4. 甘党の死神で助かりました
杭もだめ、
十字架もだめ、
となれば一体どうすればいいのか。
「ハローのり子ちゃんどうしたの浮かない顔して。何か困り事?」
六時限目終了後、ため息混じりに教科書を片づけていたら、魔谷優也が金色の髪を輝かせながらやけに嬉しそうな顔で近づいてきた。
悪魔は人が落ち込んでいるのを見るのが好きなんだろうか。
そう言えばこないだも、伝説の不良に絡まれている時に偶然現れた。
困っている人のところに現れては、舌先三寸で契約を取り付けるのが悪魔の手口なのかも知れない。
「元気ないね。良かったら僕が相談に乗るよ?」
「……何でもないです放っておいて下さい」
「あ、もしかして僕と契約したくなったんじゃない?」
「違います私そんな尻軽女じゃありません」
「のり子ちゃん何か誤解してない?」
失礼しますまた明日、と頭を下げて教室を出た。
帰りに古本屋にでも寄って、吸血鬼の攻略本的な何かを探してみよう。
「――御握さん」
下駄箱のところで声をかけられた。
誰かと思えば、口裂け女の口本咲子が後ろに立っていた。
「どうしたんですか咲子さん」
「私、見たんだけど」
「何を?」
「昨日の放課後、御握さんが黄泉の鳥居に入っていくところ」
ぼとり、とのり子の手から上履きが落ちた。
「今朝も黄泉の鳥居から出てきたでしょ」
得意げに話す咲子を前に、のり子はじりじりと後ずさった。
――黄泉の鳥居。
地元の人間すら近づかない雑木林の中にそれはある。
ある物を身につけてその鳥居をくぐると、異界へと繋がるのだ。
のり子はそうやって毎日、人間界からこの綾菓子学園へと登校している。
まさかそれを見られていたなんて。
「大人しそうな顔して、なかなかやるわね」
咲子が腕を組みながらうむうむと頷いている。
「御握さん、人間界へ出稼ぎに行ってるんでしょ?」
「……へ?」
「分かる分かる。私もポイントを稼ぎに週一回は人間界に行くし」
「ポイントを稼ぐって……どうやって?」
「人間を驚かせるのよ。生活の基本でしょ」
当然のように咲子が言い放った。
そう言えば以前、家賃がどうとか言っていたような。
「御握さんて、見た目が地味でいかにもダメ魔女で一族の落ちこぼれってカンジだけど、なかなか出世欲あるのね。見直したわ」
「咲子さんの歯に衣着せぬ物言いは嫌いじゃないです私」
「御握さん、今日は私も一緒につき合ってあげる」
「は?」
「じゃあ行こっか」
「どこに?」
「人間界に決まってるでしょ!」
咲子が満面の笑みなのはマスク越しでもよく分かった。
学校帰りの若者で大通りは溢れ返っている。
ここは人間界。咲子と二人で黄泉の鳥居をくぐってきたのだ。
「――最近の人間は、口が裂けてるぐらいじゃ驚かないのよね」
学生の波を眺めながら咲子がため息を吐いた。
その昔、日本中を恐怖に陥れた口裂け女も、近頃は苦労をしているらしい。
「マスクを外して裂けた口を見せても、ハロウィンパーティーの特殊メイクと誤解されちゃうし」
「ああ……それは悲しいですね」
「だからね、今日はいつもとは違う、新しいマスクを用意したのよ」
咲子がのり子に背を向けて、マスクを取り換えた。
「こういうのどうかな」
くるり、と振り返ると、新しくつけたマスクには文字が書いてあった。
〝安心して下さい。裂けてますよ〟
「何をどうしたいんですか咲子さん」
「裂けてますって書いてたらまさか本当に裂けてるとは思わないでしょ。でも外したらマジで裂けてた、ってのは結構驚くかなあと思って」
「どうでしょうか……ただのウケ狙いだと思われますよ」
「そっか……。じゃあ特殊メイクで裂けてない普通の顔に見せておいて、油断したところ裂けた口を見せるってのはどうかな」
「とにかく逆の発想的な何かで驚かせたいんですね」
「だってそれしか思いつかないんだもん。よし決めた。今からメイク道具買いに行くからつき合ってくれる?」
「ああ、はい」
近くの大型ディスカウントストアに入り、パーティーグッズコーナーへと足を運んだ。
色とりどりの陳列棚に若干めまいを覚えながらも、咲子の後をついて歩く。
「見て見て御握さん、このネイルシール可愛い!」
咲子がネイルシールを手に取り、嬉しそうに目を細めた。
雑貨やメイク用品を選びながらはしゃぐ姿は、まるで普通の女子高生である。
「本当だ可愛いですね」
「私これ買お。クリィミーマミのネイルシール」
「クリィミーマミ好きなんですか?」
「うん超好き。あ、こっちにラムちゃんの電撃シールもある」
