11. ノストラダムスのことはKバヤシさんに聞かなきゃですよね
「もうすぐ夏だなあー」
頭上にはどこまでも広がる青い空。遠くに入道雲が白く輝いている。
綾菓子学園校舎の屋上でサンドイッチを頬張りながら、のり子は一人つぶやいた。
「どうしよっかなあー」
先日転校してきた閻魔の娘・閻道冥子が、五治郎を始めとするクラスメイトほぼ全員に対して「御握のり子と口きくな」と脅迫をしていたらしい。そのあまりの迫力にみんな彼女に従う他なかったが、翌日には全員改心してのり子に謝罪し、今まで通りの状態に戻った。その後は逆に、冥子の方がクラスの中で「異質な存在」という扱いになっている。
そういった事情も含め、冥子ののり子に対する敵対心はますます強くなってしまった。一日中霧之助にひっついたまま、のり子が近づかないように警戒して睨みを効かせているのだ。
霧之助の家に遊びに行ったことがあるというだけでこんなに敵意をむき出しにされるなんて、のり子としてはとんだとばっちりである。
「困ったなあー」
冥子がくっついているので、誓約書にサインしてもらうことができない。
霧之助のサインさえもらえば借金が全てなくなるというのに。
困り果てたのり子は、誓約書を眺めながら紙パックのオレンジジュースをずるずると飲み干した。
「いつ渡せばいいんだろうなあー」
「どーんと渡してくれれば僕はいつでもOKだよ」
サッと誓約書を後ろから取られてのり子は驚いた。
振り返ると、学園一のプレイボーイ(自称)である魔谷優也が上機嫌で立っていたが、
「僕への愛を綴った手紙じゃないんだ……」
誓約書を見て、愕然となった。
「なんで私が優也君に愛を綴らないといけないんですか」
誓約書を取り返しながらのり子が言うと、
「え、僕のこと好きじゃないの?!」
優也が青天の霹靂みたいな顔をした。
「……もしかして優也君、世の女性はみんな自分のこと好きだと思ってます?」
「ええええ違うのッ?!」
「めいっぱい驚愕しないで下さい。優也君て同性の友達少なそうですね」
「そんなことないよ。ジャックとは大親友だよ」
「ジャックってあの……伝説のカボチャ男のことですか」
「彼とは幼稚園の頃からずっと仲良しなんだ」
「ジャックって確か、超絶イケメンなんですよね」
「それがどうかした?」
「だから優也君と友達でいられるんじゃないですかね」
「え、なんで? 全然意味が分からないんだけど」
心底不思議そうな顔をする優也にのり子は呆れた。
「まあ、なんでもいいですけど。そろそろ授業ですから」
と言って教室に戻ろうとしたら、急に腕をつかまれた。
「ちょっと待ってのり子ちゃん」
「なんですか」
「本日一日限りのお得なキャンペーン実施中です」
「はい?」
「今日だけ特別に、無償でのり子ちゃんの願いを叶えます」
にこにこと微笑む優也はとても美しいが、胡散臭いことこの上ない。
「……いらないです。なんだかんだ言って魂取られそうだし」
「そんなことしないよ無償だってば」
「なんで急に無償なんですか」
「こないだのお礼だよ」
「こないだ?」
「校舎裏で、冥子ちゃんをやっつけてくれたじゃない」
「ああ……」
あの時のことか、と思い出した。
数日前、校舎裏で冥子が優也を罵倒した時、犬のぬいぐるみで彼女を追い払った。結局、冥子の弱点が何だったのかは分からずじまいだが。
「あれ嬉しかったから。お礼にのり子ちゃんの願いを一つだけ叶えてあげる」
微笑む優也の顔を、のり子はじっと見つめた。
きらきらと輝く金色の髪に、美しく整った顔立ちは確かに人間離れしていて、これが人類を誑かし堕落させる悪魔の魅力なのかと、のり子は感心した。
だがしかし、彼の身体には半分だけ人間の血が流れているのだ。
のり子と同じ、人間の血が。
「――人間と悪魔のハーフだってこと、別に隠してるわけじゃないんだ」
