ノジャスティ:3
「じゃあ頑張ってね」
と、会長はどこからともなく事件の資料を取り出して笑顔で帰って行った。
「あのタヌキジジイ…」
会長が去ってから恨みがましそうにドアの方を睨んで呪いでも唱えるようにマーシスが呟く。
例え目の前に本人がいないとはいえ、我等が会長様に向かって言っていいセリフだとは思えないが−−…、
タヌキジジイというのは否定できない…。
まあ、どうせ会長の事だから私が「引き受ける」と言うまで永遠と居座るつもりだったのだろうが−−−、
「………」
あの人と一日中一緒にいなければならないというのもある意味拷問だ。というより何よりの拷問だ。
私は紫色の味わいのある風呂敷に包まれた資料を持ってマーシスに言った。
「じゃあ、行こっか」
交通手段は色々とあるのだが私達には裏ルートがある。エレベーターで行けるのだ。
幾数にもレールが敷かれている空間があって、目的地まで直通で進んで行く。解りやすく言うとモンス○ーズイ○クのドアが収納されていた所みたいな感じ。
これがジェットコースターみたいで楽しくていいのだが、場所が遠くて時間がかかるとやはり気持ち悪くな……る……。
チ−ン。
エレベーターが目的地に着いた。ドアが開いて私はよろめきながらエレベーターから降りる。
「だ、大丈夫ですか…?」
私を支えながら聞くマーシスに、私は胃から上に上がってくる気持ち悪さを手で押さえて「うんうん」と首を縦に振って大丈夫だと伝えた。
少し調子に乗りすぎてスピードを上げ過ぎた…。
遊園地に行くといつも立て続けに乗っていたが、あれもある程度の距離だから楽しいのであって、長時間続くと楽しくなんかないと思い知らされた。
「誰に御用で?」
入り口の警備室にいるやる気のなさそうな警備員の男が私達に聞く。
ここから入るのは裁判関係者がほとんどだから目的も知れている。
私は警備員を警戒し、少し言い淀むように依頼人であるクリステル・クルスに会いに来たと告げる。すると警備員はバカにしたように鼻で笑った。
「あんた本当バカだな。どうしてこうも勝ち目のない奴ばっか弁護するかな〜」
「うるさい…私の勝手でしょ」
「本当ドMだよな」
警備員はニッコリ微笑んで爽やかに言う。
「違うって言ってんでしょ!自分がドSだからって私を勝手にドMにしないで!!」
「あははは。お前どう見てもドMじゃん。だから俺達合うって言ってんだろ〜。いつになったら素直になるんだよ、トゥルーは」
「なっ…私はいつも素直です!あんたみたいな男は断固拒否です!遠慮します!!」
「またまた〜」
ニヤニヤ笑いながら答えるから余計に腹が立つ。
「あんたなんか大っ嫌い!!」
と、言い残して私は逃げるように中に入って行く。……、いつもの事だ。
「はいはい。俺も愛してるよ。じゃあまたね〜トゥルー」
警備員は含みを持たせたようにトゥルーと呼び、余裕しゃくしゃくで笑顔で手を振り私を見送る。
くそ…いいように遊ばれてる……。そうは思うものの打ち負かせない−−−。
あんなのも言い負かせないなんて…情けなくなる−−−…
「ダメですよ」
私が落ち込みかけているとマーシスが唐突に言った。
「…え?何が??」
「あんな男と付き合ったらです。ああいう男はとことんトゥルーを食いつぶして飽きたらゴミのように平気でポイと捨てるような男ですよ」
「心配しなくても付き合わないよ…」
「そう言ってる人に限ってコロッと騙されて気がついたら付き合ってたりするんですよね…」
マーシスが呆れたように目を逸らして呟く。
「絶対ないって!!もう…止めてよね…」
マーシスは「本当ですか〜?」と疑うように私に視線を向ける。
心外だ。そんなに信用できないのだろうか…?
