防災と言われてできたこと、できていないこと
昔は神田川が溢れることは、ザラでした
防災で備えというと
保存食、水
避難リュック、懐中電灯
避難場所、経路の確認
だと、南海トラフ警報の時には言われました。
大雨の時は、
川に近づかない
崖から離れる
と言われました。
今住んでいるところに当てはめると
なんもない
とりあえずお米と水を買ったら、翌週から棚から消えていて
悪いことした気分に。
あと、切れていた懐中電灯の電池を買いました。
さて、ここからですが、
渋谷区、愛知県、大阪市、兵庫県
と渡り歩きまして
神田川の氾濫、木曽川の氾濫
など、今年の大雨にはビクともしない治水が施されていました。
やればできるなら、やるのは自治体ではないか、、
というレベルではなかったのが
阪神淡路大震災
当時キャンプブームだったので、ファミリードームテントが乱立しました。
3月でもテントだと、ぎりぎり凌げたのを覚えています。
今住んでいるところでは
夏場の停電
これは生活できなくなりますので
和平高原キャンプ場
へ、ガソリンバーナー、ガソリンランタンで逃げ込む
という訓練をしています。家から1時間かかりますが、涼しいです。
つまりは、
どういう経験をしたのか
で、対応は異なります。
そのキャンプ場に、熊谷からジムニーと幕テント、薪の火おこし
に来ている若者がいました。
彼なら停電になっても、ここで困らないでしょう。
快適度は、人それぞれですが。
薪割りを見て、私には無理だと思いました。
15年かけて、日本をくまなく見てきたつもりですが、地域差は大きいです。
神戸も人が入れ替わってしまったので、ガス管が普及してしまったし
伊勢原市まで海抜数メートルで、昔のままだし。
湘南の地下駐車場で溺れるのはやだなとか。
その真逆が浜松でして、三陸並みの防潮堤が出来上がっています。
太平洋が陸から見えませんが。
東京に近い千葉も、東北の震災の時に液状化で歩けなくなったところが
オリンピックで高層アパートだらけ、その時は便利でも
災害の時は避難所へ来るな
と言われていて、能登みたいに倒れたらどうするんだろう。
軟弱地盤といえば東京23区で相当しないところはないのだから
狭くて景色が悪くても2階までのアパート、一軒家。
将来的には、なんでもかんでも地方へ移転するしかないでしょうね。