のり子の考えてることを察したのか、優也が口を開いた。
「ただ話す機会がなかっただけ。それに僕は母が人間だってこと、あまり気にしてないし」
そう言って微笑む彼はやはり美しい。
その美しさ故、今まではどこか近寄りがたいイメージがあったが、半分人間なんだと思うと少し親近感を覚えた。
「……いいと思いますよ」
のり子も、自分の身体に鬼切の血が流れているということを深く考えたことはない。
だってのり子は何の特殊能力も受け継いでいないのだ。
父親が超一流の鬼切であろうと、のり子は特にこれと言った取り柄もない、普通の平凡な人間だ。それを悲観したこともない。
「悪魔でも人間でも、優也君は優也君ですもんね」
のり子がそう言うと、優也は一瞬驚いたような顔をしたが、
「――ありがとう」
と、すぐに目を細めて微笑んだ。
「で、話を戻すけどのり子ちゃんの願いは何?」
「いや、別にいいですよ私は……」
「その誓約書を誰かに渡したいんだっけ?」
優也がのり子の持っている誓約書を指さした。
確かに霧之助のサインは欲しい。
だけど冥子のガードが厳しすぎる。
こんなこと誰にも相談できないと思っていたが、一人で悩んでいても埒が明かない。
(たまには誰かを頼ってみるのもいいかも知れないなあ)
のり子は思い切って優也に話してみることに決めた。
「優也君、実は……」
「うん、なになに?」
「この誓約書に、霧之助君にサインを書いてもらいたいんです」
「分かった。僕に任せて」
「え」
スタスタと優也が歩いていくので、のり子は慌てて追いかけて彼の腕をつかんだ。
「ちょっ……ちょっと待って下さい優也君!」
「なに?」
「いや、だって、この誓約書は何なのかとか、どうして霧之助君のサインなのかとか、そういうの聞かないんですか?」
「聞かないよ。のり子ちゃんが話したいのなら聞くけど」
「いや別に話したいというわけじゃ……」
「のり子ちゃんの望みは霧之助のサインなんでしょ?」
「は、はい」
「だったら僕はその望みを叶えるだけだよ」
真っ直ぐな瞳でそう言った優也はとても凛々しく、頼りがいがあるように見える。
人間界でホストをやれば絶対に人気ナンバーワンになれるだろうなあ、とのり子が考えていたその時、
「――全校生徒の皆さん! 今すぐ避難して下さい! 繰り返します……」
突然、学園中にサイレンが鳴り響いた。避難を促すアナウンスも繰り返し流れている。
何事かと思っていたら、あんなに青かった空に黒い雲が大量に集結し、とぐろを巻き始めた。とぐろの中から、ところどころ赤い光が漏れている。
「まずい! 隠れて!」
優也に手を引かれ、屋上にある塔屋の陰に隠れた。
身を隠しつつそっと空の様子を窺うと、渦巻く黒雲の中心から、ゆっくりと何かが下りてくるのが見えた。
「あれは……?」
雲の中から下りてきたそれは、よく見ると男のようだ。
全身を黒いマントで覆った、大きな男。頭には牛のような角が生えている。空中に浮かんだまま、不気味な笑みで学園を見下ろしている。
「――恐怖の大王だ」
優也が青ざめた表情で言った。彼のこんな顔は見たことがない。
のり子は生唾を飲み込んだ。恐怖の大王が何者かは知らないが、とにかく恐ろしい人物であることは間違いなさそうだ。
「伏せてっ!」
優也と共にすばやく身を伏せた。
恐怖の大王が大きな右手を学園へ向けたかと思うと、手の平から赤い光線が勢いよく出た。
あちこちから生徒たちの泣き叫ぶ声が聞こえる。学園中がパニックになっているようだ。のり子は身体が震え出した。これが世界の終末なのか。
「頭を上げちゃダメだよのり子ちゃん!」
「優也君、恐怖の大王て一体なんなんですか?!」
「僕にも分からない。だがとにかくあの光線には絶対に当たっちゃダメだ!」
「当たるとどうなるんですか?!」
「ウオノメができる!」
「ウ……」
ウオノメ?
