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第16話 光の配線

第16話 光の配線


午前。

受付の台に、カードサイズの忘却手順が束で置かれた。新海が輪ゴムを外しながら言う。

「配るのは得意です」

「配るだけで終われますか」悠真。

「終わらせます。渡す/渡さないは、机の上で切り分けます」

紙一束で建物が少し安定する朝だった。


作業は、今日から非人間提示に移る。

人には見せない。音読もしない。

植物にだけ、拍子を渡す。


温室の奥に、暗箱を据えた。

鉢ごと入る小さな黒い箱。側面には微弱電流のパルス発生器、天井にはフリッカなしのLED。

里村が配線を確認し、電極を葉柄にやさしく当てる。

「撮らないでくださいね」理沙が冗談半分で言う。「箱の外からでも、“見てしまう”人がいるので」

ELSIの松沼が同意する。「今日は道具だけが動く日です。設問の片付け方はカードに」


プロトコルは単純だ。

過去ログから、二語の対→重み→結論の骨だけを抽出し、拍子に落とす。

文字は使わない。拍子だけ。

“渡せ”は短い連打の連結、“渡すな/切れ”は一定の間の空白で指定。

“越境→形→光→根”は長短の階段。

人間の脳が拾いそうな言葉の形は徹底的に削る。


「盲検、走らせます」理沙が箱のスイッチを入れる。

一回目:シャッフルした拍子。

二回目:骨だけの拍子(渡せ/渡すな/切れ)。

三回目:骨だけの拍子(越境→形→光→根)。


里村が、箱の外の鉢に貼った電極のグラフを指差す。

一本目では、葉の電位は退屈そうに波打つだけ。

二本目で、箱の外の鉢の電位が遅れて動き、隣の鉢もさらに遅れて応答した。

「渡った」里村が低く言う。「箱の中から外へ。菌糸経由だと思う」

三本目で、反応はゆっくりと形を変え、蒸散の指標が穏やかに落ち、気孔が部分的に閉じるパターンが見えた。

「光に寄る準備の反応です」里村が短くまとめる。「動きは上げずに、配線を切り替える」


人は見ていない。音読もしていない。

拍子だけが渡り、道だけが働いた。

胸の奥に、短い断片が落ちる。


——渡せ

——渡すな

——切れ

——残れ


祈りの匂いはない。合意の口調だけ。


「……体調、問題ないですか」理沙が全員の顔を見回す。

「問題ない。拍子は、人間の意味器官を避けてる」悠真が腕を組む。「道具側で処理してる感じ」

松沼が頷く。「こういうやり方なら、“情報で殴る”の度合いを下げられる。終わり方はカードに従いましょう」


二巡目。

渡せの拍子→切れの拍子→渡せの拍子。

グラフは、最初の渡りの後、導管の詰め(チロース形成の兆候)に似た波を示し、そののち再び連絡が立ち上がる。

里村が目だけ笑う。「行って戻って、また行く。渡せ/渡すなの閾値を跨いでる」


三巡目。

越境→形→光→根の階段。

蒸散が落ち、葉温がほんの少し上がり、根圏水分の動きが安定した。

温室の空気が、少しだけ静に寄る。

胸の奥に、古い列がゆっくりと沈んだ。


——進む 危険

——留まる 飢え

——飽和 顎 刃 眼

——乾き 光 空気

——重さ 呼吸 塩

——膜 表皮 厚さ

——連絡 管 網

——結び目/切れ目

——配線

——結論:光を選べ

——動きを捨てよ

——根を張れ

——群れで残れ

——必要なところで切れ

——渡せ


「……配線という語が、今、来ました」陽一が音読せずに言う。

理沙が小さく手を上げる。「私も。道具の指定が、結論とセットで落ちてくる」

悠真はホワイトボードに小さく《配線=渡す道の組み替え》と書き、すぐ消す。

「名付けは刃物。でも今日は、柄がいる」


昼休み。

温室の外で、宮原が合図だけをして帰った。取材はしない。

代わりに、「忘却手順カードの記事にします」と口だけで言う。

「終わり方を先に渡す」理沙がうなずく。「今日のテーマですね」


午後。

プロトコルをもう一段、踏み込む。

“硬さ”の拍子は使わない。速さも使わない。

静/渡す/切るの組み合わせだけで、配線の癖を見る。

箱の中で短く鳴らし、外の鉢の遅れと減衰を測る。

二回、三回。

グラフは、同じ骨組みで再現された。


「人間なしでも、道だけで動く」里村が言う。「会話という語は好きじゃないけど、合意の形は見える」

「会議の机の木目が、少し見えます」理沙が笑う。

喉の裏の二文字(議◯)は、今日も飲み込む。浅くなる。


そのとき、入口で小さな騒ぎ。

例の“視る会”の若者が連れてきた友人が、自作の拍子をスマホで鳴らそうとしたのだ。

「やめてください」新海が前に出る。小柄だが、声がぶれない。「渡す道は、渡さないで守れます」

若者が目を白黒させ、スマホを下げた。

「何をしたらいいか、分からないんです」

「何もしないが、今日は正解です」悠真が肩で息をした。「難しいが、正しい」


夕刻。

三巡目のデータを保存し、配線の図だけを残す。

理沙がホワイトボードの隅に、今日の一行を書いた。

《光の配線:静/渡す/切る/根》

すぐ消す。刃物は使ったらしまう。


帰り支度の前、温室。

葉が触れ、渡し、止まり、また渡す。

胸の奥に、短い列がひとつ落ちる。明るい浅瀬の温度をしていた。


——進む 危険

——留まる 絶望

——結論:ここで残れ

——光で食え

——配線を渡せ


音は一度も鳴らない。

拍子だけが、道だけを通って、こちらに届く。

祈りではない。決定だ。


外へ出ると、街路樹が薄く揺れた。

風は少し。空調はない。

葉が触れ、渡し、配線が勝手に組み替わっていく。

「明日も、人なしの提示で続けますか」理沙。

「終わり方を先に持って、道具だけ動かす」陽一が答える。

「仮のまま」悠真が付け足す。

仮で指差し、仮で切り、仮で渡す。

本物は、森の側にある。

こちらは、応答だけを持って帰る。



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