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7. うまい棒はコンポタ派です





「どーする? まだ足りねえなら相手するけど?」

 夕日を背に、仁王立ちで下等妖怪たちを見下ろしている人物に、のり子は見覚えがあった。

 金色に光る大きな瞳に、亜麻色の髪。そして頭部には二つの獣耳。

 人狼の尾野カケルである。

「ちくしょう覚えてやがれ!」

 満身創痍のチンピラ妖怪たちが、転がるようにして逃げて行った。

「――ケンカ強いんですねカケル君」

 のり子が声をかけると、カケルはいつもの人懐こい笑顔に戻った。

「御握さん見てたの?」

「はい。偶然ここを通りかかりまして」

「いやあまいったな。御握さんに俺の怖いトコ見られちゃったなあ」

「はい。カケル君鼻毛出てるなあってずっと見てました」

「御握さんてアレだよね、咲子とはまた違う系の辛辣さを持ち合わせているよね」

 カケルは笑いながら鼻毛を抜いた。

「実は寝坊しちゃってさあ、今からガッコ行こうと歩いてたら変なチンピラ集団に絡まれちゃって」

「もう授業終わりましたよ」

「マジで? じゃあウチ帰ってまた寝るか」

「寝すぎですよ。そうだちょうどいいからカケル君にこれをお願いします」

 のり子は鞄から一枚のCDを取り出し、カケルに手渡した。

 以前、カボチャ男から受け取った『戦国ハニー☆マーマレード組』のCDである。

「これって、無念にあげるCDじゃなかったっけ?」

「はい。無念君に届け損ねちゃったんです」

「ふーん。で、俺はこれをどうすればいいの?」

「機会があれば無念君に渡して下さい」

「え、なんで俺が? 御握さんが渡せばいいじゃん」

「だって私は……」


 ――私はきっともう、会うことがないから。


「とにかくよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げると、のり子は走り出した。

 後ろでカケルが何かを叫んでいたが、止まることなく走り続けた。

(――綾菓子学園に通うのは、今日で最後にしよう)

 のり子は、そう心に決めた。

 だからあのCDをカケルに託したのだ。


「――ここを通るのも、これで最後か……」

 黄泉の鳥居を見上げて、のり子はつぶやいた。

 異界への入り口・黄泉の鳥居は、魔界では長い石段の上に存在する。なぜかは知らないが、いつもこの場所だけ空が紫色に光っている。

 鳥居の周りには草一本もなく、石畳には見たこともない赤い文字が無数に刻まれている。これは魔法陣とか、結界とか、そういった類のものなのだろうか。のり子には分からない。

(――ここを初めてくぐった時は、霧之助君への復讐心でいっぱいだったのになあ)

 その復讐心は、もう薄れてしまった。

 仇討ちの目的を失った今、あの学園に通う必要はないのだ。

「……ごめんねお父さん。こんな情けない娘で」

 今日を限りに魔界には二度と来ない。

 そう決心すると、少し寂しいような気がした。

 そんな自分がなんだかおかしくて、のり子は自嘲気味に笑いながら、鳥居の下をゆっくりと歩いた。

「――あれ?」

 おかしい。

 景色が変わらない。

 いつもなら鳥居を抜ければすぐに人間界に戻れるはずなのに。

 のり子はもう一度さっきと同じように鳥居を通ってみたが、やはり変わらない。

 何度か鳥居を往復してみたが、景色は魔界のままだった。

「あ、もしかしたら……」

 のり子は慌ててスカートのポケットに手を入れた。ない。何も入っていない。今度は鞄の中を探してみる。隅々まで見たがどこにもない。

 魔界の者は、鳥居を通れば自由に人間界と魔界を行き来することができるが、普通の人間にはできない。普通の人間は、「ある物」を身につけて鳥居を通らなければいけないのだ。

