。

 だけど霧之助に近づいたら閻魔様に舌を抜かれてしまう。

「どうして私がこんな目に……」

 足元に散らばったフランスパンの袋の残骸を眺めて、のり子はがっくりと項垂れた。





 

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