表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凪の海に、湊は還る  作者: サワベリカ
13/16

第十三話 第十三話:静かなる決別への助走


湊の足元が元に戻ったのを取り繕うように、彼はわざとらしく軽快な動作で図書室の椅子に腰掛けました。私はその様子に安堵するよりも先に、心臓を冷たい手で掴まれたような、言いようのない恐怖に襲われていました。


「……ねえ、空くん」


私は、隣で黙々と数学のワークを解いている空くんに声をかけました。空くんはペンを止め、私の少し強張った顔を見て、何かを察したように湊のいる「空間」を鋭く睨みつけました。


「凪。……あいつ、また透け始めてたのか?」


「……。空くん、見えるの?」


「いや、見えねーよ。でも、空気が急に薄くなったみたいに冷たくなるんだ。……おい湊、お前、無理してんじゃねーよ」


空くんの低い声が静かな図書室に響きます。湊は少しだけ困ったように、いつものように肩をすくめて見せました。 「無理なんてしてないって。おれは、凪が笑ってくれればそれで満足なんだ。それがおれのエネルギーなんだよ。なあ、凪?」


湊は私の顔を覗き込み、いつものように茶化すような笑みを浮かべます。その無邪気なふりをした言葉に、私は胸が詰まって言葉が出てきませんでした。 けれど、空くんはそれを許しませんでした。カチリとシャープペンの芯を折り、机に叩きつけるようにして立ち上がります。


「笑えるわけねーだろ、こんな状況で! お前がいつ消えるかもわからねーのに、無理に笑ってろなんて……。そんなの、ただの呪いじゃねーかよ」


「呪い……」


その言葉が、放課後の図書室の静寂に、重く、深く波紋を広げました。 湊は一瞬、弾かれたように顔を上げ、それからゆっくりと視線を自分の半透明な掌へと落としました。


「……そうだな。呪い、かもな」


湊の声は、これまで聞いたことがないほど掠れていて、今にも夕闇に溶けてしまいそうでした。 「凪にずっと笑っていてほしくて戻ってきた。凪の笑顔さえあれば、おれは消えずに済むと思ってた。でも、おれがここにいようとすればするほど、凪は無理して笑わなきゃいけなくなってる。……空、お前の言う通りだ。おれは、一番大切なやつを、おれ自身の未練で縛り付けて苦しめてるだけなのかもな」


「湊、そんなこと……そんなことないよ! 私は、湊がいてくれるだけで……!」


私が叫ぼうとした瞬間、湊の半透明な手が、私の唇をそっと塞ぐ仕草をしました。 実際には触れていないはずなのに、そこには確かな拒絶と、そして言葉にできないほど深い慈しみの「熱」が宿っていました。


「……凪。おれ、思ったんだ。おれが本当に『還る』べき場所は、ここじゃないのかもしれない。凪に必要なのはおれに無理に笑わされることじゃなくて、凪が笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣けるようになれる場所なんじゃないかって。」


湊の輪郭が、窓から差し込む赤い夕陽を透過して、金色の細かな粒子を放ち始めました。


「おれが凪のそばにいると、凪は本当に幸せにはなれないのかもしれない」


空くんは何も見えないはずなのに、その粒子が舞い、温度が奪われていく気配を肌で感じ取ったのか、窓際のフェンスを白くなるほど強く握りしめています。


「宿題、終わらせるわ」


湊は、窓の外に広がる、黄金色に輝く海を指差しました。 そこは、三人があの日、幼い約束を交わし、将来の夢を語り合ったあの防波堤のある場所。


「明日、もう一度あの海に行こう。三人で。……それが、おれの最後の宿題だ」


湊の決意に満ちた、けれどどこか清々しい瞳を見て、私はどうしても返事をすることができませんでした。 それが、彼がこの一週間、密かに準備してきた「最高のサヨナラ」への合図であることを、私の本能が、そして溢れそうになる涙が、残酷なほど正確に理解してしまったから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