1. 人質になります⑥
私はのんびりな馬車旅を満喫していた。
日中は、とりあえず馬車の中で『ルールとマナー』を開いた。
けれど、道が悪くなると馬車の揺れがひどくなって文字が読めなくなる。
かといって道がよければよいで、読み続けていると次第に眠気が襲ってくるし……
だから、そういうときには休憩と称して、お父さんとのおしゃべりを挟んだ。
するとポールさんも入ってきて、軽快にトークをしてくれるものだから、話はついつい長くなってしまった。
その結果、読書の時間よりもおしゃべりの時間の方がはるかに長くなったと思う(3倍くらい?)。
毎日日没直前になると、その時点で最寄りの町へ入り宿に泊まった。
ポールさんも一緒に泊まった。
「いい宿に泊まると、馬の世話もしてもらえるんですよ。族長さんはいつもそういう宿にしてくれるから、馬も僕も休めて負担が少ないんですよね」
お父さんとポールさんと私の3人で夕食を取る時間は、この旅の中で最もお気に入りになった。
お父さんとポールさんは、どの町へ入ってもそこの名物料理に詳しかった。
「リリー、このミートパイは絶対に食べておかないと損だ」
「リリーさん、こっちの菓子パンは若い女の子の間でめちゃくちゃ流行ってるらしいですよ」
『もうお腹いっぱい』だと言っているのに、それでもふたりは競うように、私にあれこれ食べさせようとした。
「太っちゃう!」
「太れ、太れ。それの何が悪い」
「そうですよ。リリーさんは細いから」
「これからに備えて食べておけ」
「えっ、それってどうこと? 私って、王城できちんと食事を出してもらえないの?」
粗末な食事ってこと? 人質ってそういう扱いを受けるの?
改めて考えてみると、私は人質になったあと、どんな生活を送ることになるのか何も知らないんだ。
楽しかったはずの気持ちは、不安に乗っ取られてしまった。
お父さんは焦ったように説明した。
「いや、そんなことはない。ただ、上品で繊細な……何ていうか、かぶりつけないような食事なんだ。父さんは振る舞われても、腹いっぱいになった気がしないってだけで、実際には腹いっぱいになっててだな……あー、とにかくそんな感じだ」
なーんだ、そういう意味か。
「それなら、私はお父さんとは違うから大丈夫なんじゃないかなー」
「言ったな? テーブルマナーで恥をかいてみるがいい!」
「そういえば『ルールとマナー』の本、食事マナーの章だけ読み込まれた跡があった! お父さん、恥かいて勉強したんでしょ?」
「……そうだよ」
お父さんがふて腐れたのが可笑しくて、私とポールさんは噴き出した。そうしたらお父さんまで笑い出して、3人して止まらなくなってしまった。
王城が間近に迫った頃、道が登り坂になったので、馬車はいっそうゆっくり進んだ。
「王城って、山の上にあったんですね」
道理で馬車が出発した地点からでも見えたわけだ。
「絶景ですよ。リリーさんなんて王城で働くんだから、城の高いところにも出入りできて、王国中を見渡せるんじゃないですかねー」
人質にそんな自由あるのかな?
逃走できないように、窓もない部屋に押し込められたりして。
「族長さん、急げば今日の夕刻には着けますけど、どうします?」
「今夜は城下町の宿を取って、明日の朝きちんと身支度を整えてから登城したいな」
「分かりましたー!」
いよいよ明日……
ポールさんの言った通り、2週間はかからず、13日間で王城に着くことになる。
その夜は、宿で食事を取りながら、お父さんとポールさんはお酒も飲んだ。
酔っ払って顔が赤くなるにつれて、だんだんと声が大きくなっていった。そして、いちいちオーバーなことを言った。
「ええっ!? リリーさん、人質になんのっ? 俺、そんなために、馬車を走らせてたのっ? うわっ、もう仕事、辞めちまおうかなっ!」
ポールさん、赤ちゃんはどうやって育てる気……
「ひどいだろぉ? リリーはなぁ、後世に名を残す細工師になれるはずだったのにぃぃ!」
お父さん、『後世に名を』って盛りすぎ……
「だけど、族長さんは毎年王城に行くたびに、リリーさんと会わせてもらえるんでしょ?」
「えっ!? お父さん、それ本当?」
「そうだろうなぁ。王城に行くと必ず姉さんに会わせてもらえてるから、リリーにも当然会わせてもらえるだろうなぁ」
「それ聞いたら少しほっとしたかも」
「でも、罪人が牢に入れられるんじゃないんだから、当たり前だろぉ? それにしたって、娘と年に1回しか会えないって、おかしいだろぉぉ!」
「おかしいですよっ! そもそも、何が目的で人質を? 併合した直後なら100歩譲って人質を取るのも理解できるけど、今こんな平和な時代に要りますかっ? 族長さんと僕だってこんなに仲よくなれてるのにっ!」
私のことで憤ってくれているポールさんを見ているうちに、お父さんの『無関係の人まで恨んだりはしないでくれ』というセリフを思い出した。
ポールさんを恨むなんて無理でしょ。できっこない。
なら、王城にいる人たちのことは?
分からない。自信はない。
けれど、ポールさんみたいに優しい人たちならあるいは……?
ううん、ううん! 優しい人たちなら、人質なんか要求しないもんね。
もし……本当にもしもの話なんだけど、自分もいつか伯母さんのように王城から出ることができるなら……
お父さんに、ポールさんの馬車で迎えに来てもらいたい。
そして、こんなふうにまた3人で食事をしたいな。
そのときにはお酒も飲める年齢になってるはずだから、私も一緒になって飲もう。
それで、『あのときはツラかったんだよぉぉ、言えなかったけど本当はドワーフの森に引き返したかったんだよぉぉ』って、真っ赤な顔と大きな声で話して……
そうしたら、ポールさんはきっと『よく我慢しましたねっ! 偉かったですねっ!』って労ってくれる。
お父さんは『俺だってなぁ、』って熱く語り始めるはず。
そんな光景を想像していたら、『ぷぷぷっ』と噴き出してしまった。
お父さんとポールさんは訳が分からず、きょとんとした。
「何でもないの。楽しなって思っただけ」
そうこうしているうちに夜は更けていった。
そして迎えた朝。
私は、お祖母さんとお母さんが用意してくれたワンピースに袖を通し、付け髭も顎にきっちり貼り合わせた。
何も怖くない、怯えなくていい。
私はドワーフの族長の娘なんだ。人質にだってなれる。
それって、それだけの価値が私にはあるってことでしょう?
ただでさえ小さいんだから、背筋を伸ばしてシャンとしよう。
勘定を済ませ宿を出るときには、お父さんも口を閉じていた。
ポールさんさえも空気をよんで黙っていた。
ふたりとも、昨夜はあれほど大騒ぎしてたのに……
私たちの誰もおしゃべりをしないで馬車に揺られること、数刻。
眼前には、王城が威圧的にそびえ建っていた。
せっかく奮い立たせた勇気はさっそく、ぺしゃんこに潰されてしまった。