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5. よく見るのは医療ドラマです





 のり子と霧之助はそのマンションを見上げて言葉を失った。


 二十階建ての、綺麗でお洒落で都会的でハイグレードなマンション。

 築三年、3LDK、オートロック、システムキッチン、オール電化、温水洗浄便座、床暖房有、LDK二十五畳以上、最寄り駅まで徒歩五分。そして何よりすごいのが、


 月々の家賃が三千円。


「完全にワケアリだよね」

「やっぱり……」

 のり子の言葉に、海神とステゴサウルス妖精のハーフである五治郎はがっくりと項垂れた。

 その五治郎の背中を、霧之助がぽんぽんと優しく叩いて、

「でも中に入って確認してみないと分からないよ」

 と言った。

「そうですね。一応入ってみますか」

「うう、ありがとう霧之助君、御握さん」

 のり子、霧之助、五治郎の三人はマンションのエントランスロビーへと入った。

 なぜ三人がこんなところへ来ているかというと、話は今日の午前中に遡る。



「――御握さん、僕ね、学校前のマンションに引っ越ししたんだけど、部屋を見に来てくれないかな」

「嫌だけど」

「早い!」

 のり子の塩対応に五治郎がさめざめと泣き出したのを見て、霧之助が仲裁に入ってきた。

 霧之助の話によると、五治郎の両親が今春から映画の撮影で一年ほど人間界へ転勤することになったらしい(突っ込みどころ満載だがのり子は全部スルーした面倒だから)。

 だけど五治郎は学校があるし、人間界に住むのは怖いという理由で、学校前のマンションで一人暮らしすることにしたんだとか。

「……で、なんで私が五治郎君の部屋を見に行かなきゃいけないの?」

「実は、そのマンションの家賃が超安いんだ」

 五治郎が恥ずかしそうにもぞもぞと話し始めた。

「引っ越して一週間経つんだけど、部屋は快適で特に何の問題もないんだ」

「良かったじゃない」

「でも僕には分からないだけで、本当は事故物件かも知れないから、誰かに部屋を見てもらいたくて」

「はあ」

「今日、霧之助君に見に来てもらうことにしたんだけど、人数は多い方が心強いから御握さんにも来て欲しいんだ」

「なんで私?」

「だってこないだジャックと対峙した時ちょっとカッコよかったし。なんか頼りになりそうなイメージあるもん」

「はあ……」

「お願い! ちょっと部屋を観察してくれるだけでいいんだ」

「でも……今日は『Let’s天才てれびくん』が生放送だから早く帰って茶の間戦士にならないと」

「そりゃ早く帰らないといけないね! でもすぐに終わるからお願いします!」

 五治郎のお願いに根負けして、しぶしぶ行くことにした。まあ霧之助も一緒だから復讐のチャンスがあるかも知れないし。


「――ここだよ、五四六号室」

 というわけで五治郎の部屋までやってきた。

 ドアを開けて、中へ入ってみる。

「うわあ、すごく広くて綺麗な部屋だね」

 ドラマの中で見るようなお洒落な内装に、のり子は感嘆の声を上げた。

 広々としたフローリングに、間接照明の柔らかな明かり。

 バルコニーからの眺めも最高で、キッチンやお風呂には最新の設備が整っている。誰もが羨むような高級マンションである。

「ほんとだね。とても家賃三千円には見えない」

 霧之助も感心しながら部屋の隅々まで見渡し、「何の問題もなさそうだよ」と言った。

「良かった~。二人にそう言ってもらえて安心したよ。お茶入れるから適当にそこ座ってて」

 五治郎はいそいそとキッチンへ向かった。

「紅茶とコーヒーとオレンジジュースがあるけど、二人は何にする?」

 五治郎が冷蔵庫を開けながら聞くと、

「私はコーヒーで」

 と、のり子が答え、

「俺はオレンジジュースがいいな」

 と、霧之助が言った。

「じゃあ俺は紅茶で」

 という声も聞こえた。

「あれ? なんか人数多くない?」

 五治郎が振り返ると、リビングのローテーブルの前に座るのり子と霧之助の間に、

「――お邪魔しております」

 白い着物を着たずぶ濡れの男性が座っていた。




「――早世影男はやせかげおと申します。一年ほど前からここで暮らしている幽霊です」

 男は正座して丁寧に挨拶をした。

 年齢は二十代後半くらいか。ひょろりと痩せ型で、これと言った特徴のない平凡な顔立ちである。

「……僕、ずっと知らずに幽霊と暮らしてたんだ……」

「すみません」

 涙を流す五治郎に、ずぶ濡れ幽霊の早世影男は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。

 早世の額には三角形の白い天冠がついていて、着ている白い着物はもちろん左前。二百メートルくらい先から見てもすぐに幽霊と分かりそうなくらいの幽霊らしさである。

「早世さんは、生前この部屋で暮らしてたんですか?」

 霧之助が質問すると、早世は人の好さそうな笑顔を浮かべて、

「いえ、俺はもともと普通の人間だったんです。だから人間界のマンションで暮らしてました」

 と、言った。

 なるほど確かにそう言われれば。全身ずぶ濡れではあるが、尻尾や羽根もついていない、いたって普通の人間だ。

「人間だったのにどうして魔界のマンションに来てしまったんですか?」

 のり子が聞くと、早世は「それが……」とため息を吐いた。

「幽霊になってすぐの頃は自分が住んでた部屋に取り憑いてたんですけど、俺が死んだせいで事故物件になったから誰も住まなくなっちゃって。住人がいないとやっぱり退屈でしょ。いいとこないかなあってうろうろ探してたら、いつの間にかこの部屋に辿り着いてました」

