絶対に報われない~初恋の憂
瞬くと、半歩手前を歩くシオリの頬を淡い夕焼けが染めていた。
「私たちが別れたら、その時はもうお互い口を利くのはやめましょう」
彼女は前方を見て、そんなことを楽しげなルールを思いついたみたいに言う。
「だって、別れたあとも仲がいいなんてぜったい信じられないから」
「そんなことないよ。好きでも別れることだってあるわけだから」
なにそれ意味わかんない、と彼女は悪びれずに言う。
「でも、別れたのに好きで連絡を取っているなんて悲しいじゃない」
「だったら、ずっと仲良くいよう。別れなければいいんだ」
僕は言い慣れた言葉を投げかけ、直視できるようになった沈む太陽に目を向けた。
「あなたのそういうところ、好きよ、わたし」
すると彼女は前方を見据えつつ、微塵も心が揺らいでいないだろう穏やかな声でやはり言い慣れたそんな言葉を呟いた。
表情は晴れやかで、でもひっくり返すことのできないくらい圧倒的な諦観がそこには広がっていた。
何度目だろう、こんな遣り取りをするのは。
熟れきった柿みたいな太陽は、直視し続けるとやはり僕の眼を焼くのであった。
★★★★★★★
シオリは僕の初恋の人で、彼女も僕のことをそうだって言ってくれた。
小学校が一緒で、中学校も一緒。
進級してクラスが離れるのが辛くて一年の終わりに思い余って告白した。
僕は自分の気持ちばかりで彼女の気持ちを推し量ったことなどなかったから、報われたときは嬉しさより驚きの方が大きかったのを憶えている。
【でもね、初恋は絶対報われないんだよ】
しばらく有頂天の続いていた僕に、どこか大人びた彼女は突然そう告げた。
諦めた口調で、でもどこか楽しげですらあった。
やはり中学校の帰り道、道を違えるまでの束の間の二人きりの時間だった。
「どうしてそんなこと言うの」
僕は理解できない調子でそう訊く。
「だって私たち、まだ14よ」
すると彼女は寛大な表情を湛えてそう口にした。
14才。
確かに僕達はまだあまりにも若く、中学校2年生の大人になりつつある子供にすぎなかった。
でも、それがなんだというのか。
僕は珍しく憤り、口を開くことなく彼女と道を違えることになった。
★★★★★★★
【初恋は絶対に報われない】
その言葉の意味を消化するのにどれだけ時間が掛かったろう。
ただそういうジンクスがあるというだけの話なのか。
それとも、年齢や若さから由来しているのだろうか。
色々なことを考えた。
そして僕は、自分の14という年齢からシオリとの恋に一種の絶望を抱かざるを得なかった。
でも、だからといってそれが彼女のことを嫌いになる理由にはならないのであって、だからこそこの想いを大切にしていかなければならないんだと思うことにした。
「もし私たちが別れても、私たちが好きあっていたことは変えようのない事実なんだから、それを否定したり、後悔することはやめましょう」
僕達が初恋は報われないというジンクスを消化して初めてキスをした日、サオリは微かに頬を蒸気させながらそんなことを言った。
夏休み。
小学校の盆踊り大会に行った帰りだった。
僕は肯きながらも、「別れないでずっと好きなままなら後悔なんてしない」と告げる。
「あなたのそう言うところ、好きよ、わたし」
節目がちに恥らいながら彼女は言う。
抱きしめたい気持ちで胸が張り裂けそうだったが、14才の僕にはそれを実行する勇気が無かった。
「来週、花火大会があるから二人で行こうよ」
代わりにそんなことを言った。
「夏休みの最後には海に行こう」
その後も僕は将来の予定を思いつくままに埋めていったのだった。
★★★★★★★
中学3年の年末が訪れようとしていた。
サオリは高校受験のための塾通いが本格化し、二人で一緒に下校する日が珍しくなっていた。
「もし私たちが別れても、お互いの幸せを願いましょう」
3歩先を歩く彼女はそう告げる。
視線は僕には窺い知れない遠方に注がれていた。
「ぼくは君のことを嫌いになんてなれない」
「嫌いじゃなくても別れはやってくるものなの」
いつも通りの反応を返したつもりが、サオリは立ち止まり、振り向いた。
「それって、もう別れたいってこと?」
売り言葉に買い言葉で、僕はそんな言葉を吐いてしまう。
「私、来年、この街を出て行くかもしれない」
眉間に皺を寄せている彼女など見たくなかったから僕は視線を逸らし、ああ、とだけ応えた。
サオリが県外の進学校を志望していることはずっと前から知っていたが、面と向かって街を出て行くと言われたのはこれが初めてだった。
「だから何」
「そしたらずっと会えなくなるのよ」
「遠く離れてしまうのが別れる理由になるとは思えない」
僕は少しムキになってそう告げる。
彼女と離ればなれになった後のことは長いこと考えてきた。
たとえ、一年に数回しか会えなくても、僕はサオリのことを好きであり続ける決心を固めていた。
「会えなくても嫌いにならない?」
「ならない。ならない自信はある」
僕の意固地な答えを聞き、彼女は一瞬ひどく悲しい表情をした後、例の諦めを滲ませた声を上げた。
「じゃあ、好きって気持ちが薄らいだりはしない?」
想定していなかった問いに、僕は頭が真っ白になった。
気持ちが薄らぐ、か。
「希薄な気持ちのまま付き合っていくのがいいことなのか、私には分からない」
「気持ちが薄らぐかどうかは、離れてみないと分からない」
それでも僕は、どうしてもそれを認めたくなかった。
サオリのことが好きだという気持ちに、ウソ偽りなどないのだから。
「そっか、そうだよね」
ごめん、と言って彼女は小さく笑ったが、再び踵を返したのでその表情は窺い知れなかった。
「あなたのそう言うところ、好きよ、わたし」
そして少し声を震わせて、彼女は寒空を見上げたのだった。