「探し物はひょっとしてコレ?」

 はっ、と顔を上げると、カケルが立っていた。

 手に小さな赤いお守り袋を持っている。のり子はそれを奪うようにして取り返すとカケルを鋭く睨みつけた。

「な、なんでカケル君がこれを持ってるんですか!」

「いやだから、さっき『落としたよー』って言ってんのに御握さんガン無視で走っていくんだもん。つーかさあ……」

 カケルがゆっくりと黄泉の鳥居を見上げた。

「……御握さんは、ここ通っても人間界行けねーのな」

 のり子は顏から血の気が引いていくのを感じた。

 見られてしまった。

 鳥居を抜けても人間界に行けないということはすなわち、のり子が人間である証拠だ。

「そのお守りの中身は?」

 カケルの問いに、のり子は観念したように目を閉じた。

 このお守りは、父からもらった唯一の形見。

「……鬼の角の欠片です」

 カケルが大きく目を見開いて「マジか」とつぶやいた。

 鬼の角の欠片。

 そんな物、魔界の住人でも所持している者はなかなかいない。ましてや、普通の人間が持っているとなると――

「私の父は、鬼切おにきりだったんです」

 ――「鬼切」とは。

 先祖代々特殊な能力を受け継ぎ、人間に害をもたらすあやかしを退治する者。それが鬼切である。

「じゃあ、御握さんも……?」

「いえ、私は全くその力を受け継いでませんし、修行をしたこともありません」

「御握って、どっかで聞いた苗字だと思ってたけどもしかしたら……」

「はい。私の父の名前は、御握梅座衛門おにぎりうめざえもんです」

 鬼切の中でも最高クラスの退魔師、それが御握梅座衛門である。

 カケルは若干引きつった笑いを浮かべた。

「すげーな。魔界では超有名だよ。御握梅座衛門に狙われたら逃げることは絶対不可能だって、ガキん頃から婆ちゃんによく聞かされてたわ」

「そうみたいですね。私は父の『仕事』を一度しか見たことがないので……」


 ――あれは、のり子が九歳の時だった。

 仕事へ出かける父の後を、のり子はこっそりと尾行した。ちょっとしたいたずら心だった。

 到着したのは使われていない古い廃病院。

 そこへ父が入って行くのを見て、のり子は割れた窓ガラスの隙間から中を覗いた。

 見えたのは信じられない光景だった。

 おぞましい形相をした巨大な黒い鬼が、父に襲い掛かっている。

「そこの娘から喰ってやろう!」

 父よりも先に、鬼がのり子の気配に気づいた。

 そこからの記憶はおぼろげだ。

 ただ覚えているのは、まるで舞うように剣を振るう父の姿。

 伝説の剣・米一文字を扱えるのはこの世で梅座衛門ただ一人だけだということは後で知った。

「――終わったよのり子。さあおうちに帰ろう」

 のり子はかすり傷ひとつ負わなかった。

 泣きじゃくるのり子を、父は血だらけの腕で抱きしめた。

 その時、のり子は思い知ったのだ。

 父の仕事が、いつ死んでもおかしくない危険なものだということを。

 だからあの時も、案外すんなりと状況を受け入れることができた。

「血坂霧之助という吸血鬼を殺しに行ってくる」

 今からちょうど二年前。そう言い残して出かけた父は、二度と帰ってはこなかった。

 父が消息不明となって一年が過ぎた頃、「お父さんのことはもう忘れなさい」と母に言われたが特に驚きもせず、ああやっぱりそういうことか、と納得した。


「――霧之助が、御握さんのオヤジさんを……?」

 信じられない、という表情でカケルが頭を振った。

 のり子は少し困ったように微笑んで、

「でも、もういいんです」

 手の中のお守り袋を、ぎゅっと握りしめた。

「お父さんの仇を討とうと思って綾菓子学園に潜入したけど、私にはできない。できないんです」

 唇を噛みしめるのり子を、カケルはただ黙って見つめていた。

「魔界へ来るまでは、霧之助君のことが憎くて憎くて仕方がなかったけど、学校に通ってるうちになんかだんだんどうでもよくなってきて、クラスのみんなもいい人ばっかだし、妖怪とかもっと怖いと思ってたけど普通に暮らしてるしミスドもすき焼きも食べるし、だから、だから……」

 きっとこんなのはおかしいことなのだ。

 自分はおかしくなってしまったのだ。

 魔界での生活を、楽しいと感じてしまうなんて。

「だからもうここには来ません。いっぱい嘘ついてごめんなさいでした。さようなら!」

 のり子は一気に鳥居の下を駆け抜けた。

 人間が異界に渡るには、魔界の住人の「身体の一部」を身につけていないといけない。

 鬼の角の欠片を持ったのり子は、あっという間に人間界へと辿り着いた。

「今度こそ帰ってきた……」

 人気のない静かな雑木林。頭上には青い空。

 振り返ると鳥居だけがひっそりと建っている。

 そこにカケルの姿はもうなかった。

「――さようなら」

 のり子はゆっくりと鳥居に背を向け、その場を立ち去った。


 自宅に着いた時には、空はもう薄闇色だった。

 明かりの点いていない真っ暗な自分の家を、のり子は道路からぼんやりと眺めた。

 のり子の家は、さほど大きくもない二階建ての一軒家。仕事が忙しい母の帰宅は深夜なので、この時間帯はいつも無人なのだ。

「小さい頃からずっとこうだったもんなあ」

 父も母も仕事で全国を飛び回り、のり子は幼い頃から留守番ばかりだった。加えて、クラスメイトたちは父の仕事を気味悪がって近づいてこない。のり子は学校でも家でも一人ぼっちだった。