「事故物件になったというのは……?」

「はい。俺は生前、売れない役者でした」

 あーそんな感じする、と三人は同時に思った。

「通行人とか死体の役ばっかりでしたが、それはそれで充実した毎日でした。死体の役もやってみるとすごく難しくて、奥が深いんですよ」

 早世の目が、急に生き生きと輝き始めた。

「どうせなら死体役を究めてやろうと日々努力していました。湖面から逆さまに両足だけを出す死体の役がいつか来るかも知れないからその時のために自宅のお風呂で練習してたら本当に溺れて死んでしまったんです」

「その役が来たら名誉ですが体張りすぎましたね」

 と、のり子が言うと、霧之助も「そりゃ事故物件になるね」と言い、うんうんと頷いた。

「二人とも感心してる場合じゃないよ!」

 五治郎が叫びながら立ち上がった。

「出て行ってもらわないと困るよ! ここは僕の部屋なんだから!」

「ええ~? そんな急に出て行けとか言われても俺も困りますよ。住むトコなくなるじゃないですかあ~」

 早世が口を尖らせたが五治郎は構うことなく、

「知らないよそんなの! 住むところがないなら成仏すればいいじゃん!」

 ああなるほど、とその場にいた全員が納得しかけたが、

「成仏ってどうやればいいんですか?」

 早世の質問に三人ともがフリーズした。

 誰も成仏の仕方を知らないらしい。

「……そういうのって、ほら、あの、D組の三途野川太郎君のお仕事じゃないですかね」

 と、のり子が霧之助に向かっておずおずと提案してみたが、

「でも川太郎君は今アメリカに出張中なんだ」

「グローバルですね川太郎君」

 死神も色々と忙しいらしい。

 しかし死神に来てもらえないとなると、一体どうすればいいのか。

 うーん、としばらくみんなで考え込んでいたら、五治郎が「はい!」と力強く挙手して立ち上がった。

「幽霊って、この世に未練があるから成仏できないんだよね。僕たちで協力して未練を断ち切ってあげればいいんじゃないかな」

 それはいい考えかも知れない。

 本来なら無事に成仏しているはずなのに、こうして幽霊となって魔界のマンションに取り憑いているということは、何らかの未練があったからに違いない。

 しかし早世の未練とは一体何だったのか。

「生前は売れない役者だったワケだから、やっぱ俳優として大ブレイクとかしないと成仏できないんじゃない?」

 霧之助の言葉に、のり子は「あ」と小さな声を上げた。

「ねえねえ五治郎君、ご両親が人間界で映画撮影やってるんだよね?」

「うん、そうだけど……」

「関係者の人になんとかお願いして、早世さんも映画に出させてもらおうよ!」

「いいねそれ!」

 ナイスアイデア! と、五治郎とのり子がハイタッチしていると、

「あのう、盛り上がってるとこ悪いんですけど、どうせなら月9ドラマに出たいなあ」

 早世が謙虚な態度で高度な要求を突きつけてきた。

 のり子は冷たい目で早世を睨みつける。

「なに贅沢言ってるんですか早世さん。選り好みしてる場合じゃないですよ。映画に出られるならどんな役でもいいでしょ」

 と、のり子が言うと、早世は「分かってないなあ」と呆れた声を出した。

「それだと生前と変わらないですよ。未練を断ち切るなら、俺の願望を完全に叶えないと意味がないと思います」

「そりゃあまあ……そうかも知れないですけど」

「だったら月9がいいなあ。俺に似合う役で」

「似合う役って、どんなのですか?」

「そうだなあ、超人気アイドルの美少女が多忙な日々に嫌気がさして撮影スタジオを抜け出し、街をさまよっている時にひょんなことから冴えない気弱なフリーター男と出会い、恋に落ちていくドラマのフリーター男役がやりたいです」

「うわあ、使い古された感満載の恋愛モノですね」

「そうですか?」

「しかも月9のイメージに合わないです。もっと大人っぽいのをお願いします」

「じゃあ……一人暮らしのサラリーマンの元へ突如許嫁を名乗る美女が現れ、学生時代の初恋のマドンナとも再会し、職場の美人上司と現在交際中の恋人も押しかけてきて、なんだかんだで全員で同居するはめになってしまうラブコメディドラマの主人公をやりたいです」

