第一章 1
結芽の目が覚めて、一番に感じたのは冷気だった。
肌が陶器に触れたような肌寒さ。地下で感じる類いの冷気だ。
その空気にぶるっ、と震えながら、結芽は目を開けた。そしてパニックになった。
最初、結芽はキョトンとした。
(……?)
じっと、目を凝らす。
首をぐるりと回し、まばたきを繰り返す。そしてまた、じっと目を凝らす。
それでも、変わらない。急速に焦りが湧いてきたのは、この時だった。
目を開けて、見えたものに戸惑った……いや、見えなかったからだ。つまり、見えたものが見えなかった。
要するに、目の前に拡がるのが、真っ暗な闇だったのだ。
もちろん、ただの暗闇だったなら、どうってことはない。ただの暗闇だったなら。
けれど、そこが異世界だと知らされていれば……。だいたい、普通どんな暗い屋内だって、たいていは光を感じるものだ――たとえそれが、どれほど些細な光だったとしても。それなのに、起きた世界が異世界で、完全なる闇の世界だったらなら……誰だってパニックにもなる。
(もしかして……転生が失敗して、目が見なくなった、とかじゃないよね……)
慌てて、周囲を探ろうと手を伸ばす。その直前に思い留まった。
気配があった。
動きをはたと止めて注意をこらすと、間違いない。すぐ近く……それもほんの微かな吐息がかかるくらいの距離に、何かがいる。
どうやら、向こうも息をひそめているらしい。間違いなく、向こうも気づいている。
(ここが、本当に『異世界』なんだとしたら……)
結芽は、慎重に足を自分の身体の方に引き寄せた。
心臓の上を、冷たい汗が流れていく。そんな心地がするくらいに、結芽の神経は張り詰めた。
そのまま、細心の注意を払って、中腰の姿勢になる……これで、ちょっとは身を守ることもできる。少なくとも、寝そべったままよりはマシだ。
(でも、このままずっと、この姿勢ってわけにもいかないし……)
化け物、怪物……いや、生き物ですらないかも……結芽に襲いかかる絶好の隙を、狙っていないとも限らない。あるいはもしかしたら、向こうは結芽が疲れるのを待っているのかもしれない。
(せめて、武器でもあれば……)
ふと、思い出す。
(武器……。そういえば、ここに来る前の説明で……そう……異世界で使うための装備が、あった、はず)
結芽はそっと、腰についているはずの装置に手を伸ばす。その途中で思い直した。
(でも、武器があって……それでどうなるっていうの?)
こんなに真っ暗なこの空間だ。仮に刃物を持っていたって、なんの意味がある? 見えなければ、凶器も腕の延長でしかない。
(それより必要なのは……)
そして、伸ばしていた手を別の方に向ける。
不意に、辺りが真っ白になった。
突然の光の暴力に、結芽は面食らう。その内心で喜んだ。
(よかった……ちゃんと動いた!)
結芽の手は、銀の球体を握っているはずだった。手のひらに載るサイズの、コンパクトな球体。事前の説明によれば、周囲、それなりの範囲を真昼のように照らす優れ物。転移の過程で、壊れてしまった可能性も十分にあったのだ。ついでに、結芽の視力が失われたわけでもなかったらしい。その働きに満足している間に、世界がはっきりしてきた。
結芽は慌てた。
視界が戻ってきた今こそ、武器が必要じゃないか!
急いで、武器の方に手を伸ばす。
武器に手が届くまでは、この光が武器になってくれるのを期待するしかない……。ちょっとの間なら、光にひるんでくれる可能性はある。
一番に視界に飛び込んできたものに、結芽の目は釘付けになった。
『何か』の正体が、目の前にあった……いや、いたのだ。しかも、鼻が触れ合うほど近く。
それは、少女だった。