というよりマーシスは根本から間違っている。
「あれ冗談だよ。私をからかって遊んでるだけで、本気にする方がどうかしてるよ」
「それ本気で言ってるんですか…?」
「…え?」
マーシスが何とも言い難い顔で私の事を見て溜め息をついた。
「え…何…!?」
そんな風に溜め息をつかれたら気になるではないか!!
「トゥルー…彼は−−…」
マーシスは呆れたように何か言おうとしていたが少し考えた風に黙り込み、
「いえ、何でもありません」
「え…やめてよ!そんな途中で言葉切るの!余計気になるでしょ!!」
「気にする程の事じゃありませんよ。トゥルーの言う通り冗談です」
マーシスは何事もなかったようにしれっと言う。
私はそう言われても納得がいく訳がない!だが、これ以上マーシスを問い質しても何も答えないだろう……。
何だかモヤモヤするものが胸の辺りにあるが、私は気持ちを切り替えた。
目的のドアの前に辿り着いたからだ。
このドアの先に彼女がいる。
弁護する相手との初対面は緊張…というより勇気がいる。もうすぐ1年にになるが、こればっかりは今でも手足が震えてしまう。
私は深呼吸をし、自分に気合いを入れてドアを開けた。
私が弁護する女性−−というよりまだ少女であるクリステル・クルスは被疑者でもないのに透明なガラスの向こうに居る。
トゥルーではなく私と同い年の女の子。
被害者であるキルステン・クルスの妹。
実の姉が亡くなったというのに彼女は悲しむ暇もなく絶望に落とされた。
クリステルは私達が入って来た事に全く興味がないみたいで、ピクリとも動かなかった。いや、むしろ…意識すらしていないのだろう。
今、何が起ころうと彼女にとってはどうでもいい事なのだ−−−。
「私はトゥルーディー・コウヤといいます。あなたの弁護をする事になりました。ふつつか者ですがよろしくお願いします」
私は彼女の目の前のイスに座って、なるべく明るく話し掛けた。だが彼女は思った通り無反応だった。
見るからに彼女は諦めている。希望も何もなく、そこにはただ絶望だけで、死を受け入れなければならない女の子がいた。
何も期待をしていない少女の目には絶望しか映ってなく、死んだような目−−−まさに生きながらに彼女は死んでいた。
「話す気にはなれませんか?クリステル、あなたが話してくれないと私はあなたを助ける事が出来ません」
彼女がピクッと動いた。この部屋に入って初めて彼女が反応した。
「助ける?あなたは確実に私を助けられるんですか?出来もしない事は言わないで下さい」
彼女はまるで闇に引きずり込むように私を見て言った。
私は急に息苦しくなる。息をするのを忘れていたのだ。それ程までに私は彼女に恐怖を感じた。
「1度被せられてしまった容疑は私から一生離れません。人の心からは消えないんです。この国で1度でも疑いをかけられ閉じ込められたものの末路は私達全員が解っている事じゃないですか…。
あなたはよく知ってるでしょ?」
彼女は狂ったように笑顔を見せながら私に聞いてくる。私はただ困ったように彼女を見る事しか出来なかった。
まるで劇でも見ているように彼女の表情はコロッと変わる。今度は急に無表情になり後悔するように呟く。
「皆他人事だから…自分がそうなるだなんて思ってもみなかった…」
自分が陥っている状況を必死で否定しながらも受け入れてしまっている彼女は儚げに、そして微かに微笑んで、
「希望を持たせないで下さい…」
と、弱々しく私に言った。
彼女の悲痛な訴えは私の心に無数に刺さり、痛くて苦しい。
下手に希望を持たせる事は残酷でしかない−−−。
でもここで私が折れてしまったら駄目だ。
「…話したくないんなら…それでもいいんです。でも、どうしても2つだけ確認したい事があります。それだけ答えてもらえませんか…?」
彼女からは何も返事は貰えなかった。私は答えてもらえない事を前提に彼女に質問する。
