第七話 よみがえる記憶と重なる笑顔
屋上の隅に座り込んで、私と空くんの間には、まだ少しだけぎこちない空気が流れていました。
「……あいつ、本当にバカだよな。あんなところで、勝手に……」
空くんがぽつりとこぼした言葉。隣に座る湊は、膝を抱えて「バカは余計だろ」とむくれて見せました。
「空くん、湊が『バカは余計だ』って怒ってるよ」
私がそう伝えると、空くんは一瞬だけ目を見開いて、それからふっと肩の力を抜いて笑いました。
「……はは、言いそうだな。あいつ、自分のこと棚に上げてさ」
それをきっかけに、ダムが決壊したように思い出が溢れ出しました。
「中二の夏休み、三人で内緒で学校のプールに忍び込もうとして、結局警備員さんに見つかって逃げたの、覚えてる?」
私が聞くと、空くんは懐かしそうに目を細めました。
「ああ。あの時、湊が一番に逃げ出したせいで、俺らが囮みたいになったんだよな。後で怒ったら、コンビニのアイス一本で手を打てって……」
「そうそう! 結局、私と空くんの分も買わされて、湊、お小遣いピンチになってたよね」
「……おい凪、その話はやめろよ! おれ、あの時マジで一週間は昼ごはんパンの耳で過ごしたんだからな!」 湊が必死に横から口を挟みます。空くんには聞こえないけれど、私の耳にはあの日と変わらない湊の情けない声が響いていて。 私は笑いながら、でも鼻の奥がツンとするのを感じていました。
「湊、空くんが『あの時のアイス、今までで一番美味かった』って言ってるよ」
「……え。なんだよ、あいつ。そんなの、今さら言うなよ……」
湊は照れくさそうに、でも心底嬉しそうに視線を逸らしました。
空くんは空を仰ぎ、静かに呟きました。
「凪、ありがとな。……俺、あいつが死んでから、楽しかったことまで思い出すのが怖かったんだ。思い出したら、もう二度と戻ってこないことを突きつけられる気がして」
「うん……私も同じだよ、空くん」
空くんの手が、フェンスに置かれた私の手のすぐ近くに置かれました。 その間に、湊の透明な手が重なっているのを、空くんは知りません。
「……湊、空くんとまた話せて、よかったね」
私が小声で話しかけると、湊は優しく微笑み、空くんの肩に触れる仕草をしました。 「ああ。……凪。あいつ、おれがいない間、ちゃんと泣くのを我慢してたんだな。おれより、あいつの方がずっと強かったよ」
湊の姿が、夕焼けのオレンジ色に溶けていく。 彼が誰かの心を救い、思い出を浄化していくたびに、その輪郭は薄氷のように脆くなっていく。
「ねえ、湊。……ずっと、この時間が続けばいいのに」
私の願いは、潮風にかき消されて、誰にも届くことはありませんでした。 湊の笑顔が、かつてないほど美しく、そして消えてしまいそうなほど儚く見えたのは、きっと夕日のせいだけではなかったのです。