「メイク道具はどうしたんですか咲子さん」
「ああ、そうだったわね」
ネイルシールを数種類と、特殊メイクセットを買った後、精算を済ませて店を出た。
「あ、そうだ御握さん、プリクラ撮ろうよ!」
すぐ近くのゲームセンターに吸い込まれるようにして入って行く咲子を、のり子は慌てて追いかけた。
「御握さんはどの機種がいい?」
「や、そんな、よく分からないのでどれでも……」
「じゃあこれにしよう! めっちゃきれいに撮れるし!」
のり子はワケが分からないまま咲子に合わせて何回かポーズを撮り、タッチペンで画面にさらさらと落書きをする咲子を横であんぐり口を開けて眺めた。
「ちょっとインパクト弱いかなー」
でき上がったプリクラを見て咲子がなにやら唸っている。
写真を撮られるのが苦手なのり子は、撮影終了にほっと一息吐いていたのだが、
「よし、今度はこっちのやつで撮ろうよ!」
「え、まだ撮るんですか……?」
のり子はゲンナリした。
結局、五台ものプリクラ機をはしごして撮影し、最後にはメイドのコスプレまでやった。
「わーい! すごくいいのが撮れたね!」
「それはよござんした……」
「あ、ちょっと待って御握さん!」
「今度はなんですか」
「豆ジローを助けたいの!」
「はい?」
咲子が今度はクレーンゲームのガラスケースに張りついた。
中に入っている大きな犬のぬいぐるみがお目当てらしい。
「待っててね豆ジロー! 今日こそは連れて帰ってあげるからね!」
五千円つぎ込んだところでのり子が強制連行した。
「待って御握さん! 最後にこれだけ!」
豆ジローを救えなかった悲しみをこれにぶつけたいの! と言って咲子が喰らいついたのはダンスゲーム。画面上のキャラクターに合わせて踊り、点数を稼ぐゲームらしい。
「――ちょっと見てあのマスクした女子高生、上手すぎるんだけど」
これにはのり子も驚いた。
咲子のキレッキレなダンスパフォーマンスに、人だかりができてしまった。
「ちょ、ちょっと咲子さん、そろそろ……」
「うんごめんねあと一曲!」
「人間を驚かせる計画はどうしたんですか」
「でもほら、みんな私のダンス見て驚いてるっぽいし」
「え、そういう種類の驚きでもいいんですか?」
「……いくないよね」
ギャラリーから拍手を受けながらその場を立ち去った。こんなに華々しくゲーセンを出たのは生まれて初めてである。
「どうぞ割引券でーす!」
ゲーセンを出てすぐのところで、チラシを配っている男性からカラオケの学生割引券を受け取った。それを見るなり咲子はきらきらと目を輝かせた。
「見て御握さん! 本日限り学生半額だって!」
「はあそうですか」
「行こう御握さん!」
「やっぱり」
二人でカラオケに行き、二時間半歌いまくった。
咲子が歌いながらマスクを外しやしないかとヒヤヒヤしたが、最後までマスク着用のままで見事に歌い切った。
「あー歌った歌った~!」
カラオケ店を出ると、空にはもう月が浮かんでいた。
満足顔の咲子が夜空に向かって大きく伸びをした。
「久々にたっぷり歌ってスッキリしたわー!」
「咲子さんが歌う『プレイバックPart2』はなにやら迫力満点でした」
「そお? 御握さんの『明日があるさ』もやけに哀愁が漂っていてあれはあれで面白かったよ」
「ありがとうございます」
「もうすっかり暗くなっちゃったね。でも楽しかったー!」
上機嫌で歩く咲子の後ろ姿をじっと眺める。
こうして見ると、本当に普通の女子高生そのものだ。
「――どうしたの御握さん?」
振り返った咲子が問いかけてきた。のり子は意味が分からず首を傾げる。
「いや、御握さん笑ってるから」
思わず自分の頬に手をやった。
どうやら無意識のうちに笑っていたらしい。
「……私、こうやって同世代の女の子と街を歩いたことって、あんまりないんです」
「そうなの?」
「はい。友達がいなかったので……」
ひどくいじめられたとか、そういう経験はなかったが、今までずっと当たり障りのない人間関係ばかりを築いてきた。あえてそうしようと自ら心がけていたのだ。なので中学でも高校でも親友と呼べる存在は一人もいない。
「だから今日は、なんだかすごく楽しいんです」
ずっとあきらめていた。
女友達と、こうして時間を過ごすこと。
街を無計画に歩いて、時間を無駄に過ごして、何でもないことで笑い合って、でもそれが何よりも楽しい。そんな魔法のようなひとときを過ごすのが夢だった。
「じゃあ、今からもっとたくさん友達作れば、もっと楽しくなるね」
