1. アルフォートとブランチュールも迷いますよね
のり子は、この学校に入ったことを早くも後悔していた。
「担任の宇奈路長子です。分からないことは何でも聞いてね」
そう言って微笑む担任はまるで女優のように美しかったが、気を許してはいけない。
この学校には、普通の人間など一人もいないのだから。
「あら、まだ校庭で遊んでる子がいるわね。早く教室に入りなさーい!」
長子先生は椅子に座ったまま、頭を窓から出して生徒を注意した。
椅子から窓までの距離は約十五メートル。
長子先生の首は学校プールの横幅を余裕で渡れるほどの長さに伸びていた。
「さあ私達も教室へ行きましょうか。あら? のり子ちゃんどうして泣いているの?」
「泣いてなんかいません。今朝飲んだポカリスエットが目から出ているだけです」
「そうなの。じゃあ行きましょう。HRが始まるわ」
一般的な長さの首に戻った先生の後ろを歩きながら、空を仰いだ。
渡り廊下から見上げる空は、のり子の心とは裏腹にどこまでも青く澄み、桜の花びらがふわりふわりと舞っている。
ここは、あの世とこの世の境に存在する学校、綾菓子学園。
通う生徒は皆、異界の化け物ばかりだ。
御握のり子は、これと言った取り柄もない普通の平凡な人間であったが、あの手この手で試験をパスし、自分を魔女の子孫と偽って綾菓子学園に潜り込むことに成功した。
潜入の目的はただ一つ。
父の仇を討つことだ。
「初めまして。転校生の、御握のり子です」
だが早くもその目的がどうでもよくなってきていた。
「のり子ちゃんは魔女の子孫なんですって。みんな仲良くしてあげてね」
にこにこと微笑む長子先生の隣で、のり子は冷や汗が止まらない。
だって教室に化け物がぎっしりだ。
人間と変わりない風貌をしている者もいれば、見ただけで悲鳴を上げたくなるようなビジュアルの生徒もいる。そいつらが全員そろって、のり子をじっと見つめている。ワタシナンデコンナトコキチャッタンダロウと、目から再びポカリが出そうになってきたその時、後ろの方にいる一人の生徒が手を挙げた。
「質問でーす。御握さんの特殊能力はなんですかー?」
「それは先生もまだ聞いてないわね。のり子ちゃん、教えてあげて?」
「はい。私は今スランプ中なのですが本来であれば大雨の中でもホウキで空を飛んでおばあさんの作ったニシンとかぼちゃのパイを届けることができます」
マジで! すっげえ! 魔女パネェ! と教室は大いに盛り上がった。どうやら上手く誤魔化せたようである。
「のり子ちゃんの席はあそこよ」
先生に示された席を見て、思わず目を見開いた。
これは何という偶然だろうか。
のり子の前の席には、黒髪の少年が座っている。
透き通るような白い肌に、赤い瞳、つまらなさそうな表情。
間違いない、あの少年こそずっと探していた吸血鬼、血坂霧之助だ。
「黒板が見づらいとか、机が低すぎるとか、不具合があればいつでも言ってちょうだいね」
「はい先生」
宿敵の後ろの席に座れるなんて、とても幸運である。
のり子は高鳴る鼓動を抑えながら霧之助のすぐそばをゆっくりと通り、自分の席に座った。
(これなら……いける!)
