第2話 3人目
ワタクシがこの不思議な『力』のことに気づいたのは、数ヶ月ほど前でありましょうか?
何も無いはずの手の平の中に、小さな異物感を覚えたことが始まりです。
最初は気のせいだと思っておりました。ですが、何度か試している内、僅かな異物感を確かに感じ、やがて、大きなソレに変わったことで確信に変わった次第でございます。
何かを握りたい。そう強く念じた時、私の手の中に、見えない何かを握りしめた感覚がありました。
やがて、繰り返すうちにコツをつかみ、その見えない何かは、段々と形を大きくしました。
握るのではない、掴む……
そう念じて拳を握った結果、ワタクシの手は間違いなく、見えないもの――空気を掴んでいたのでございます。
やがて、握り、掴むことができるのは、空気だけでないことにはすぐ気がつきました。
試しに土を、掴みたい。そう、地面に手を置いた時、とても硬く、素手で彫るには無理があるはずの土が、まるで雨が降った直後のように、ワタクシの握った手の形に合わせてえぐれたのでございます。
その後は、石や、木でも同じことを試してみました。すると、土と同様、ワタクシの掴んだ部分のみ柔らかくなり、形を変えて、手の平に納まりきらないはずのソレを、掴み、握りしめることができたのです。
この不思議な『力』を人へ向けのは、この『力』を知った数日後のこと。
なお、痛いことが苦手な人には辛い話になりますでしょうが……
庭で畑仕事を行っていた時、畑の前を通りがかった男の子がおりました。その時、手を振ってしまったワタクシが悪いのです。手を振り返した彼はつまづき、転んでしまった。しかも運の悪いことに、転んだ先には細く鋭利な木の枝が落ちていて、強く打ち付けた彼のひざに突き刺さり、皮膚の中で折れた枝が足に入り込み、そのまま埋まってしまったのであります。
その時の有様と言ったら、とても酷い状態で、男の子はとても立ち上がれそうにない重症を負ってしまった。
ワタクシがあの時、声を掛けさえしなければ……
そう考えた時、ワタクシは手を伸ばしました。
彼のひざを、握りたいと――
そう強く思った時、硬いはずのひざは形を変えました。柔らかく変わり、自由に動かし形を変えることができる、人間のひざ。
最初はマズイと思ったものの、形が変わったことで、埋まっていた木の枝が顔を出し、そのまま引っ張り出すことができました。土や木の皮、もろもろの異物も。
大変だったのはその後です。何しろ、形を元通りに戻さなければなりませんでしたから。
形が代わり、折り目の着いた部分は極力伸ばし、重なった部分は手で広げ、元通りになるよう形を整える。
最初は焦りましたし、彼の足を奪ったらどうしましょう?
そんなことばかり考えながら夢中で形を整えた結果、彼はケガに足を引きずりつつ、立ち上がることができました。
残った傷は綺麗に洗って治療し、包帯を巻いてあげました。しばらく痛みは残りましょうが、それもいずれは傷と一緒に治るでしょう。
そう判断し、この『力』のことは、誰にも秘密。そう約束した後、足を引きずりながらも一人で帰れると言った男の子に、手を振ったのでございます。
不思議な『力』というものは得てして、使い方等、誰も何も知りません。
とは言え、ただの不思議な『力』ではなく、こうして人を助ける力にもなる。
気づいた時は、邪魔とさえ思ったてきた『力』ではございますが、掴める時と、掴めない時の区別は感覚を掴んだことで、生活には何ら支障を感じることはありませんでした。
その間、一度もこの『力』を振るったことはなく……
それがよろしくなかったのでございましょう。
長くなってしまいましたが、ワタクシ自身のお話をしたいと思います。
ワタクシの家はとても小さく、しかし広い草原と山に囲まれた、畑仕事に不自由しない場所にありました。
……喋り口調ですか? ええ、こんな話し方をしているもので、良家の令嬢と誤解されることが多々ありますが、とんでもございません。ワタクシは、名も無い農家の一人娘でしかありません。
こんな喋り方をするのは、初対面の方や目上の方、後はこうして、何かを文字に残す時、くらいでしょうか? 普段はもっと砕けた口調で喋りながら、畑でクワを振り鎌を振るっている、そんな、ただの女でございます。
こんな喋り口調になったのは、兄の存在が関係しております。
兄は、人柄も明るく、畑仕事も熱心に取り組んでくれる、誰もが認める人格者ではありましたが、教養と礼儀作法に欠けているところが目立つ人でもありました。
良く言えば、気さくで元気なひょうきん者。
悪く言ってしまえば、礼儀知らずのお調子者。
