前編
ギフト企画参加作品です! 「ギフト企画」で検索すると、他の先生方々の素敵な作品が読めます〜
クリスマスイヴの夕暮れの街。
大通りのあちこちのショウウィンドウは、クリスマスの煌びやかな飾り付けがなされ、街路樹は華やかなイルミネーションの光に輝いていた。広場の巨大なクリスマスツリーは、美しい姿を誇らしそうにそびえ立っていた。空気は冷たく澄み、北風に乗って、時折空から雪が舞い降りてくる。道行く人々はコートの襟を立て、足早に家路へと急いでいる。吹き付ける風がどんなに冷たくとも、皆、顔には笑みを浮かべている。抱えきれないほどのプレゼントの荷物を持ち、心には溢れそうなくらいの愛を詰めて……。
世界中が幸せになる、一年中で一番平和な日。
しかし、地下鉄の駅の通路の片隅で、一人ギターをつま弾き歌っている青年の心は沈んでいた。彼の名前はフィン。歌手を夢見て、クリスマスイヴの今日も歌っている。彼の前を大勢の人々が行き来しているが、立ち止まって彼の歌を聴いて行く人など一人もいない。フィンの前に置かれた丸い缶に、コインを投げていく人もない。皆、今夜の楽しいクリスマスイヴのひとときのことを思い、彼の姿など視界に入っていないようだ。フィンはいつもより声を張り上げ、力強くギターを弾くが、彼の声は駅に出入りする電車の騒音にかき消されてしまう。
──今年は最悪のクリスマスだ。
やや投げやりに歌を歌いながら、フィンは思う。大学に入学したばかりの頃から付き合い始め、ずっと共に暮らして来た恋人のアンと昨日別れたばかりだった。
「私ね、就職決まったの。クリスマスは家族と過ごすわ。フィンもバイトしながら歌手を夢見るなんてやめて、もっと現実に目を向けた方がいいと思う」
彼女はそう言い残して、アパートを出ていった。近くにいればいるほど、彼女との心の距離は離れて行ったように思う。大学を卒業しても、アルバイトとストリートを続けるフィンに、彼女は愛想を尽かしたのかもしれない。
──現実に目を向ける。
ただのストリートミュージシャンで一生を終えてしまうのか……その不安はフィン自身にもあった。二人で過ごすクリスマスの予定はなくなり、彼女に買っていたクリスマスプレゼントは、今朝路上に捨てて来たばかりだ。
時間が経つにつれ、地下鉄駅を行き来する人々の数は減ってきた。今何時なのか、外の景色はどうなのか、地下にこもっているフィンには分からない。だが、時々通路に入り込んでくる冷たい風、通り過ぎていく人々のコートにうっすらと積もっている粉雪を見て、外の景色は想像できた。
どうやら、ロマンチックなホワイトクリスマスになりそうだ。
十二時の最終電車が出発して、駅の中から人通りが消えた。缶の中味はコインがほんの数枚。静まりかえった構内で、フィンはギターの演奏をやめ、丸い缶を持ち上げた。
コインが虚しく、カランと音を立てる。
「落とし物だよ」
不意に間近で子供の声がした。真夜中過ぎの地下鉄駅に子供? しかも、今日はクリスマス……。不思議に思って、フィンは顔を上げる。そこには十才くらいの小さな少年が立っていた。茶色いコートにグレーのズボン、首には手編みのマフラー、手には手編みの手袋。完全防備の姿をしているが、金茶色のくせ毛の上には帽子がなかった。マフラーも手袋も同じ雪の結晶柄の手編みだ。どうせなら帽子も編めばいいのにと、フィンは思う。
それにしても、少年の格好は何となく違和感がある。昔風というか、今時の子供のスタイルじゃなかった。
「何、ぼーっとしてるんだ? これ、君のだろ?」
「あ、それは……」
少年の生意気な喋りにカチンとくるのも忘れるくらい、フィンは驚いた。少年が差し出していた物、それはフィンが彼女のクリスマスプレゼントに買った木彫りのブレスレットだった。高価なアクセサリーを買う余裕はなかったが、フィンは何か彼女が喜びそうな物をプレゼントしたかった。街中探し回って、ようやく買った木彫りのブレスレット。
だが、それを渡す相手はもういない。
「道路に落ちてたよ。もうちょっとで雪に埋もれそうになってた」
「……」
フィンは少し乱暴に少年からブレスレットを受け取った。
「いいんだよ、拾わなくても。いらなくなったから捨てたんだ」
吐き捨てるように言うフィンを少年は睨み付ける。
「何てこと言うんだよ。こんな綺麗なブレスレットなのに! 君はこのブレスレットを作った人の気持ちが分からないのか?」
こんな小さな子供に説教されるとは。フィンは怒るより情けない気持ちになる。確かにブレスレットには何の罪もない。フィンは改めてブレスレットに目をやる。よく見ると、木彫りの模様は雪の結晶の形をしている。少年のマフラーの柄と同じような形だ。
「それより、何でこれが俺のブレスレットだって分かったんだ?」
