考えること、覚えること
発想する者、発想を掻き立てる物
中学の時に、絶対に勝てないと思う友達が二人いた
一人目
セキグチ 通称 とろ
絵を描かせると、独創的だった、というような平凡なレベルではなかった。
水彩画に見えない明暗のある絵を描いた。
もっともすごかったのは
ヘラブナつり
に誘ってくれたこと。
釣りだろう、とついていったら、
大人の仕掛け
で、ただただ驚いた。
雑誌かなんかで調べてパーツ類を加工したのであろう。
二人目
はっとり (そのまま)
セキグチと並ぶレベルの絵を描くが、二人でまったく違っていた。
恐ろしいことに
バスケの公式試合で
フリースローの時にフェイントをかけた
当然、相手はフライングするが、
審判、つまりは先生方は一瞬固まった
いつ、いかなる時に、この行為を思いついたのか。
良いことなのか、悪いことなのか
教育とか、教育者とかいうのは
理解して覚えること
が大半である。
つまり、答えありき。
自分で考えつく、いわゆる発想という
教育
というのは、やってみせるしかない。
それが、小学校までさかのぼり
うさみ先生
というのが、電気クラブみたいな
主にラジオのキットを組み立てる
部活みたいのをしていて、指導はしないが
5球スーパーラジオ
を部品を集めて作って
ひたすら時定数(CRの交換)
を代えて聴感比較して改良していた。
それを眺めていると、興味は深淵なものとなった。
例えば
コンデンサーを充電してショートさせる
ちょっと火花が出るのを見て、異様に興奮した。




