2. カボチャと言えばワインですよね
「初心忘るべからず!」
御握のり子は叫んだ。
昨日は転校初日で緊張していたとはいえ、血坂霧之助を倒せなかったどころか見知らぬ亡霊のために千羽鶴を自宅に持ち帰ってまで四百羽も折るとは一体何事か。
「初心忘るべからず!」
御握のり子は再び叫んだ。
目の下にクマをこさえながら。
千羽鶴が四百羽入った紙袋をガサガサガサガサ鳴らして桜並木を突き進む。
四月とは言え、吹きつける風はまだ冷たい。
高くそびえる綾菓子学園の校門前で足を止め、鞄の中からネットで新しく購入した杭と木槌を取り出し強く握りしめる。
今日こそは霧之助を討ち取ってみせると心の中で誓い、校内へと踏み込んだ。
「早く逃げろおーっ!!」
校舎へ入って、のり子は驚愕した。
大量の生徒が一斉に階段を駆け下りてきて、右往左往と逃げ回っている。異形の者たちが入り乱れるその光景はまさに地獄絵図としか言いようがない。
「あの、何があったんですか?」
なるたけマイルドなビジュアルをしている生徒を選んで声をかけてみると、そいつは血走った眼でギョロリと睨みつけてきた。
「ジャックが来るんだよ!」
「ジャック?」
「お前知らないのかよ。年に一度しか登校してこない伝説の不良だよ!」
伝説の不良とは初耳だ。
事前に全校生徒を調査したつもりであったが、どうやら調べ切れていなかったらしい。伝説の不良とは一体どんな奴なのか。
「俺の先祖はアイツにひどい目に遭わされたんだ!」
「僕の幼なじみだって!」
「うちは弟が」
「私のペットの泥田坊も」
「とにかくみんな逃げろ! 恐ろしい目に遭うぞ!」
みな散り散りに逃げて行くのを見てのり子も思わず駆け出したが、どこへ逃げていいのか分からない。
(――緊急時の避難場所と言えば、やっぱり校庭かなあ)
のり子がきびすを返して校庭に向かおうとしたその時、
「うわっ!」
思い切り誰かにぶつかって尻もちをついてしまった。
「ご、ごめんなさ……」
見上げて驚いた。
カボチャだ。
カボチャがのり子を見下ろしている。
綾菓子学園指定制服のブレザーとズボン、身体だけ見ればどこにでもいる男子高校生だが、首から上がカボチャだ。
それもスーパーの野菜コーナーに置いてある深緑色ではなく、オレンジ色である。さらに目と鼻に位置する部分に三角の穴、口は半月型にくり抜かれていて、つまりこれはアレだ、毎年十月になると人間界でもよく見る、つまりアレだ。
「――見ねえ顔だな」
カボチャがしゃべった。
異形の者を見るのは慣れてきたのり子ではあるが、コイツは表情が全く分からないのでとりわけ怖い。
「お前、転校生か」
「は、はい」
視界の端に、こちらの様子を物陰から恐る恐る窺う生徒たちが見える。この状況から察するに、伝説の不良ジャックというのは、このカボチャ男で間違いなさそうだ。
「……さ、さようなら!」
のり子は本能的に走り出したが、
「誰が行っていいっつった」
一歩目で終わった。
長い腕がのり子の行く手を阻み、壁とカボチャ男に挟まれる結果となった。
これは少女漫画や乙女ゲームでよく見る、壁ドンというやつではなかろうか。
人生初の壁ドンが恐怖のカボチャ男だなんて、情けないのと怖いのとでのり子の涙腺がまたもや決壊寸前になりかけた時、
「なんだこれは」
カボチャ男が足元を見てつぶやいた。
そこにはのり子が徹夜で作った千羽鶴が散乱していた。
「……あ、これは、落ち武者の無念君に渡す千羽鶴で……」
「くだらねえ」
グジャリ、とカボチャ男が靴で千羽鶴をいくつか踏み潰した。
「何するんですか!」
「なんだ。文句でもあるのか」
「全くありません。思う存分踏み潰して下さい」
一瞬だけ腹が立ったが、よく考えてみれば無念君とは面識がないのだ。よってこの千羽鶴にも何の思い入れもない。そもそもこんな物作る予定では全然なかった。
カボチャ男はそのまま千羽鶴を踏みつけながら立ち去ろうとしたが、
「ちょっと待って下さい」
その背中に向かってのり子が声をかけた。
カボチャ男がゆっくりと振り返る。
表情は分からないが、そこにはわずかな動揺が見て取れる。学校中の生徒に恐れられ、逃げられることはあっても、呼び止められることは滅多にないのだろう。