咲子がマスク越しに微笑んだ。
「御握さんと友達になりたいって言ってる子、結構いるんだよ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。C組の目々沢蛇子ちゃんも、御握さんと話してみたいって言ってたし」
「ええと、目々沢さんというのは……妖怪か何かですか?」
「メドゥーサだけど?」
「マジですか」
「目を直接見なければ大丈夫だから」
今度はみんな誘って大勢でカラオケ行こうよ! と咲子は嬉しそうに言った。
のり子はなんだかおかしな気分になってきた。
魔界の学園に通い、妖怪や化け物に囲まれて、本来ならとても恐ろしいはずなのに。
なんだか今日は、とっても心が満たされている気がする。
「――じゃあ、そろそろ帰ろっか御握さん」
「人間を一人も驚かせてないのに帰っていいんですか?」
「うーん。本当はダメだけどもう暗いしお腹空いたし」
「その辺は普通の人間と同じ感覚なんですね」
帰ろ帰ろー、と咲子はスタスタ歩き出した。
向かうは当然、黄泉の鳥居である。
「どうしたの御握さん?」
道路の向こう側で咲子が呼んでいるが、のり子は立ち止まったまま動けずにいた。
「あ、あの……私……」
のり子は、今いる人間界が帰るべき場所なのだ。
どう説明しようかと、のり子が口ごもっていたら、
「――危ない!」
咲子の叫び声が聞こえた時にはもう、のり子は地面に前のめりに倒れていた。
「御握さん大丈夫?!」
「は、はい……」
咲子に抱えられて、よろよろと起き上がる。
ひったくりだ! という誰かの声に顔を上げると、二人乗りの原付バイクが走って行くのが見えた。手にはのり子の鞄が下げられている。
一瞬の出来事でよく分からなかったが、ひったくりの被害に遭ってしまったようである。
ぼんやり立ってたから盗られちゃったんだな……という自責の念が、のり子の胸いっぱいに広がり、情けなくて恥ずかしくて消えたい気持ちになった。
「御握さん、怪我は?」
「ないと……思います……」
どろり、とした生温い感触に視線を下げると、右膝から赤い血が流れていた。不思議と痛みは感じない。
「どこかで傷口を洗うといいわ。それまでこれで我慢して」
咲子が膝に手早くハンカチを巻いてくれた。
「す、すみません……」
「御握さん、ここでじっとしててね」
「え?」
次の瞬間、咲子が消えた。
正確には走り出していた。
「なんだあの女超速えぇぇ!!」
全速力で走る咲子は人ごみをすり抜けて自転車を追い抜き車を追い抜きほんの数秒で原付バイクに追いついた。
「おいやべえ! 女が走って追いかけてくる!」
「女ァ?! 何言ってんだお前?!」
「てゆうかもう追いついてる!!」
原付の二人は自分たちと並行して走る咲子を見て悲鳴を上げた。
髪を振り乱しながら疾走するマスク女なんてホラーどころの騒ぎではない。
「嘘だろ!!」
「スピードもっと上げろ!」
「上げてるよ!」
「もっと出せよ!」
「出してるって!」
「もっと出せ!!」
「これ以上無理だって!」
「いいから出せよ! じゃないと――」
「――私、きれい?」
咲子は走りながらマスクを外した。
「やったわ御握さん!」
数分後、取り返したのり子の鞄を手に、咲子が嬉しそうに戻ってきた。
「今までで最高のポイントを獲得したの! これで当分家賃の支払いは心配しなくて済むわ!」
驚かせたポイントがどのように家賃に換算されるのかが気になるところではあるが、今はそれよりも、
「あの……さっきの原付の二人は?」
「私の顔に驚いてバイクごと川に落ちた」
「だ、大丈夫なんですか?」
「さあ知らない。でもそう言えば――」
パトカーや救急車のサイレンで騒然となっている現場の方角を咲子はぼんやりと眺めた。
「――川の上空に、D組の三途野川太郎君が来てたわね」
「ええと、三途野川太郎君というのは……妖怪か何かですか?」
「死神だけど?」
「マジですか」
あんな二人組ほっときなさいよ、と咲子に何度も止められたが、「夢見が悪くなりそうなので……」と言ってのり子は近くのミスタードーナツで購入したポン・デ・リング全種類を三途野川太郎君に捧げて、とりあえず今日のところはなんとかお帰り頂いて事なきを得た。あくまで今日のところは、だが。
「今日は楽しかったわ御握さん。また一緒に人間界に遊びに行こうね!」
「はあ、まあ……色々ありすぎてよく分かりませんが総合的に楽しかったような気もしますね……」