聞き間違いだろうか。
のり子は思わず首を傾げた。
「……今、なんて言いました?」
「ウオノメだよウオノメ」
「冗談ですよね?」
「両足のかかとにできるんだ」
「優也君さっきから何言ってるんですか」
「あ、ウオノメなんか大したことないと思ってる顔だねそれは。のり子ちゃんウオノメがどれだけ辛いか知らないの? 裸足でフローリング歩けなくなるからね」
「私を安心させようと思って気を遣って言ってるんですよね?」
かかとにウオノメがあ~! という悲鳴がどこかから聞こえてきた。どうやら冗談ではないらしい。
「のり子ちゃん、悪いけど今日のところは僕の使命を変更してもいいかな」
「え、変更って……」
ゆっくりと立ち上がった優也は先ほどまでの優しい顔つきではなかった。
これから戦場に向かう騎士のように、鋭く勇ましい瞳をこちらに向けた。
「恐怖の大王からのり子ちゃんを守ってみせる」
優也がのり子を抱きかかえて風のように走り出した。高速スピードで階段を駆け下りて校舎の中を走り抜ける。
「みんな早く逃げろ!」
「ウオノメができるぞ!」
「いやよあたしウオノメになりたくない!」
生徒たちが逃げ回っている中を二人は素早くすり抜けた。
「――しまった!」
廊下の角を曲がると目の前に恐怖の大王が立っていた。いつの間に校舎内へ入り込んだのだろう。
「のり子ちゃん危ないっ!」
大王の右手から赤い光線が発射された。優也がのり子の盾となって光線を全身で受け、その場に倒れた。
「ぐああっ!」
「優也君!」
グハハハハと笑いながら大王は煙のように消えた。どうやら瞬間移動の能力を持っているらしい。
「優也君! 大丈夫ですか?!」
「やられた、足が……っ、ウオノメが痛くて立てない……!」
「そこの薬局でウオノメ用の絆創膏でも買ってきますから大人しくしてて下さい」
「僕のことはいいからのり子ちゃんは早く逃げるんだ!」
「だから薬局に行ってきますってば」
「ごめんよ、最後までのり子ちゃんを守ってあげられなくて……」
「ほんと無駄にオトコマエ顔で嘆きますね」
「何もできない代わりに、これをのり子ちゃんに託すよ」
おもむろに優也は工事現場で警備員が使うLED誘導灯を差し出してきた。
「これは工事現場で警備員が使うLED誘導灯だ。この中に、僕に残された魔力の全てを吹き込んである」
「どうしてこんな物に吹き込んだんですか。そしてこんなかさばる物をどこに隠し持っていたんですか」
「隙を見て、恐怖の大王にこれを投げつけるんだ。上手くいけば大王を倒すことができる」
「マジですか」
「あ、投げつける時はスイッチ入れてライトを点灯させてからね」
「スイッチどこですか」
「ここ、ここ」
「ああ分かりました」
「じゃあ頑張ってね」
「はい行ってきます」
なんだかよく分からないが誘導灯を持ってのり子は走った。
とにかく薬局でウオノメの薬をたくさん買ってこよう。
優也君の他にも犠牲者がいるみたいだし。
「あれは……」
のり子は足を止めた。
廊下の奥に、恐怖の大王がいる。次なる犠牲者を探してさまよい歩いているようだ。こちらに背を向けているので、のり子の存在には気づいていない。これはチャンスだ。
(――誘導灯、スイッチオン!)
