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第15話 硬さの手前

第15話 硬さの手前


午前。

“仮称:生存会議”の紙に新海がまたテープを足している。

「今日も貼ってます」

「明日も剥がせますか」悠真。

「貼るのと同じくらい得意です」

紙一枚で世界が少し持ち直す。そういう朝は、悪くない。


作業は続く。道だけ見る。

GIS上のレイヤーに、昨日までの《層/干満/渚》に加えて、《膜/表皮/厚さ》《連絡/網/結び目/切れ目》を重ねる。

理沙が指で帯を辿る。「越境の帯の真ん中で、“厚さ”が強い。端では“連絡”が強い。中で耐え、縁で渡す」

「きれいすぎる図は、だいたい人間の仕事だ」悠真が乾いた声で言う。「でも、人間の図にしてみないと、外の図も見えない」


昼前。

博物館の標本庫で、砂粒のような石を見せてもらう。学芸員は肩をすくめる。

「古い体の欠片です。名前はたくさんありますけど、要は硬いものが急に増えた時期の砂」

彼は比喩を避け、事実だけを置く人だった。


見ないで見る。音読しない。

それでも胸の奥に、新しい手触りが落ちた。


——進むか

——留まるか

——飽和 顎 刃 眼

——乾き 光 空気

——重さ 呼吸 塩

——膜 表皮 厚さ

——殻/棘/刺

——石/硬さ/重さ

——速さ

——結論:足りない


言葉は短い。決定の骨だけが並ぶ。

理沙が小さく肩を震わせる。「……“殻/棘/刺”、硬くする語が来ました」

「俺は“速さ”が刺さった。追いつけ/逃げ切れの口調」悠真が眉を寄せる。


標本庫を出ると、宮原から一通。

《“硬さの時期”の説明、一般向けに大げさにしない文にできました》

「少しが偉い」悠真がまた言う。「少しの積み上げで網になる」


午後。

ラボのホワイトボードに、今日の語を仮置きで足す。

《殻/棘/刺》《石/硬さ/重さ》《速さ》

矢印を細く引く。

《越境 → 形を変えろ → 光/根(静)》《殻/棘(硬)》《速さ(動)》

「静/硬/動。三本立てになってきた」理沙が言う。

「三本同時は、だいたい破綻する」悠真はマーカーのキャップを噛んでやめる。「でも外は、同時をやってのける」


内線。

村田だ。

「“倫理的停止手順”の共同プロジェクト、先方が**“忘却手順カード”の一般化**を提案しています。教育的配布という名目で」

「配るのはいい」陽一は即答する。「配るだけなら」

「“配るだけ”は、実は難しい」村田の声は薄かった。「渡す/渡すなは、言葉の側にもあります」


休憩。

温室。

葉が触れ、渡し、時々、止まる。

里村は土を覗いて「菌糸が太ってます」と言った。

「硬い相手にぶつからないよう、太い道で回す。細いと詰まるから」

渡せ/渡すな/結べ/切れ。四語がいつものように同じ重さで落ちる。

そこに、今日だけの語が一つ、固く沈んだ。


——硬さ


言葉の輪郭が、少し厚い。祈りの匂いはない。合意の温度だけだ。


夕方。

標本庫から借りた古い薄片(研磨標本)を、提示なしでライトの下に置く。

見るのは道具の層理だけ。

それでも、呼ばないのに来る。


——進む 危険

——留まる 飢え

——飽和 顎 刃 眼

——乾き 光 空気

——重さ 呼吸 塩

——膜 表皮 厚さ

——殻 棘 刺

——石 硬さ 重さ

——速さ

——消耗

——故障

——修理(※渡せ/切れ)

——結論:静に寄れ

——光を食え

——動きを捨てよ

——根を張れ

——群れで残れ

——必要なところで切れ

——渡せ


理沙が椅子に沈み、額を押さえる。「……“消耗/故障/修理”が挟まった。競争のコスト」

「“速さ”と“硬さ”は、高くつく」悠真が目を細める。「静は、運用コストが低い」

「会議が、静へ重みを振り始めた、で止める」陽一はホワイトボードに《静へ》と小さく書き、すぐ消す。名付けは刃物だ。使って、しまう。


そのとき、研究棟の入口で小競り合いが起きた。

匿名掲示板の“視る会”の若者が二人、警備に食い下がっている。

「30秒で分かるってここですよね」

「分からないなら最高だ」悠真が割って入る。「分かったふりは、ここでは禁止だ」

彼らは笑って、スマホの画面に“祈り”の文字を見せる。

理沙が深く息を吸い、吐く。

「応答はあなたの身体で決めるものです。設問にされると、身体は勝手に答えを落とします。それが暴力です」

若者の片方の笑いが、ほんの少しだけ薄れた。

「暴力、なんですか」

「情報で殴るって、ELSIの先生は言ってました」

「……今日は帰ります」

二人は素直に去った。少しの言葉が、少しだけ網を強くする。


夜前。

エミールの同僚から地図がもう一枚届いた。

《硬さの指標が高い層の上に、藻マットの層が乗る場所がある。そこでは“渡せ”の痕跡が強かった》

理沙が目で読む。「硬い相手の上で、渡す」

「静/硬/動の三本が、ここで静+渡すに合流した」悠真が線を引く。

陽一は喉の裏で二文字(議◯)を転がし、また飲み込む。浅くなる。

代わりに、胸の奥に落ちた古い列を受け取る。音読しない。


——進む 危険

——留まる 絶望

——飽和 顎 刃 眼

——乾き 光 空気

——重さ 呼吸 塩

——膜 表皮 厚さ

——殻 棘 刺

——石 硬さ 重さ

——速さ 消耗 故障 修理

——網 結び目 切れ目

——連絡 管

——表皮/孔

——結論:光を選べ

——動きを捨てよ

——根を張れ

——群れで残れ

——必要なところで切れ

——渡せ


言葉は、今日も祈りではない。選択の口調だ。

選ばれたのは、光。

選ばれたくなかったのは、速さ。

硬さは、方法としてだけ残る。


「……静に寄るのが、逃げではないことを、どうやって説明します?」理沙が言う。

「運用の最適化」悠真がすぐ答える。「速度の競争は修理費で死ぬ。光は外部電源」

「言い方が酷いけど、通じますね」

「通じるなら酷くない」


最後に、忘却手順カードを一枚ずつ確認してポケットに戻す。

《目を閉じる/呼吸を浅く/音読しない/水と糖/離れる》

終わり方を先に持つ。設問の片付け方を先に渡す。


帰り道。

街路樹が、今日は心なし重く見えた。

根が張り、幹が支え、葉が触れ、渡す。

どこかで切れて、どこかで繋がる。

静/硬/動が、今夜だけは静/渡す/切るに収束している。

視界の端で、顎/刃/眼が短く白く光り、やがて沈む。

浅瀬は、相変わらずこちらを呼ばない。

呼ばれないうちは、仮称で充分だ。

仮で指差し、仮で切り、仮で渡す。

そして、本物の側にいる森へ、明日も道だけを持っていく。



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