のり子は踏み潰された千羽鶴を一羽、拾い上げた。
無念君のことは本気でどうでもいい。
どうでもいいが、幼き頃からずっと父に言い聞かされていたことがある。
「人の一生懸命を踏み潰すと、ろくな死に方しませんよ」
徹夜で千羽鶴を四百羽作ったその努力を、足蹴にする行為だけは絶対に許せない。
のり子は人差し指でジャックの後方をビシッと指し、
「――って、五治郎君が言ってました」
「えええええッ!!」
ベルマーク収集箱の後ろに隠れていた海神とステゴサウルス妖精とのハーフ・五治郎が雄叫びを上げた。
「ちょちょちょっと御握さん! 僕なにも言ってないよ!」
「いや言ってたよ私には聞こえた。天下のジャック様に向かってひどいこと言うよね五治郎君てば信じらんない」
「いやいや一体突然どうしたの?! 今のちょっとカッコよかったのに!」
「プライドも信念も命あっての物種だからね。ほら早くこっち来てジャック様に謝りなよ」
「御握さんて誰にでも丁寧語なのにどうして僕だけタメ口なの?!」
「ジャック様あいつ全然反省してないッスよどうします? 私が代わりにボコりましょうか?」
「ちょっとやめてよ御握さん! どうして急にそんな三下キャラになってるの?!」
「……二人まとめてブッ殺してやるからそこに並べ」
「えええええええっ!!」
大ピンチである。
なぜこんなことになってしまったのか。
父の仇が討ちたくて命がけで転入してきたのにこんなワケの分からないカボチャ男に殺されるなんて残念すぎて絶対に成仏できそうにない。
「――のり子ちゃん、こんなとこで何やってるの?」
振り向けば、悪魔の魔谷優也が、実に爽やかな笑顔で立っていた。
金色の髪が窓からの朝日に照らされて光り輝き、背景には薔薇とか見えそうな気がする。今ののり子にとっては悪魔どころか救世主に見えた。のり子は猛ダッシュで優也の背中に隠れて、
「おはようございます助けて下さい優也君! 伝説の不良に絡まれて悲劇的展開なんです!」
「別にいいけど。それって僕と契約するってことでOK?」
「え……」
そう言えばそうだった。悪魔は望みを叶える代わりに魂をもらうのが大昔からのお決まりだ。
どうしたものかとのり子がフリーズしていたら、優也がにこりと優しげな笑みを浮かべた。
「のり子ちゃんは転校してきたばかりだもんね。今回は指名料だけに負けといてあげるよ」
「え、指名料だけって……」
それは一体おいくらですか。聞こうとした時には既に優也はジャックの元へスタスタ歩き、
「おはようジャック。超久しぶり」
と、爽やか笑顔で話しかけていた。
どうやら優也とジャックは顔見知りのようである。
「ジャックが十月じゃないのに登校してくるなんて珍しいね。どうしたの?」
「……うるせえな。テメーにゃ関係ねえだろ」
「そう言えば何年か前のハロウィンでさあ、君がその頭に被る用のジャック・オ・ランタンを僕と一緒に作ったの覚えてる?」
「覚えてねーよ。何勝手にベラベラしゃべってんだテメエ」
「ハロウィン用のペポカボチャがどこも売り切れで、仕方なく八百屋で緑色の西洋カボチャ買って、学食のおばちゃんに『中身をくり抜いて下さい』ってお願いしたら『アンタら若いのに偉いねえ!』って何が偉いのか分かんないけどとにかく褒められて、しばらく待ってたら出てきたのがカボチャくり抜いた部分にホワイトソースとチーズ詰め込んでオーブンで焼いたやつと、大量のかぼちゃプリンで、どっちも超美味かったんだけど、結局ジャック・オ・ランタン作れなくて、でもまさか君が素顔で登場するワケにはいかないから緊急対策として紙で作ったカボチャのお面をつけて街に出たけどみんなにジャックだって気づいてもらえなくて、週刊誌にも『今年のハロウィンはジャック不在!』とか書かれちゃうし散々だったよね。あの時はほんとごめんね。僕がもっときちんとおばちゃんに説明すれば良かったなあって今でも後悔してるんだ」
「……帰るわ」
カボチャ男が背を向けて静かに歩き出した。
一体なんだろうこれは。
優也君がカボチャ男の黒歴史を暴露するの図?
学食のおばちゃんのくだりもアレだけど、緑色のカボチャで代用しようとした時点で既にダメな気がする。てゆうか二人は仲良しなの?