そんな兄ですから、多くの人たちから愛されてはおりましたが、両親二人は、よろしくないと考えられたようで。男である兄はともかく、女であるワタクシがこうなってしまうのは……
そう考えて、両親は、兄に対してはあまり行ってこなかった、礼儀作法やらの勉強を、ワタクシに強いたのでございます。
正直、煩わしいと感じてきましたし、実際に兄の姿を見ていたこともあって、なぜこんなものが必要なのかの理解もできませんでした。
とは言え、畑仕事も習いながら、ひたむきに学んできた結果、礼儀作法の美しさに感銘を受け、このように成長したのでございます。
そのおかげかは分かりませんが、家族を始め、良縁にも恵まれて、畑仕事しか知らぬワタクシを嫁にもらいたい。そう、おっしゃって下さる殿方に出会うこともできました。
祝言の日取りも決まり、嫁入りすれば、もうできなくなってしまう、畑仕事に精を出していた時でした。
兄も両親も不在でした。草を刈っていた時、それなりの大きさの雑草を、強く引き抜きすぎたことで、土が顔に飛んできました。その土の一部が、目に入ってしまいました。
誰でも経験がおありでしょうが、その痛いことと言ったら……
とっさに目を閉じ、手で擦ってしまうことも、よくあることだと思います。
とは言え、少し擦った程度で取れるものでもありません。ですので、素直に家に戻って、水で洗うなりするべきだったのです。そうすれば、確実に取り除けるとは限りませんが、マシではございましたでしょう。
そこまで頭の回らなかった愚かなワタクシは、思ってしまったのであります。
目に入った土を、『掴み取りたい』と……
そんな『力』のことなど、すっかり忘れてしまっていた時のことでした。
ワタクシの顔に、ワタクシの指が、沈んでいったのでございます。顔の形を変えながら……
その拍子に、土は取り除くことができたようでした。ですが、顔の形、ことに、目の周囲の形が歪んでしまったのが、鏡を見るまでもなく分かりました。なにせ、土が入るより前にはハッキリ見えていた目が、土が入った程度では説明がつかないほどに、ほとんど見えなくなってしまったのですから。
あらためて、家に戻り、鏡を見ました。ぼやけてしまったワタクシの視界でも分かってしまうほど、ワタクシの顔の形は、歪んでしまっておりました。
もちろん、『力』を使い、元に戻そうとしました。ですが、小さな男の子の足の時とは違い、ただでさえ見えづらくなってしまっている目で、そのような繊細な作業が上手くいくはずも無し。できるかぎり、見られる形に整えたつもりではございますが、帰ってきた兄や両親の反応を見るに、元とは全く別の顔に変わってしまったことは想像に難くありません。
加えて、顔と一緒に形が歪んでしまった目は、見えないままでした。
全く見えないわけではない。とは言え、目の前に書かれた文字を読むことさえ苦労するほど、ぼやけ、歪んでしまったのでございます。
どうして、こんなことに……
なぜワタクシに、このような『力』が……
あまり自慢に感じたことはございませんが、既知の方々から、そして、ワタクシを嫁にと言ってくださった殿方にも言われた、別嬪な容姿も、目も、同時に失って。
当然、何があったのか聞かれました。ですが、何も言えませんでした。話したところで信じられる話ではありませんし、何より、もはやそんな気力さえ、ワタクシには残っていなかったのでございます。
嫁入りどころか、畑仕事さえできなくなってしまったワタクシなど……
もはや生きてはいけぬと、死ぬことを考えた時、ワタクシの前に現れたのです。
ワタクシを嫁にもらいたいと言ってくださった殿方。
ワタクシとは違い、良家にて生まれ育った彼なら、嫁の貰い手には苦労はしない。ですので、この結婚も破断になることは、分かっておりました。
ですので、彼の口から直接そのことを聞くことは、辛くはありますが、礼儀に違いありません。
そう、覚悟をした時です。
彼は、ワタクシを抱きしめてくださった。そして、おっしゃったのです。
たとえ、顔の形が変わろうとも、あなたのことを愛している。
目が見えなくなったなら、私があなたの目になろう。
だからどうか、ずっと一緒にいておくれ。
ロクに見えなくなってしまったワタクシの目から、涙が滴るのを感じました。
正直、それまでは嫁に行くと言っておきながら、どこか他人事というか、実感が湧くことはありませんでした。
結婚は女の幸せ……そう、周囲の方々はおっしゃていたことですし、ワタクシも、いつかそうなるのでしょう。そして、その順番が回ってきただけ。その程度に考えておりました。
彼のことも、良家のご子息で人柄も素晴らしく、結婚するには申し分のない、ワタクシにはもったいないお方。そんなふうにばかり考えて、この人がワタクシの夫になる、そう言われても、正直、実感することができずにおりました。
