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6. 最後にうどんを入れると美味しいですよね





 さっきまでの太陽はどこへ消えたんだ。


 突如として現れた雨雲が瞬く間に空を覆い、冷たい風が吹きつけ、更には雷鳴までもが轟き始めた。

「こ、ここが霧之助君の家……」

 のり子の眼前にそびえ立っているのは、ヨーロッパの古い映画でしか見たことがないような大きな屋敷。いや屋敷と言うより、もはや城に近い。

 しかし城と言っても、姫や王子が登場するような煌びやかな城ではない。

 蔦が絡みついた年季の入った城壁、上空に飛び交うカラスやコウモリ、城の向こう側には黒くて大きな森。まるでここだけ別世界のようである。

 おまけに突然、深い霧が辺り一面を覆った。

(霧って、風が強い時は発生しにくいんじゃなかったっけ……?)

 ゴウゴウと風が唸る中でも霧はびくともせず、のり子の周辺にがっつり居座っている。

「やっぱ帰ろうかな……」

 駅前で買った豆大福の紙袋を握りしめ、のり子は立ちすくんでいた。

 霧之助が一週間も学校を休み続けている。

 原因はもちろん、悪霊の血を吸ったことによる体調不良だ。

 親の仇である霧之助に命を救われたのり子は若干複雑な気持ちではあったが、それでも恩人には違いない。お礼を兼ねてお見舞いにとやってきたのだが、

「まさかこんなガチな家に住んでたなんて」

 無念の家がアレだったので、霧之助の家もてっきり現代風な感じかと思っていたのに、こんないかにも吸血鬼っぽい家だったとは。

 やっぱり今日はやめとこう、とのり子がきびすを返したその時、

「――どうぞ中へお入り下さい」

 ギ、ギ、ギ、と音を立てて開いた門の隙間から見えた人影に、のり子は思わず「ヒッ!」と声を上げてしまった。

 黒い燕尾服に身を包んだ白髪の老人が、蝋燭の灯った燭台を手に立っていた。

「さあどうぞお嬢様。大広間で旦那様がお待ちです」

 だ ん な さ ま っ て だ れ

「……あ、あの、私」

「どうぞ中へ。じきに雨が降ります」

「でも、私は……」

「そのままでは濡れてしまいます。早くお入り下さい」

 なんだこれどうしたらいいんだと脳内パニックを起こしたのり子は帰りますとはどうしても言えず、使用人についてふらふらと中へ入った。


 屋敷の中には電気が通っていないのか、ほぼ真っ暗で、使用人の持つ蝋燭の灯りだけを頼りに長い廊下を歩いた。

 時折、窓から差し込む稲光が目の前を白く照らしたが、その度に古い肖像画や彫刻や甲冑が目に飛び込んできてホラー感満載である。

(これはもしかして、私、かなりやばい状況なのでは……)

