使い古された新規性
新規性に言及する
働いて生産しようと思えば
新規性
という、当たり前の壁に突き当たる.
かつては、情報や文化では
速度
を上げることで新規性を持たせることができました.
聖書、新聞、ラジオ、テレビ、インターネット
速度と量は相関関係にあり、
量
で新規性を持たせようという試みもありました.
BD
ビッグデータが、まったく使われなくなり
AI(人工知能)
が一本勝ちという状況です.
生成AIと写真は、
真っ向から対立するもの
と考えやすいですが、実はそうでないこともわかってきました.
新規性のない写真でも、AIの元データとしての商品価値があり
生成AIの文章、映像を見ても、新規性は感じられない.
生成AIは、
量を充足することはできても
肖像権を脅かすことはできても
著作権を脅かすことはできても
遠近法やキュビズムを生み出すことはないということです.
当たり前じゃん
その当たり前のことが、できるかできないか
なぜできないか
一つには
自動化
があります.
自動化により、下積みなく作品を仕上げることができる
免許を取ったばかりの人よりも、より多くの高齢者がコンビニに突っ込む.
ブレーキ、アクセル
だけではなく、クラッチというものがあったなら起きえない現象です.
写真であれば
フィルムの現像、定着
引き伸ばし器のレンズとピント
印画紙の現像と、定着
これら作業を行うことなく
高精細
な写真を撮ることができるようになりました.
では、
遠近法、キュビズム
と無関係か、といえばそうでもありません.
いかなる撮影であっても、水平線が真っ直ぐということは
起こり得ない
からです.