 だからきっと、勘違いしてしまったのだ。

 魔界の学園に、自分の居場所を見つけたような、そんな錯覚に陥ってしまったのだ。

「……ご飯炊いて、お茶漬けでも食べるか……」

 のり子が家の鍵を出そうと鞄を開けた時、

「――なんだ意外とフツーの家じゃん」

 突然の背後からの声に驚いて鞄を落として中身を地面にぶちまけた。

「カ、カケル君?!」

 振り返ると、カケルがうまい棒をもぐもぐ食べながら立っていた。

「ど、ど、どうしてッ?!」

「いや、もっと鬼切一族っぽい、神社みたいな家に住んでるのかなーって想像してたからさあ」

「そっちじゃなくて! なんでここにいるんですか! 私のこと尾行したんですか?!」

「いやただの偶然。今日は満月だし原宿で人間の女の子ナンパしようと思ってコッチ来たら、たまたま御握さんの姿が見えたんで」

「ナ、ナンパですか……」

「てゆーのはウソでほんとは尾けてきた」

「え」

「あーあ、荷物落ちてるよほら」

 カケルが地面に落ちたノートや筆箱を拾ってのり子に渡してくれた。

「あと、これもな」

 最後に渡されたのは見覚えのある一枚のCD。

 先刻のり子がカケルに預けた『戦国ハニー☆マーマレード組』のアルバムだ。

「なんつーかさあ、俺なんかに言われる筋合いはないと思うんだけどさあ」

 カケルが自分の頭をガシガシと掻きながら、

「御握さんの好きなようにすればいいんじゃね?」

 そう言って柔らかく微笑むカケルの顔を、のり子はきょとんと見つめた。

「霧之助に復讐すんのもしないのも、綾菓子学園に通うのも通わないのも」

 そんなに難しく考えなくてもいいんじゃねーの? と笑うカケル。

 のり子はわけが分からず首を傾げた。

「好きなようにって……どういうことですか?」

「いやー、俺にもよく分かんねーけど。なんか御握さん我慢してるっポイ顔してたから」

「そ、そうですか?」

「御握さんのしたいようにすればいーのにと思って」

「私のしたいように……」

 それはつまり、これからも綾菓子学園に通っても良いということなのだろうか。

 父親の仇も討てないまま、何の目的も持たず、自分を魔女と偽って、魔界の学園にただ楽しむためだけに通う。

 果たしてそんなことが許されるのだろうか?

 のり子は勢いよく頭を左右にぶるぶると振った。

「で、でも私っ、魔女だって嘘ついてたし……」

「まあいいんじゃねえの? A組の雪原冷花ゆきはられいかなんて雪女だって言ってたくせに本当は雪男らしいし」

「マ、マジですか……。でででも私っ、こんな学生服着てるけど本当は二十歳超えてるんです!」

「んなコト言い出したら無念のヤツなんて五百歳超えてるけど?」

「あ、そうか」

 あはは、と思わず笑ってしまったのり子につられて、カケルも噴き出した。それを見てのり子もまた笑い出し、二人でケタケタと笑っていたら通行人のおばさんに変な目で見られてしまった。

「――ほんとだ。今夜は満月なんですね」

 ひとしきり笑い合った後、空を見上げた。

 まあるいお月様が夜空にぽっかりと浮かんでいる。

(……私のやりたいようにやる、か……)

 そんなこと考えてもみなかった。

 思えば今までの人生、ずっと自分のことは後回しにしてきたような気がする。

「――カケル君、私と取り引きして下さい」

 のり子がカケルの目をまっすぐに見つめて言った。

「取り引き? そういうのは俺じゃなくて優也の得意分野だけど」

「学食のカツ丼でいかがでしょうか」

「へ?」

「口止め料ですよ」

「何の口止め?」

「私が普通の人間だってこと、黙っておいてくれないと学校に通えないじゃないですか」

 カケルの獣耳が、ぴんっと動いた。

 綾菓子学園はどんな種類の化け物でも入学できるが、人間だけは無理なのだ。

「――その話、乗った」

 カケルがニヤリと不敵な笑みを浮かべて、

「味噌汁もつけてくれる?」

 こぶしを前に突き出してきたので、のり子も負けじと握りこぶしを作った。

「取り引き成立ですね」

 カケルのこぶしに、自分のこぶしをちょこんと合わせて笑った。

「――おおーい、のり子! 何やってんだ早く入ってこいよ~!」

 自分を呼ぶ声にのり子が振り返ると、いつの間にか家の中に煌々と明かりが点いている。

「今夜はお前の好きな豚の生姜焼きだぞォー!」

 二階のベランダで、満面の笑みで大きく手を振っているのはどう見てものり子の父・梅座衛門だった。





 

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