ですが、彼は変わり果てたワタクシの姿を見ても、一緒にいたいと言ってくださった。
そしてワタクシも、初めてこの人と、ずっと一緒にいたいと思いました。
これが、人を愛する気持ち。
家族や友人知人に向けるものとは全く違う、お互いに愛し合う、そういう気持ちなのだと……
なぜワタクシが、このような『力』を得てしまったかは、おそらく一生、理解することはできないでしょう。もしかしたら、また同じようなことが起きるかもしれない。自分に対しても。そして、ワタクシ以外の、誰かに対しても。
そう考えたら、身を引くことこそ、彼を愛する身であれば正答なのでありましょうが、ワタクシはもう、決めてしまった。もはや、理屈で自らをごまかすことはできないほど、ワタクシの心は決まってしまっていたのです。
結果的に、彼や、家族さえ騙しているワタクシは、稀代の悪女なのでありましょう。周りの人たち、愛する人の安全以上に、自分自身の幸せと願いを優先してしまう、最低女なのだから……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今になって、このようなことを書き残しているのは、もはやこれまでと覚悟をすることになったからでございます。
祝言の日。両家の家族、友人知人もお祝いにかけつけてくださりました。
ほとんど見えない目ながら、かろうじて見える輪郭、声や息遣いの音、覚えのあるカホリで、誰かを認識することはできておりました。
そんなワタクシから見ても、全く覚えの無い方でした。
女性であることは間違いありません。真っ赤な服に、長く伸びた真っ赤な髪だということも。ここまで目立つ女性を、忘れるとは思えない。けれど、輪郭も、声もカホリにも、覚えは無い。
どちら様でしょう?
申しわけなく思いながら、その女性に尋ねたのであります。
「アテラバ」
その直後でした。
祝言を上げるために集まったお屋敷の、各所から火の手が上がったのです。
度重なる爆発。上がる悲鳴の数々。
ワタクシの名を何度も呼んでいる、家族の声。彼の声。
そして、全員、炎に包まれ、焼け死んでしまったカホリ……
気がつけば、見えないながら夢中で走り抜き、たどり着いた家屋で見つけた、紙とペンを使い、こうして文字をしたためております。
アテラバ……彼女はその一言しか喋りませんでしたが、なんとなく、それが彼女自身の名前であったこと、ワタクシには理解できました。
そして、あの爆発は、彼女が行った、ということも。
彼女の狙いはきっと、ワタクシ。理由として思い当たるものは一つだけ。ワタクシの持つ、不思議な『力』のためでありましょう。
こんなことになるのなら……
そう思いましたが、おそらく、彼から身を引き、逃げたところで同じことだったと思います。なぜなら、ここまで夢中で走ってきた中で、加えて、今も使われていると分かるこの家屋の中にさえ、生きた人に会うことは無かった。代わりに、ぼやけた視界は、倒れている人々の姿を捉え、カホリは、逃げたお屋敷とは真逆から漂う煙臭と、すでにこの世にない人々の死臭を運んでいた。
どちらも、とても遠くから。
そして、この家屋の中から。
彼女は、この『力』を得たワタクシを中心に、人々を皆殺しにしてしまったのです。
それほどの強い覚悟と決意には、名前しか聞けなかった、彼女の赤い瞳と凛々しい声には宿っていたのです。
それほどの人に追われている以上、たとえ目が見えていたところで、ワタクシが逃げられることは決してない。
だからせめて、このことを、ワタクシの思いと無念と共に、書き遺しておきたい。そう考えたのです。
この先もし、ワタクシと同じ『力』を持ってしまった方がいるのなら、あなたを狙う人が、必ず現れる。そして、あなたと、あなたの周囲の人、物、全てを消されると。
理由はワタクシには分かりません。逃げる方法も、分かりません。
ただ、図らずもたらされた、神のごとき不思議な『力』を持ってしまったなら、必ず代償はあるのだと、短い人生の中で、ワタクシは理解したのです。
理不尽に感じましょう。
不条理に感じましょう。
それでも、それがきっと、『力』を持ってしまった人間の、宿命なのです。
ワタクシには、それに抗う力はございません。もはや、時間もございません。
けどもし、これを読んだ貴方様が、同じ目に逢う時が来たのなら……
どうか――――
ここから先は記されていない。
そして、その文章はこの世に残っていない。
なぜなら、その日彼女がいた場所、生まれ育った村、人、全て、一夜にして焼失したのだから……




