トネリコツリーに揺られて
彼は私のことは何でもわかっていて、何にもわかってない。
切り立った崖の上に立つ我が家は数年前に亡くなった父が残したモノだ。
家の前に伸びるトネリコツリーの細い枝に腰掛けながら私は水平線を眺めていた。
「アネリ、そろそろお腹すいた? ご飯にしよう」
「レダ!」
家から顔を出した彼は両手にかわいらしい柄のミトンをつけ、それでくつくつ煮える小さな鍋を掲げて見せた。
ちょうどお腹が空いたところだ。タイミングよくクゥと嘆くお腹を抑えて、返事を返しつつ枝から飛び降りる。
両足が地面に着く寸前、彼は鍋を片手に持ち替えて私を受け止めてくれた。
腰に回された彼の腕に羞恥を覚えるよりも早く、私の鼻をおいしそうな匂いが刺激した。
「今日のご飯はなに?」
「アネリの好きなクラムチャウダーだよ」
「……ニンジンは」
「入ってないよ」
「やった! レダ大好き!」
急いで家に入るとレダが手際良く夕食の支度をしてくれる。
ホカホカなクラムチャウダーはおいしかった。
匙を口と皿に往復させていると、花柄エプロン姿のレダが私の方を見てクスクス笑ってた。
もしかしてほっぺにでもご飯粒でもついたのかと慌てて拭ってみる。
けど、それらしい物はとれなかった。
「アネリ」
レダはテーブルの上へ身を乗り出して、私の頭に手を伸ばした。
かさりと音を立てて離れていく彼の手のひらにはトネリコツリーの葉が握られている。
「……ありがと」
「どう致しまして」
私はなんだか気恥ずかしくて、早々と話題を変えることにする。
「どうして父さんはレダも食事できるようにしてくれなかったのかしら」
「アネリ、僕は水を食べれるよ」
「水だけじゃ意味ないわ。それに食べるんじゃなくて、水は飲むものよ」
「でも吸収されるのは同じ」
「ううん、そういうことじゃないんだけどなぁ」
レダが笑顔で首を傾げるのを見て、私はため息をついた。
せっかくのクラムチャウダーが冷めてしまう。
私は匙を液体に沈め、ことりと引き上げて口に運ぶ。
彼はそんな私をにこにこと眺めていた。
───*───*───*───
最近、彼女が思春期と呼ばれる物に差し掛かったのではないかと、僕はそう判断を下す。
今までの反応パターンにない行動が増えているように思う。
彼女の姿をよくトネリコツリーの上で見かける。
あの樹は彼女の小さな頃から一緒に育ったのだ。
愁いを帯びた表情を見せる彼女はなにを考えているのか。
そうだ、もうすぐ彼女の誕生日。
プレゼントはなにを贈るべきだろうか。
あ、僕が見てることに気づいたみたいだ。心拍数上昇中。こっちに向かってきた。
「レダァ!! 何覗き見してんのよバカァ!!」
あぁ……目玉が跳んでいってしまった。
「アネリ、誕生日プレゼント、なにがいい?」
「レダ、先に目填めてよ! こわい!」
「もうすぐ17歳だろう? プレゼントなにがほしい?」
「そうね。レダ。私がほしいもの、考えてみて」
「ほしいもの? 木苺のケーキとか?」
「それも食べたいけど、違うわ」
「大カボチャのパイ包み?」
「それもおいしそうだけど、違うわ。っていうかなんで食べ物ばかりなの!?」
すねた顔も可愛いアネリ。
「アネリはおいしいものが好きだから」
「私の好きなものや食べたいものじゃなくて、私のほしいものを考えてよ」
アネリのほしいもの?
いったいなんだろう?
「誕生日までには用意しててね」
アネリの好きなことは何でも知ってるけど、ほしい物を考えたことはなかった。
学習したことしか行動できない、僕の欠点。
アネリはなにがほしいんだろう。
───*───*───*───
レダがおかしくなった。
元々おかしかったけど、最近輪に掛けてひどい。
それというのもこの間の<誕生日プレゼント>を聞かれてからだ。
レダは私のやろうとすることを率先して手伝ってくれるし、優しいけど、過保護すぎる。
私が望んでいるのは、つまり、そういうことだ。
父が亡くなっていつまでも泣いていた私のままじゃない。
そのころの私を覚えているから、レダはいつまでも過保護なんだ。
高速に家事をこなすレダから向けられる視線が、いつまでも追従する。
どうやら私を観察しているらしい。
私のほしがってるものを真剣に考えてくれている証拠だと思うとちょっぴり顔も紅くなりそうだが、背の高いトネリコのてっぺんにはいい風が流れてくる。
風は空を行く雲をも形を変えさせて、ぐにぐにとおいしそうな形を作っては解けていく。
お腹が空いてきたな。
「アネリ、お茶にしようか」
ほらね。
レダはいつも私の先回り。
でもレダの入れる紅茶も焼くお菓子も最高だから断れないんだけどね。