 帰りたい気持ちでいっぱいだったが、どうすることもできない。

 ただひたすら涙目で使用人の後について歩いた。

「こちらが大広間でございます」

 重そうな扉が左右に開かれた。

 どうぞ中へ、と促されておそるおそる足を踏み入れる。

「――これはこれは。血坂家へようこそ若い娘さん」

 低いバリトンの声が大広間に響いた。

 黒タキシードに、大きな黒マントを羽織った長身の男性が、にこやかにのり子を歓迎してくれた。

「初めまして、私は霧之助の父、闇之助やみのすけです。いつも息子が何かと世話をかけているそうで」

 白い肌の端正な顔立ちに、赤く光る鋭い瞳。

 にこりと微笑んだ口には鋭い牙が光っている。

 ――ガチだ。

 これはあまりにもガチすぎる。

「あああああのあのわたしお見舞いにきただけであのこれ豆大福ですさようならわたしかえりますので」

「ほう、豆大福は霧之助の好物だ。これはありがたい。爺や、茶の支度をしろ」

「いいいいいえわたしかえりますからおかまいなくほんとにまたあうひまで」

「今日は霧之助の体調がすこぶる良いらしい。じきに下りてくるからそこへかけて待っていなさい」

 赤い瞳に射抜かれてしまっては逆らいようがない。

 ダ・ヴィンチの最後の晩餐かっちゅーくらい長いテーブルの、一番端の椅子にちょこんと座った。

 ――もうだめだ、きっと私はここで死ぬんだ。

 のり子は死を覚悟した。

 親の仇相手にお礼するのが癪だとか、重要なのはそこじゃなかった。

 吸血鬼の館にたった一人でのこのこ来たのが大間違いだったのだ。

「――どうぞお召し上がり下さい」

 のり子が力なく項垂れていたら、使用人が豆大福と緑茶を運んできた。

「さあ遠慮せずに食べなさい」

 柔らかな物腰で闇之助もテーブルに着いた。

「大福に合わせて緑茶を煎れさせた。御握さんのお口に合うと良いのだが」

「あ、ありがとうございます……」

「では私もひとついただこうかな」

 闇之助が牙を光らせて大福にかじりついた。

 どう考えても大福を食べるのに、あの牙は必要ない。

 そう、あの牙は他でもない、人間の首に噛みつくためにあるのだ。

「あ、あの、私やっぱり……」

 何としてでもこの城を逃げ出そう、のり子がそう決意して立ち上がった時、

「――あ、ほんとだ御握さんだ」

 霧之助が大広間にやってきた。

 父親と同じく、黒タキシードに黒マントを羽織っている。

 学校での制服姿しか見たことがなかったので、なんだか別人のようだ。

「久しぶりだね御握さん。わざわざお見舞いありがとう」

「いえ……ていうか霧之助君も家ではそういう恰好なんですね」

「ああ、さっきまで寝てたから。ごめんね、こんなパジャマ姿で」

 それパジャマなんかい!

 じゃあアンタのオヤジもあれパジャマかい!

