第一章 3
「見られてる、って……何に? 人? それとも……怪物?」
「それがわかれば苦労ないわよ」
まあ、それはそうだ。結芽はぐるりと、その空間に光の球体をかざした。
「でも、やっぱり……特になんにも見えないけど。見えてる範囲は」
ふたりがいたのは、どうやら洞窟の竪穴のような場所。人が三人も横になればいっぱいいっぱいの、狭い個室だ。高さも、立ち上がった結芽より、ほんのちょっぴり高いくらい。
ドアもなく、代わりに通路が二本、真向かいになった壁のそれぞれから、一本ずつ伸びている。幅もひとり分くらいの、窮屈なものだ。
何度見ても、見えている範囲のどこにも、動く物はない。目立った物もない。
「気のせいじゃないの?」
少女は真っ直ぐ結芽を眼差して、
「目だけに頼ってわかることなんて、知れてるものよ」
結芽はまたも、どきっとした。澄んだ緑の瞳でそう言われると、不思議と正しく聞こえてしまって、返す言葉が見つからない。それに、見つめてくる瞳のその輝きに、つい引き込まれそうになる……誤魔化すように、通路のそれぞれに光をかざす。
「……それで、どっちに行く?」
どちらかに行くしかないのは、明らかだ。
けれど、光を照らしても、通路がはるか奥まで伸びているのがわかるだけ。判断に役立ちそうなものは何もない。少なくとも、目に見えている限りは、ない。
少女は片方の眉をつりあげて、
「あら。まるで一緒に行くのが当たり前、みたいな言い方ね」
結芽は眉をひそめた。
「もしかして、別行動するつもり?」
「別に、わたしはそれでも構わないわ」
少女は平然と言ってのけた。
「あなたのように後先考えない人といると、問題が増えるかもしれないし。それに――」
『問題』という言葉が、やたらと強調されて響く。
「ちょうど、通路は二本あるわけだし」
結芽はため息を喉の奥に押し込んで、
「わかった。わかったから。さっき光をつけたことは謝る。でも――」
「別に謝らなくていいわ」
結芽を遮って、少女は言った。
「謝ることで、状況がよくなるなら別だけど」
やれやれ……。今度こそ、結芽はため息をついた。
「……でも、流石にこんな右も左もわからない場所で、ひとりよりは、ふたりの方がマシだと思うんだけど」
「どうかしらね?」
少女はつんとしながら言う。
ただまあ、その言い方をみるに、すっかり拒絶されてしまったわけではなさそうだ。結芽はふうーっと息を吐きながら、ふたつの通路を見比べた。
「まあ……文字通り、右も左もわからないわけだけど」
右も左もわからなければ、東も西もわからない。パッと見る分には、洞窟か、迷宮のような場所。進むにつれて通路が狭くなったり、はたまた行先は行き止まりだったり……ここがもし本当に異世界なら、何が起こってもおかしくはない。せめて、上と下まであべこべになってないことを祈るばかりだ。結芽が何度も光を通路にかざして、奥まで見えないか目をこらしていると、
「こっちよ」
少女は迷わず、一方の通路に向かっていった。結芽は慌てて追った。
「なんでわかるの?」
「音がする」
(音、ねえ……)
結芽はちらっと視線だけを、後ろに流す。
少女は慎重に周囲に視線をやりながら、結芽の後ろをついてくる。
(空耳……にしては、はっきり言い切ったもんな……)
結局、光をかかげる結芽が通路を先に進むことにしたのだ。少女が先に行きたがるかと思ったけれど、おとなしく結芽に従った。
それから結芽は、これまで何度もしてきたように、足を止めずに耳をそばだててみる。けれどやっぱり、ふたり、四つの足音が反響する以外、聞こえるものはない。
(まあ別に、ほかに頼るものもないから、いいんだけどさ……右も左もわかんないし)
すると鋭敏にも結芽の視線に気づいたのか、少女が鋭い瞳をきっ、と上げた。結芽は慌てて視線を戻す。ほどなく、背中に突き刺さる視線を感じなくなって、結芽はホッとする。
すぐに眉をしかめた。
(鋭敏、っていうか、鋭敏すぎでしょ……)
ここしばらく、こんな感じの沈黙が続いていた。
最初は、結芽なりに会話を試みようとしたのだけれど――少しくらいは距離を縮めておくべきだと思ったのだ――、
「ここ、どこなんだろうね」
「知らないわよ」
「…………」
「…………」
「ホントに、異世界なのかな」
「さあ」
「異世界だったら……どんな世界なんだろ。不思議な生き物とかも、いるのかな」
「どうせわかることよ――。生きてここを出られれば」
「……音なんか、しないんだけど」
「じゃあ反対の道に行けば?」
「……あなた、高校生? それとも中学生?」
「知らない」
「…………。もうちょっとくらい、友好的でもいいんじゃない?」
「あなたが黙ってくれたらね。気が散って仕方ないのよ」
こんな調子で、早々に諦めざるを得なかった。
通路は何度も曲がりくねっていたけれど、幸い、分岐は見当たらない。少女にいちいち道を尋ねたりする必要は、今のところなさそうだ。高さが低くなるとか、幅が狭くなるとか、そういったこともない。
(この子も、あのプロジェクトに参加したひとり……なんだよね……?)
ふと、そんなことを思う。
(なんで、この子は参加したんだろ……)
黙って歩いていると、いろいろと疑問も浮かんでくる。思えば、こうして冷静に考える余裕は、ここに来てから一度もなかったのだ。
ほかにも例えば、この世界に来た人がほかにもいるのか、とか……。
(そういえば、名前もまだ聞いてないんだっけ……)
まあ訊いたところで、素直に教えてくれる気もしないけど。
(もし、この世界に来たのが私たちふたりだけだったら……)
その状況を考えて、結芽はげんなりする。この先が思いやられる、どころではなさそうだ……なにせ、何を言ったって、『気が散るから』と蹴散らされてしまう。結芽が先々を案じて暗い気分になった、その矢先。結芽は一瞬、足を止めて、すぐにそれまで以上に足を速めた。
確かに、したのだ。音が。
耳を澄ますと、間違いない、ざわざわした音、空気が擦れるような音が聞こえてくる。
(この子の言った通りだ……!)
結芽の心がはやる……というのも、ちょうど、ひとつの角を曲がったところで、進む先から白く、淡い光が漏れ出ていたからだ。角をひとつ、またひとつと曲がるごとに、音は大きく、光は濃くなっていく。結芽は半ば駆け足で、光の中に飛び込んでいった。
そして、眼前に拡がる光景に目を奪われた。