「まず1つ目は−−−、あなたはお姉さんを殺しましたか?」
彼女は無気力に私を見た。彼女は何度となくその質問を繰り返されたのだろう、「何度同じ事を聞き、何度同じ事を言わせれば気が済むのだ」と言わんばかりの顔で不愉快そうにした後、私を試すように嘲笑いながら逆に問い掛けてきた。
「私が殺したって言ったらどうするんですか?」
「どうもしません」
彼女は意味が解らないという風に私を見て顔を歪める。私は苦笑いをしてから彼女に答えた。
「真実なんて実の所はどうでもいいんです。どんな答えであれ、あなたが言った言葉が私には真実で…それを本当にするのが私の役目です」
「じゃあ聞く必要ないじゃない…」
「まあ確かにそうなんですけど−−」
私は取り繕うように誤魔化し笑いをして、彼女の目を見て言った。
「−−でも私はあなたからちゃんと聞きたいんです」
彼女は少し迷っているようだった。本当の事を言った所で自分の運命が変わるとは思えないからだろう…それに自分の事を疑っているかもしれない相手に、気持ちを正直に伝えた所で何の意味もないからだ。
だから私は、自分が思っている事を彼女に伝えた。
「私はあなたが殺したとは思っていません」
私がそう言うと彼女は驚いたように目を見開いて私を見た。
「どうして−−…?」
「…どうしてと聞かれたら困るんですが…、あなたは最初っから否認してますし、実際に今日あなたに会ってみてそう思いました…だからです…。
すみません…対した根拠とかなくて!」
私は慌てて彼女にお詫びをした。
理論的ではなく感覚的だから…こんなんだから裁判で勝てないのだと自己嫌悪しかけていたら、
「…は……て…」
彼女が何か言ったみたいだったが上手く聞き取れなかった。
「…初め…て…初めて…私の事を信じてくれてる人に会えた…」
彼女は目を潤めて私を見つめる。
「ずっと本当の事を言ってるのに誰も信じてくれなくて…親でさえ…どこか私を疑うような目で見てた……。
あなたの前に弁護をしてくれるって有名な弁護士さんがいたんです。でもその人、自分の人気を回復させる為に私を利用しようとしているだけで…口では私の事を信じるとか言いながら目ではお前がやったんだろって−−…」
その弁護士なら私も知っている。中学の時の担任の中森という男に顔も中身もそっくりなのだ。
口ではいい事を言いながら私達の事をガキだと軽くあしらっていた。本っ当、好きになれない担任だった。
本人は顔に出していないつもりでも、意外と本心というのは顔に出ている。それを敏感に察する人もいる。
「いくら勝てる見込みのある人だとしても私を信じてない人は嫌でした…。でも私、解ったんです。私の事を信じてくれる人なんて誰もいないんだって…、なら…もし助かったとしても生きてる意味なんてないんじゃないかって…、誰にも信じてもらえない事がこんなにも虚しいものだとは思いませんでした−−」
彼女はガラスに手を置き真剣に私を見て言った。
「私は姉を殺していません。例え−−殺したい程憎むような事があったとしても…姉を殺したりはしません…」
「私はあなたの言う事を信じます。クリステル」
ガラス越しの彼女の手に自分の手を重ねて、私も真剣に答えた。
「…でも私−−…」
私が言おうとする言葉を遮るようにクリステルは首を左右に振った。
「私はあなたに弁護して欲しい−−…自分の命を賭けるなら自分の事を信じてくれる人がいい…」
2つ目の質問はする必要がなくなった。
私は涙を堪えてクリステルに言った。
「…ありがとう…クリステル…」
彼女はまた首を振る。
「お礼を言うのはこっちです。私を信じてくれてありがとう…」
それは−−…こっちのセリフだ。
私みたいな負け続きの弁護士を信じてくれるなんて−−−。
私は絶対にクリステルを助けてみせる。彼女を無惨に死なせたりは絶対しない!!