「ちょっと待ってよジャック!」
帰ろうとするジャックを優也が追いかけた。
「もし帰り道が暗くて困ったら、これを使ってよ」
優也はにっこりと微笑み、やや大きめの紙袋を差し出した。
ジャックはしばらく無言でそれを見つめてから、ゆっくりと紙袋を受け取った。
そしてのり子の方へと顔を向けて、
「――おい、女」
と、ドスの効いた声で言った。
「無念にそれを渡すとか言ってたな」
それと言うのは、のり子の足元に散らばっている千羽鶴のことらしい。のり子が小さな声で「はい」と返事すると、
「なら、コイツも頼むわ」
ジャックが小さな四角い物を投げてよこしたので、のり子は反射的にそれを受け取った。
「邪魔したな」
ジャックは吐き捨てるように言い、再び歩き始めた。
優也が「また来てね~!」と笑顔で手をひらひら振った。
「あ、あの、優也君」
「なあにのり子ちゃん」
「さっきの、ジャックに、何を渡したんですか?」
「工事現場で警備員が使うLED誘導灯。暗いところで役に立つでしょ」
そりゃまあ役に立つか立たないかと言えば立つんでしょうけどアンタはなんでそんなモン持ってたんですか、とはツッコめなかった。
「のり子ちゃんこそ、ジャックから何を受け取ったの?」
「ああ、これ……」
受け取ったのは、一枚のCDだった。
ジャケットには数人の女性が写っている。
「あ、それって、超人気アイドルグループ『戦国ハニー☆マーマレード組』のCDじゃん」
優也に言われて、のり子も「そう言えばテレビで見たことあるなあ」と思い出した。
「このグループ、無念のヤツが大ファンなんだよ」
「そうなんですか」
「もしかしたらジャック、ずっと休んでる無念を元気づけるためにこれ持ってきたのかなあ」
自分で直接持って行けばいいのに照れ屋さんだなあ、と優也が苦笑いした。
その隣でのり子は、暗闇の中でLED誘導灯を持つカボチャ男を想像して笑えばいいのか怖がればいいのか分からなくなっていた。
「――ジャック来てたんだ?! マジで?! 俺も早く来れば良かった!」
寝坊で三時間目を過ぎてから登校してきた人狼のカケルが、悔しそうに地団太を踏んだ。
なんでも、「今日こそジャックとの決着をつけたかった」らしい。
「本気出せば絶対俺の方が強いんだって! 去年はギャラリーにカワイコちゃんが少なかったからモチベーション上がんなくてさあ!」
「あー、はい、熱く語ってるところ申し訳ないのですがカケル君、教えて下さい」
「ん? なにを?」
「優也君の指名料って、おいくらなんですか?」
「え、まさか御握さん、アイツと契約したいの?」
「いや契約はしないんですけど、不可抗力で助けてもらったので指名料だけ請求されまして……」
「あらまー、そりゃ災難だったねえ。アイツの指名料はあれだよ、お汁粉だよ」
「は?」
「ウチの学校では毎年体育祭の後に参加賞として全校生徒に熱々のお汁粉がふるまわれるんだけど、そん時の自分のお汁粉を必ず優也に捧げなきゃいけないんだよ。でもまあ、運動して汗かいた後の熱いお汁粉とかもう最悪だから俺は自主的にいつも優也にくれてやってるけど……って御握さんなんで泣いてるの?」
お汁粉はのり子の大好物なのだ。
真夏の炎天下でもおかわりするくらい大好きなのだ。
見かねたカケルが優也の席へ行った。
「――優也、御握さんかわいそうだからお汁粉カンベンしてやれよ」
「あ、カケルいつの間に来てたの。今朝ジャック来てたんだよ」
「うんさっき聞いた。『戦国ハニー☆マーマレード組』のCD持ってきたんだろ」
「それも最新アルバムだよ。僕も後で聴かせてもらおうと思って。今は霧之助が、咲子ちゃんのポータブルCDプレーヤー借りて聴いてる」
「無念に渡せって言われたのにお前らが聴いてどうすんだよ」
「ジャックは優しいよね。今の時期にハロウィン用カボチャはなかなか手に入らないのにちゃんと作って被ってきたし」
「……前から聞きたかったんだけどアイツってさ、カボチャを脱いだらどんな顔なの?」
「どんなって、フツーだよ」
「具体的にどんな感じ? 芸能人に例えると誰に似てる?」
「うーん、そうだなあー」
優也は天井を見つめてしばらく考えた後、
「向井理と福士蒼汰を足して、松本潤で割ったカンジ?」
「よく分かんねえけどクソイケメン! 超むかつく!」
ジャックの素顔に怒りを覚えるカケルのすぐ後ろで、失われゆくお汁粉へ想いを馳せたのり子が涙を流していた。さらにその向こうでは耳にイヤホンをつけた血坂霧之助が『戦国ハニー☆マーマレード組』のCDをつまらなさそうに聴いていた。