フィンは少年の顔とブレスレットを交互に見つめる。おかしな子供だ。こんな真夜中に一人で歩きまわっていることも普通じゃない。今日はクリスマスイヴだと言うのに。
不思議そうに見つめるフィンの顔を凝視しながら、少年はクスクスと笑う。
「そろそろ、ここは出た方が良いよ。君、閉じこめられてもいいのかい? クリスマスイヴだってのに、地下鉄駅で一晩過ごすなんてさ」
生意気なガキだ。フィンはムッとするが、少年の言うとおり、もうすぐ構内はシャッターがおろされ外に出られなくなってしまう。
フィンは軽くため息をもらすと、ブレスレットをジーンズのポケットにしまい、ギターとコインの入った缶を抱え、無言で歩き始める。少年もフィンの後をついてきた。
地下を出ると、そこは雪化粧した銀世界だった。細かい雪が次から次へと空から落ちてくる。凍り付きそうなくらいの冷たい空気。暗い夜空。けれど、通りの木々の明るいイルミネーションや広場の巨大なクリスマスツリーの輝きに照らされ、深夜の街は温かい雰囲気に包まれている。なんと言っても、今夜は愛に満ちたクリスマスイブだから……。
「いつまでついて来る気だ? まさか、クリスマスイブに家出でもしたのか?」
広場のツリーの前でフィンは立ち止まり、後ろを振り向く。フィンの後を静かについてきた少年は、口元を弛めた。
「そう見える?」
「いや……」
フィンは首を横に振る。
「お前は手ぶらだし、第一、家出少年のような暗い顔をしていない。家は近所なのか?」
「君に頼みがあるんだ」
フィンの質問には答えず、少年はニコリと微笑む。
「プレゼントを届けて欲しいんだよ」
「プレゼントだって?」
「今日はクリスマスイブだろ? あぁ、もう十二時をまわったからクリスマスだね」
「見ず知らずの俺にサンタの代わりをしろっていうのか?」
フィンは鼻で笑う。
「自分で渡せばいいだろ。子供は家で寝ている時間だ。良い子はベッドの中でサンタクロースを待っているんじゃないのか?」
「子供ならね。まぁ、いいじゃないかい。クリスマスは誰もが優しい気持ちになれるはずだよ。人助けも悪くないと思うけど」
少年に簡単に切りかえされ、フィンは言葉に詰まる。
「僕は君に、落とし物を届けてあげた。代わりに君は僕のプレゼントを届けておくれよ」
──生意気な奴だ。俺を完全に子供扱いしやがって。
フィンはまたカチンとくるが、フィンが言い返す前に、少年はどこに持っていたのか、今度はフィンに毛糸の帽子を差し出した。
「これが、プレゼントだって……?」
少年が差し出したのは、薄汚れた手編みの帽子だ。少年の帽子にしても汚れてよれよれになっている。
「こんな汚い帽子を、誰にやるっていうんだ? しかも、ラッピングさえしないで」
「いいから、いいから。この帽子は君のブレスレットよりずっと価値のあるプレゼントさ」
少年はクスリと笑った。
「これをホーリーっていう子に届けて欲しい。住所は──」
少年はフィンの返事も待たずに、スラスラと住所を伝える。ここからなら歩いて行ける距離だった。
「いいかい、間違わずにホーリーに届けるんだよ。彼女は長いことこの帽子を探しているはずさ」
なかば強引に少年はフィンに帽子を手渡す。
「なんだよ、そのホーリーっていうのはお前の彼女なのか? だったら、もっとましなプレゼントにすりゃいいのに。こんなの贈れば余計に嫌われるぞ」
フィンは帽子を見つめる。小さな赤と白の縞模様の帽子。元は鮮やかな赤だったのだろうがその色はあせ、白い部分も黄ばんでいる。それに、雪のせいか帽子は濡れたようにしめっていた。
「で、お前の名前は?」
フィンは帽子から視線を上げて聞いた。しかし、すぐ側にいたはずの少年の姿はなかった。
「……?」
キョロキョロと辺りを見回したが、彼の姿はどこにも見あたらない。広場にはクリスマスツリーがそびえ立ち、粉雪が舞い降りている。
「何だ? 俺をからかってるのか?」
フィンはその辺を歩き少年の姿を探したが、どこにも見つからなかった。うっすらと通りに積もった雪にフィンの足跡がついていく。
「あれ……?」
フィンは足元を見て不思議に思う。雪の積もった広場には、無数にフィンの足跡がついていたが、どこを見渡してもフィンの足跡だけだった。ピッタリとフィンの後をついて来た少年の小さな足跡は、全く残っていなかった。
しかし、フィンの片手には少年が渡した赤い帽子が確かにあるし、ジーンズのポケットには捨てたはずのブレスレットも入っていた。
「クリスマスプレゼントか……」
不思議な感じがしたが、このままアパートに戻って一人寂しくクリスマスを迎える気にもならず、フィンは少年の頼みをきいてみようと思った。
「クリスマスには奇跡が起きるって言うし、一回だけのサンタクロースになってみるか」
フィンはフッと笑い、シンシンと雪の降る深夜の街を歩き始めた。