のり子がスイッチを入れると誘導灯が赤く光った。足音を忍ばせてそうっと近づき、大王の背中に向かって誘導灯を思い切り投げつけた。
「くらえ! おにぎりひゃくれつけん第二弾!」
「逃げるんだのり子おぉっ!」
突然目の前に飛び出してきた教育実習生の神多の顔面に誘導灯が激突した。
「何やってんの神多君! なんで飛び出してきたの邪魔なんだけど!」
「良かった……のり子が無事で……」
神多は額から血を流しながら廊下に倒れた。
優也の魔力を受けて……というより、LED誘導灯が当たったので流血したのだろう。
LED誘導灯は粉々に砕けていて(神多君石頭すぎる)、そして恐怖の大王はどこかへ姿を消してしまった。
「ああ大王行っちゃった! せっかくのチャンスだったのに!」
「俺のことはいいからのり子は早く逃げるんだ! この台詞一度言ってみたかった!」
「良かったね。じゃあ私ちょっと薬局に行ってくるから」
「待てのり子、丸腰じゃ危険すぎる!」
「悪魔からもらったLED誘導灯があったけど神多君のせいで台無しになったんだよ」
「これを持って行くんだ!」
神多が、小豆が大量に入ったボウルを渡してきた。
「爺ちゃんに念を込めてもらった小豆だ。この小豆を恐怖の大王に投げつければ、倒すことができるはずだ」
「まあ……LED誘導灯よりは投げやすいかな」
「投げつける時は『鬼は外!』って腹式呼吸で叫びながらだぞ」
「わ、分かった」
腹式呼吸できるかなーと、のり子が小豆をこぼさないように気をつけながら歩いていると、
「――助けてえ!」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。
近くの教室に飛び込むと、何かにつまずいたのか女子生徒が床に倒れていた。その生徒に向かって、恐怖の大王がゆっくりと近づいている。
「誰か助けてえーっ!!」
女子生徒は倒れたまま動けないでいる。恐怖で身体がすくんでしまったらしい。
のり子が助けに行こうとしたが、それより先に女子生徒の元へ駆けつけた者がいた。
「――霧之助君!」
霧之助が走ってきて女子生徒を抱え起こそうとしたが、間に合わないと判断し、女子生徒を自分の背後へと隠すようにした。自分が代わりに光線を受けるつもりだ。
――このままでは霧之助君がウオノメになってしまう!
のり子は猛然と走り出した。
恐怖の大王が霧之助に向かって右手をかざした。
だめだ間に合わない!
――いいかいのり子、もし化け物に遭遇してしまったら……
小さい頃、父に教わった。
化け物から自分の命を守るために、一番最初にやるべき大事なこと。
「来ちゃダメだ御握さん!」
走ってくるのり子に気づいた霧之助が叫んだが、のり子は足を止めなかった。
化け物から自分の命を守るために、一番最初にやることは――
「だるまさんがころんだあッ!!」
――闇を切り裂くような大声を瞬時に敵に叩きつけること。
のり子のだるまさんがころんだシャウトに驚いた大王が手をかざしたまま動きを止めた。
「鬼はぁぁー! 外おぉぉぉーっ!!」
その一瞬の隙を逃さず、のり子が大量の小豆を大王に投げつけた。
「ぐわああああああぁぁぁぁぁッ!!」
小豆から発した青い炎はみるみる大王の全身を包む巨大な火柱となった。
「ギャアアアアアァーアァァァー……」
青い炎と共に、大王の姿は消えてなくなった。
死んだのか、それともどこか別の場所へと逃げたのか。
のり子には分からなかったが、大王にかなりのダメージを与えた手応えだけは確実にあった。
「――すごい! 恐怖の大王を倒したぞぉっ!!」
ワッと歓声が上がった。
いつの間に集まったのか、廊下には大勢の生徒がすし詰め状態で、みな拍手喝采をしている。
「よく頑張ったねのり子ちゃん!」
優也が松葉杖をつきながら教室に入ってきた。
「恐怖の大王を倒すなんてすごいね。のり子ちゃんは学園の救世主だよ」
「そんなことないです。優也君のLED誘導灯と、神多先生の小豆のおかげです。それより優也君ウオノメ大丈夫ですか?」
「僕のことはいいんだ。さあのり子ちゃん、例の紙を霧之助に渡してきなよ」
「え……」
霧之助の方をちらりと見ると、目が合った。
「で、でもこんな時に……」
「大丈夫だよのり子ちゃん、勇気を出して」
さあ、と優也に背中を押されて、のり子は霧之助の方へと向いた。
「あの……霧之助君」
たくさんの生徒に見守られながら、のり子はおずおずと誓約書を差し出した。
「霧之助君、この紙に名前を書いて下さい」
言えた。
やっと言えた。
これで借金が清算される。
のり子の胸は安堵感でいっぱいになった。
「御握さん――」
霧之助は誓約書をじっと見つめた後、ゆっくりと顔を上げた。
「――これって何の誓約書?」
内容が分からないと名前書けないよ、と言われたのり子は「ですよねー……」と曖昧に笑って誓約書を引っ込めた。