「霧之助、御握さんがお前の好きな豆大福を持ってきてくれたぞ」

 父親の穏やかな声にのり子のツッコミも引っ込んだ。

「ありがとう御握さん。俺が豆大福好きなのよく知ってたね」

「カケル君が教えてくれたので……」

 のり子が恐縮しながら答えると、普段あまり笑わない霧之助がにこりと微笑んだ。

「ここんとこ、ろくな食事してなかったから嬉しいよ」

 早速食べるね、と言って霧之助もテーブルに着いた。

 豆大福を美味しそうにもぐもぐと頬張る霧之助は、吸血鬼のコスプレをした普通の少年にしか見えない。

「――我が息子霧之助よ」

 闇之助がふいに立ち上がり、大きな黒マントをバサリとはためかせた。

「今宵のディナーに、御握さんを招待しようではないか」

 さあ晩餐の準備を! とダンディーなイケメンボイスが屋敷中に響き渡った。

「いいねそれ。良かったら食べて行きなよ御握さん」

「いやいやいやいやいやいや! 私もうおいとましますから!」

「遠慮せずとも良い。今、特別な料理を用意させているところだ」

 闇之助が、のり子の肩にそっと手をかけた。

「と、特別な料理……ですか?」

「そうとも」

 闇之助が薄闇の中でニヤリと笑い、舌なめずりをした。

「客人をもてなす、最高の料理だ」

 カッ! と稲妻が光り、闇之助の顔を青白く浮き上がらせた。



「――すき焼きですか」

 ぐつぐつと煮立ったすきやき鍋をのり子は茫然と見つめた。

「あ、父さんまたすき焼きにフランスパン入れてる」

「いいじゃないか美味いんだから」

「お客さんが来てる時に変わり種やめてよ恥ずかしいから」

「何を言うか。すき焼きのダシが染みたフランスパンは最高だぞ。御握さんも良かったら試してみなさい」

「は、はい」

「無理しなくていいよ御握さん」

「は、はい」

 案内された和室に用意されていたのはすき焼きであった。

 三人とも丸いちゃぶ台に座り、すきやき鍋をつつき合う。

 てゆうかこの城なんで和室なんて造ってあるんだ。

「我が血坂家の領地で育てた最高級の食材を使っておる。いくらでもお代わりはあるからお腹いっぱい食べなさい」

 上機嫌ですき焼きを頬張る黒マント吸血鬼の姿はなかなかシュールであった。

 のり子は遠慮しつつも味のよく染みた白菜や牛肉をいただいた。

「ごめんね御握さん。うちの父さん強引で」

「いえ……すき焼きは私も大好物ですから」

「それなら良かった。御握さんちのお父さんもすき焼きにフランスパン入れたりする?」

「いや……うちの父は……」

 のり子の顔色が一瞬曇ったのを素早く感じ取った闇之助が咳ばらいをした。

「こら霧之助。よそのご家庭を深く詮索するでない。それよりお前はいつまで学校を休んでいるつもりだ?」

「明日からは行くよ。もう治ったし」

「全く、悪霊の血ごときで腹を壊すなんざ、我が息子ながらなんて情けない奴だ」

「そ、そのことなんですが」

 のり子が二人の会話を遮り、頭を下げた。

「あの時は私のせいですみません、助けて頂いて……」

「礼などいらぬぞ御握さん。コイツが間抜けだからしくじったのだ」

「もー父さんさっきからうるさい。でもほんとお礼とかいいよ。御握さんに怪我がなくて良かったよ」

 のり子はどうにも腑に落ちなかった。

 五治郎のマンションでの一件以来、ずっと疑問に思っていたことがある。

「あの……霧之助君」

「なに?」

「どうして私を助けたんですか?」

「……へ?」

 霧之助が目を丸くした。

「だって、悪霊の血を飲んだらいけないって、小学校で習うんですよね?」

「ああ、うん」

「分かってたのに、なんで私を助けたんですか?」

「いや、なんでって……助けるでしょフツー。あのままだったら御握さん殺されてたかも知れないし」

「私が死んでも別に霧之助君は困らないじゃないですか」

 霧之助が、ぽかんと口を開けた。

 のり子は真剣な目で霧之助を見つめている。

 本当に分からない、だから理解できるように説明して欲しい、と訴える目だ。

 どう答えたらいいものかと霧之助が頭をぽりぽり掻いていたら、

「――御握さん」

 闇之助が静かに茶碗を置き、父親らしい柔らかな眼差しをのり子に向けた。

「御握さん。君は、帽子が風で飛ばされそうになったらどうするかね?」

「え……ええと、手で押さえると思います」

「それと同じだよ」

「同じ?」

「身体が勝手に動くだけだ。そこに意味などない」

 にこりと微笑む闇之助の頬には白いご飯粒がついていた。

「父さん、それだと例えが悪いよ」

 霧之助が呆れたように言った。

「人命救助と帽子を同じにするのは良くないって」

「そうか? では熱いヤカンを触って思わず手を引っ込めるのと同じ、と言えば良かったかな?」

「もっと悪いよ。あと顔にご飯粒ついてるし」

「うむ……。そもそもお前が軟弱だからいけないのだ。悪霊退治くらい朝飯前にできるようにならんといかん」

「別に俺は悪霊退治とか目指してないし」

「日頃の鍛錬が足りんからそういうことになるのだ。フランスパンを食べないからそういうことになるのだ」

「フランスパン関係ないし。ちょっと黙っててよ父さん」

「うちの料理長が焼き上げた最高のフランスパンだぞ。焼きたてがたくさんあるから御握さんもお土産に十キロほど持って帰ると良い」

「フランスパン十キロは迷惑だよ父さん。それならお米とか野菜の方がまだ使い勝手が良いんじゃないかな」

「うむ。そうだな。では米と野菜を十キロずつ持って帰りなさい」

「なんで十キロにこだわるの。御握さん重たくて持って帰れないじゃん」

「もちろん馬車で自宅まで送らせるに決まっているだろう」

「でも今日は馬がみんな出払ってるって。母さんが歌舞伎観に行くのに使ってるから」

「ケルベロスが残っておる。あれを使えば良い」

「え、でもアイツ新宿行く時に使ったらいきなり南極に到着したけど」

「それはお前が行き先を細かく説明せんからそういうことになるのだ」

「いやそういう問題じゃないと思うけど」

「ちゃんと住所を番地まで正しく入力設定すれば大丈夫だ」

 二人のやりとりを聞いていて、のり子は妙な感覚に陥った。

 霧之助と闇之助の会話は、内容はともかく、人間界でもよく見る普通の親子のようである。

「御握さんのお宅は何丁目だね? 今宵は我が血坂家のケルベロスで送って差し上げよう」

「安心してね御握さんケルベロスは使わせないから。あれを使うくらいなら歩いた方がマシだから」

「そうだ、なんなら今夜は我が城に泊まっていきなさい。部屋はいくつも余っているぞ」

「父さんいい加減にしてよ迷惑の極みだから」

「いやあ、霧之助の友達が訪ねてくるなんて珍しいのでな。つい浮かれてしまったな。ははははははは!」

「母さんも昨日言ってたけどほんと余計なことしか言わないよね。気にしないでね御握さん」

 二人の会話をずっと聞いていたのり子は無言で箸を器に置き、

「う……うわあああああああんっ!!」

 涙を流しながら部屋を飛び出した。

 長い廊下を走り抜け、驚き顔の使用人の横をすり抜け、城の外へと出た。

 冷たい雨が降っていたが、構うことなく走り続けた。


 ――のり子は薄々気づいていた。

 綾菓子学園に初めて登校したあの日から、なんとなく気づいてはいたのだ。


 血坂霧之助が、基本的に、いい人であることを。


「できない……っ、私には、霧之助君を倒すなんてできない……!」


 のり子は泣きながら、雨の中をどこまでも走り続けた。





「……あーあ、父さんがケルベロス使うとか言うから御握さん怖がって帰っちゃったじゃん」

 和室に取り残された吸血鬼親子は、ただ茫然としていた。

「――霧之助」

「なあに父さん」

「御握さんは本当に魔女の子孫かね?」

「どういう意味?」

「ふむ……私にはとても魔女の子孫には見えんのだ。どう見てもあの子は……」

 闇之助はしらたきをズルズルとすすりながら、

「……あの子は妖怪座敷童、という感じにしか見えんな」

「それ御握さんに失礼だよ父さん」





 

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