「女性から見るとイラッとする設定ばかり出してきますねあなた」

「え、そうなんですか?」

「はい」

 のり子はすっくと立ち上がった。

「そんなのは全部ダメです。月9ドラマの視聴者の中心は何と言っても女性ですから、やはり女性に視点を置いた設定じゃないと!」

「御握さん急に力強いね。女性視点って例えばどんなやつ?」

 霧之助が聞くと、のり子はぐっと握りこぶしを作った。

「恋人のいないバリバリのキャリアウーマンが、家族から結婚はまだかと催促され、家族を納得させるために街で偶然出会った美青年を金で雇い、婚約者役を演じてもらっているうちに本当の恋に落ちていく話がいいと思います! あ、しかもこの美青年は実は大富豪だったというのが最終回で判明します」

「御握さんのはハーレクイン系だね」

 霧之助に指摘されたのり子は、若干頬を赤く染めながら静かに座り直した。

 すると今度は五治郎が小さく手を挙げた。

「ねえねえ御握さん、僕もアイデア出していいかなあ?」

「却下」

「まだ何も言ってないのに!」

「どうせアレでしょ、海の向こうから謎の巨大生物がやってくる話でしょ」

 なんで分かったの! と五治郎が悲鳴を上げた。

「霧之助君はどんなのがいいと思うんですか?」

 のり子が今度は霧之助に振ってみると、

「そうだなあ……俺はあんまりドラマとか見ないんだけど……」

 霧之助は腕を組みながらしばらく思案した後、顔を上げた。

「やっぱりいつの時代も人気があるのはサスペンスだから、遺産相続で揉めてる三姉妹が次々と怪奇事件に巻き込まれているところへ名探偵が現れる話がいいと思う」

「ああ、それだと早世さんの命がけの訓練も役立ちますしね」

 霧之助のアイデアに全員が納得した。

 そうしようそれにしようリメイクドラマにしよう、と言って三人は立ち上がり、早速テレビ局へ話を持ち込みに行こうとしたが、

「――いやあ、そんな面倒臭いことはしなくていいですよ」

 早世がゆっくりと立ち上がり、三人を制した。

 そしてのり子に向かって、にっこりと優しく微笑んだ。

「すみません、実は俺、嘘をついてました」

「え?」

「本当は売れない役者なんかじゃありません」

「そうなんですか?」

「でも死体が好きなのは本当です。特に――」

 あっ、と思った時にはもう、のり子の視界は真っ暗になった。

「――特に若い女の死体は大好物です」

 早世の両腕の肘から先だけが、黒い煙のような物体に変化していた。それがのり子の顔面にギチギチと音を立てて強烈な力で巻きついていく。

「冥土の土産にお前も道連れだ!」

 息ができなくて床に倒れ込んだのり子を見て、早世はギャハハと甲高い笑い声を上げた。

「生きてる時に若い女を何人も殺ったんだ! 逃走中に湖に落ちて死んじまったが、死んでも殺しはやめられねえな!」

 早世の笑い声を聞きながらのり子は必死でもがいた。だがどうしても黒い物体を顔から引き剥がすことができない。意識を失いかけたその時、

「……ぶはッ!」

 やっと黒い物体が顔から剥がれて息ができた。

 ゲホゲホと咳き込みながら見たのは、薄気味悪い笑みを浮かべたまま固まっている早世の姿。

 その早世の首筋に、霧之助が牙を剥き出しにして噛みついていた。

「ギャアアアアアアアアアアッ!!」

 悲鳴を上げた早世はみるみる全身が黒い影に変わり、その影は床にぐしゃりと崩れ落ちた。

「あ、あ……あくりょうたいさああああんッ!!」

 五治郎の口から発射した光線が黒い影に直撃した。

 影は跡形もなく消え去り、嘘のような静寂が部屋の中に訪れた。

「――御握さん、大丈夫だった?!」

「う、うん……」

 五治郎が駆け寄ってきて背中をさすってくれた。

 のり子は未だに心臓がバクバクしている。

「そう言えば僕、こないだニュースで見たよ。地獄行きの死者が脱走して魔界をさまよっているって……」

 アイツのことだったんだね、と五治郎が言った。

 のり子は身体の震えが止まらなかった。

 魔界の誰よりも、あの早世という人間の方がこんなにも恐ろしいなんて、なんだかとても嫌な気持ちである。

「あ、あの、霧之助君……」

 見上げると、霧之助は無表情で立ったままである。

 助けてくれたお礼を言わなくてはと、のり子は震える足に力を入れて立ち上がり、霧之助の前まで行ったその時、

「……おええええええええええッ!!」

 霧之助が吐いた。








「――あれ、霧之助のヤツ、今日も休み?」

「なんか、地縛霊の血を吸って腹壊してるらしいよ」

「マジでえ? 悪霊系の血は飲んじゃだめって小学校で習うだろ」

「だよな。ヘタすっと死ぬもんな」

「腹壊すくらいで済んで良かったじゃん」

「つかなんで飲んだんだろ。フツーしないよな」

 バカだよなーと話すクラスメイトのすぐそばで、のり子は額に汗をにじませながら懸命に千羽鶴を折っていた。





 

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