目の前にある霧之助の後頭部を見つめて、のり子は確信した。
背後から襲えばいくら吸血鬼と言えどもひとたまりもないだろう。
のり子は鞄の中にある木槌と杭を握りしめた。吸血鬼は心臓に杭を打ち込まれると絶命するという言い伝えがある。それに賭けるしかない。
「――御握さんてLINEやってる?」
急に声をかけられてぎくりとした。
顔を上げれば、右隣に座っている亜麻色の髪の少年が、屈託のない笑顔でのり子を見つめている。
「……ええと、私、LINEとかそういうの詳しくないんです」
「そっか魔女だもんね。通信手段はカラスとか黒猫とか使うの?」
「いやそこまで古風でもないです」
「俺、尾野カケル。よろしくー」
牙を見せてニカッと笑う彼の頭には、二つの獣耳がある。
事前に極秘で入手した学生名簿によれば、確かこの少年は人狼だ。
尾野カケルは大きな瞳を輝かせながら続けざまに話しかけてくる。
「ねえねえ御握さんはさあ、たけのこの里と、きのこの山、どっち派?」
「あ、えーと、どちらかと言えばたけのこの里派です」
「マジでえー! 俺はきのこの山派なんだよねー!」
「きのこの山も美味しいですよね」
「まあ、実を言うと俺はエンジョイパックで両方を楽しむ派なんだけど」
「あ、分かります分かります。私も年末に必ず買いだめするのはエンジョイパックとハッピーターンの超ビッグパック……」
はた、と我に返った。
会話を弾ませている場合ではないのだ仇討ちに来たのだ。
尾野カケルが今度は別の生徒に「パックンチョと、コアラのマーチ、どっち派?」と調査を始めたので、
(よし、今のうちに)
のり子は静かに鞄から木槌と杭を取り出した。
「――私、きれい?」
びっくりして杭を落としそうになった。
今度は左隣に座っている女子生徒がのり子を見つめている。口元には大きな白いマスク。
このマスク少女の名前は口本咲子。
「私きれい?」と訊ねて人間たちを恐怖に陥れる、口裂け女だ。
口裂け女が愁いを帯びた瞳でのり子を見つめがら、
「私、きれい?」
と、再び問いかけてきた。
のり子はなんと答えればいいか分からない。
「私、きれい?」
「え、ええと、あの……」
「私、きれい?」
「48点」
口裂け女の華麗な飛び蹴りによって尾野カケルの体は弧を描いて吹っ飛び、教室の壁に激突した。
「――いってぇな咲子! なにすんだよ!」
「なんでアンタに点数つけられなきゃなんないのよ」
「オメーがしつこいからだよ! 毎日毎日同じこと聞きまくってんじゃねーよこの自意識過剰女!」
「黙れイヌッコロ。私はこれで家賃払ってんのよ」
「家賃発生するんだ?! それはゴメン謝るわ!」
口裂け女と狼男の喧嘩に生徒たちが注目している隙に、のり子は杭を握り直した。
(今度こそ……死ね! 吸血鬼め!)
血坂霧之助の背中めがけて木槌と杭を振りかざしたその瞬間、
「おやめなさい!」
長子先生のよく透る声が教室に響き渡った。
先ほどまでの温和な長子先生ではない。
「その両手に持っているのは何?」
先生がゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。のり子は全身がガタガタと震え出した。自分が人間であることがばれたら、一体どんな恐ろしい目に遭うのか……。
「――だめじゃない霧之助君、教室で合わせ鏡なんかしちゃ!」
長子先生が血坂霧之助の手から二つの手鏡を取り上げた。
霧之助はバツが悪そうに頭を掻きながら、
「合わせ鏡で悪魔を呼び出したらどうなるのかなーと思って……」
と、言った。
「呼び出さなくても僕ならここにいるけど?」
霧之助の左隣に座っている金髪の男子生徒が「ご指名ありがとうございます」と満面の笑みを見せた。
彼の名前は魔谷優也。
金色の髪に、整った端正な顔立ち。一見ホストのように華やかな容姿をしているが、彼はれっきとした悪魔族である。
「いやだから、合わせ鏡で悪魔を呼び出したら優也はどうなるのかなって」
霧之助はまた新たな二つの鏡を鞄から取り出して、悪魔の魔谷優也に向けた。
「悪魔を呼び出したら優也はどうなるの? 消えちゃうの?」
「どうもこうも既に僕はここにいるし。てゆうか霧之助、鏡いくつ持ってるの?」
「シュンってこの鏡の中にいったん入って、それから出てくるのか、もしくは家に帰ったりとかしてから鏡に召喚されるのかが知りたいんだけど」
「家まで帰る必要はないよ。学校前の電話ボックスで間に合うよ」
「電話ボックスって鏡の中に通じてるんだ?」
「別の悪魔を電話で呼ぶこともできるし便利でしょ」
「仲介もやっちゃうんだ? てかもう悪魔呼ぶのは魔法陣とかじゃなくて電話でいいってこと?」
悪魔と吸血鬼がごちゃごちゃと話している後ろで、のり子が「今度こそは……」と杭を握る手に再び力を込めたその時、
「――ぶえっくしょん!」
突然、赤い光線が目の前を横切り、持っていた杭と木槌が粉々になって散った。
「ご、ごめん! 僕ちょっと風邪気味で……」
声のする方へ視線をやり、驚いた。
コレものすごく見たことがある。
口から光線を吐きながら東京の街を踏み潰していく怪獣映画の主人公そっくりな生徒が、男子用ブレザー制服に身を包んで座っていた。
「おい! ゴ○ラ!」
尾野カケルが、ゴ○ラの胸ぐらを勢いよくつかみ、
「教室で光線出すなっていつも言ってんだろ! 御握さんびっくりしてんじゃねーかよこのゴ○ラ!」
「ごめんってば! でも僕はゴ○ラじゃないよ! 見た目はちょっと似てるかも知れないけど、僕は海神とステゴサウルスの妖精のハーフなんだ!」
「ステゴサウルスの妖精ってのが意味不明なんだよ! どっからどう見てもゴ○ラじゃねーか!」
「違うもん! ゴ○ラの光線は放射熱線だけど僕のは赤外線だから!」
「どっちでもいいわ! お前の光線でこないだ俺のシャツも丸焦げになったんだからな! お前もう特撮系の学校に編入しろや!」
「いい加減にしなさいカケル君!」
光の速さで長子先生の首が伸びてカケルの鼻面に先生の頭がクリーンヒットした。
「五治郎君は風邪気味なんだから仕方ないでしょう! シャツが焦げたくらいでガタガタ言うんじゃありません!」
「先生の頭突きのせいで本日のシャツも血染めで台無しになりそうなんですけど」
「シャツのことはいいから、五治郎君に謝りなさい!」
「先生、もういいです……」
五治郎の大きな目から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。
「やっぱり僕はこの学校に合ってないんだ。僕は特撮系の学校に進学するべきだったんだ……」
特撮系の学校なんてあるの? と、のり子は思ったが誰にも聞けなかった。
塵となって足元に落ちた木槌と杭の残骸を茫然と眺めながら、ふと思う。
血坂霧之助はさっき、手に鏡を持っていた。ということは、背後で杭をふりかざすのり子の姿が彼に見えていたのではなかろうか。
「謝りなさいよカケル」
口裂け女の咲子が目にも止まらぬ速さでカケルの後頭部にかかと落としを喰らわせた。
「謝りなさいよ。五治郎がかわいそうでしょ」
「かかと落とし喰らわされてる俺はかわいそうじゃないの?」
「この学校は何でもアリのはずよ。いちいち細かいこと言ってたら私だって都市伝説系の学校に編入しなきゃいけないじゃないの」
都市伝説系の学校なんてあるの? と、のり子は思ったが誰にも聞けなかった。
「その通りよ。偉いわ咲子ちゃん」
みんなよく聞いて、と先生が手を叩いた。
「綾菓子学園は『人間以外の者』であれば誰でも通うことができる自由な学校です。見た目も、出身も、経歴も問わない。人間でさえなければみんな仲間なのよ」
人間でさえなければ、という部分にのり子は背筋がゾワワと粟立った。
「……わァったよ。悪かったな五治郎」
カケルが頭を掻きながら謝ると、五治郎の目が急に輝き出した。
「カケル君……じゃあ僕、ここにいてもいいの?」
「……さっさと風邪治せよ」
「ありがとうカケル君!」
興奮した五治郎の口から勢いよく光線が出た。もちろんカケルの顔面に直撃した。
「あら、のり子ちゃんどうして泣いてるの?」
「泣いてなんかいません先生。さっき飲んだお~いお茶が目から出ているだけです」
のり子は小学生の頃、父の仕事のことでクラスメイトにからかわれ、仲間に入れてもらえず、とても寂しい思いをしたことがある。なので仲直りした五治郎とカケルを見て、思わず胸が熱くなってしまったのだ。
「さあみんな席に着いて。HRを始めるわよ」
みんながガタガタと着席をする。
さりげなく覗き見れば、血坂霧之助は手に鏡を持っていないようだ。これは絶好のチャンス!
「はい、御握さん」
霧之助が突然振り返って何かを渡してきたので、のり子はポケットから出しかけていたニンニクを音もなく引っ込めた。
「今日はみんなで無念君への千羽鶴を折りましょう」
配られてきた折り紙を見て「なんで千羽鶴?」とのり子が首を傾げていたら、上半身黒焦げのカケルが、
「無念っつーのは、うちのクラス委員長だよ」
と、教えてくれた。
「ああ……確か、落ち武者の亡霊でしたっけ。で、なぜ無念君に千羽鶴を?」
「無念が、髪を切りすぎたのを気にして部屋から出てこないんだって。無念の髪が早く伸びるようにみんなの千羽鶴で元気づけようって……御握さんなんで泣いてるの?」
「泣いてなんかいません。昨夜食べたペヤングが目から出ているだけです」
「御握さん晩飯ペヤングなんだ?」
のり子は中学生の時クラスメイトからの千羽鶴に感激して以下省略。
一心不乱に千羽鶴を折るのり子の前の席で、血坂霧之助がつまらなさそうにまた合わせ鏡をしていた。






