1. 人質になります⑤
停車している馬車に、人が乗り込んでいくのが見えた。
「ひょっとしてあれ?」
「あれは乗合馬車だよ。俺たちは貸馬車で行く。事前に予約はしておいた。貸馬車の店舗はこっちの大通りだ」
お父さんに案内されて、町の中心部へ入っていった。
「ポール!」
通りのわきに、乗合馬車よりもふた回りくらい小さな馬車が停まっていた。
荷台を覆うホロに上半身を突っ込んでいた男性が、顔を出してこっちを向いた。
「族長さん、お久しぶりです。今回は珍しい時期に王城へ行くんですね」
「そうなんだ。よろしく頼むよ」
「もちろんですよ! 族長さんに毎度ご指名いただけて光栄です」
ポールさんはさわやかな笑顔で答えた。
「あれ? 今回の同行者1名って、もしかしてこちらのお嬢さん?」
ポールさんは驚いた様子で私を見た。
「ああ、うちの1番上の子でね。一緒に王城へ送ってもらいたいんだ。帰りは別の……俺の姉になるんだが……」
「それは構わないですけど……族長さん、いいんですか? こんな可愛い女の子を王城なんかに連れていくと、悪い虫がつきません? ドワーフの森に隠しておいたほうがいいんじゃないですか?」
「そうできたらよかったのにな……」
ポールさんの軽口に、お父さんはあからさまに落ちこんだ。
「だ、大丈夫、大丈夫ですよ! 族長さんがしっかり守ってあげるんでしょ? あれっ、でも帰りは別……そっか、お嬢さんは王城で働くんですね? さっすが族長さんのお嬢さん! あははっ、何か変な事を言ってしまって、すみませんでしたっ」
ポールさんは荷台に飛び乗り、ガラッ! とか、ガシャンッ! とか大きな音を立てた。
どう考えても慌てすぎだと思う。
「お父さん、ポールさんに何かしたことでもあるの?」
「はあ? あの人はいつもああだよ。リアクションが大袈裟なんだ。その分、裏表がなくて、長旅をまかせるのにぴったりなんだよ」
なるほど、と思ったところで、ポールさんが再び顔を出した。
「今、中をピカピカに掃除したところなんですよ! ちゃちゃっと掃除道具を片付けてくるんで、馬車に乗って待っててください」
ポールさんは掃除道具を持って、建物に駆け込んだ。
戻ってきたときには、掃除道具は旅行カバンに変わっていた。
「今回も迂回ルートでいいんですよね?」
「ああ、娘に色々見せてやりたいから」
「お父さん、どういう意味?」
「王城に最短距離で行くルートは殺風景だし、野宿になるからその分、危険も多いんだ。町と町を結ぶルートなら遠回りにはなるが安全だし、ちょっとした観光にもなる。父娘旅行だと思えばいいだろ」
「へー、面白そう」
「きっといい思い出になりますよ」
ポールさんは純粋な笑顔でそう言ってくれた。
まさかこれが最初で最後の……だなんて想像もしないんだろうな。
「じゃあ、さっそく出発しますよ? はっ!」
ポールさんの掛け声とともに、ゆっくり馬車が動き出した。
イノシシの曳く台車と違って、馬車は一定の速さでゆっくり進んでいく。
それでもそれなりに振動があって、クッションを敷いていてもおしりが痛い。
町の外に出て街道を進み始めるとすぐにポールさんが声をかけてきた。
「リリーさん、ほら、あそこ。王城が見えるでしょう?」
あれが!
ぼんやりとだけれど、城が空に浮かんでいるみたいに見えた。
ここから見えているということは、王城は割と近いに違いない。
それなら、私のおしりも耐えられる。
「どれぐらいで着きますか?」
「悪天候のときなんかは2週間かかることもありますけど、今回は天候がいいから2週間かからないで着いちゃうと思いますよ」
「えっ、ええっ? 2週間? そこに見えてるのに?」
2週間もかかる距離で見えるって……近くで見たら一体どれだけ巨大なの?
想像ができない。
「ああ、ドワーフの皆さんが乗ってるイノシシはすごく速いんでしょうね。でも馬はゆっくり歩きますから、そんなにかかっちゃうんですよ」
イノシシのほうが速いのは確かだけれど、王城が大きいことに変わりはないんだろうな。
「とはいえ、王城は、王国内の西寄りに位置してるんで、これでもすぐに着く方ですよ」
「あっ、そうですよね」
200年前にドワーフの森を併合して以降、王国は東へ東へと領土を広げていったのだ。
この程度で文句を言っていてはいけない。
「国内の東の端っこから、王城へ行こうとすると、1ヶ月は軽く必要らしいです」
「ひいっ、1ヶ月! ……あっ、でもポールさんとお父さんは往復するから、ほぼ1ヶ月馬車に乗るってことですよね」
「まあ、そういうことになりますねー」
うへー。いつもお父さんが王城へ出掛けると1ヶ月帰ってこなかったけれど、それってほぼ移動に費やしていたんだ。
てっきり王城に何日も滞在しているんだと勘違いしていた。
お父さんが1ヶ月も不在だと、村のみんなも家族も困ることが出てくる。
正直、さっさと用事を済ませて帰ってきてくれればいいのに……と、毎回のように思っていた。
「あっ、ポールさんの家族は、ポールさんが1ヶ月も家を空けて大丈夫なんですか?」
「うちですか? うちのカミさんは、1ヶ月の単身赴任みたいな感覚で捉えてますよ。この前、赤ん坊が生まれましてね、」
「わあ、おめでとうございます! ……えっ、だったらなおさら家にいないと……」
「いやー、それが初孫だから、じいじとばあばが張り切ってくれてて。『面倒は見ておくから、しっかり稼いでこい』って送り出されました。族長さんは運賃を一括で前払いしてくれるから、ありがたいです。家に帰ったら見たことのないオモチャが溢れてそうで、怖いんですけどね」
そう言いながらも、ポールさんの声は明るかった。
赤ちゃん……
私はお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんのことを考えた。
下の妹が生まれたとき、産後間もないお母さんに代わって、お祖母さんに教わりながら家のことをしたり、弟や上の妹の面倒を見たりした。
今ならもっと色々なことができると思うんだけどな……
今度はもう手助けできないんだ。
弟や妹たちが、私の抜けた穴を埋めてくれるのかな?
うん、あの子たちなら大丈夫だ。私がいなくても家は回る。
何ひとつ不安はなかった。
けれどそのことが寂しくて、鼻の奥がツンとした。
「リリー、さっきから黙ってどうした? 馬車に酔ったか?」
お父さんが私の顔を覗きこんできた。
私は鼻をすすって答えた。
「だ、大丈夫、そんなんじゃないから。その……2週間も馬車に揺られるなんて退屈しちゃうなって考えてただけっ」
わざと眉根を寄せてボヤくと、お父さんは妙に上機嫌になった。
「ふっふっふ……お父さんはな、ちゃーんと準備をしてきてやった!」
『どうだ!』と言わんばかりに、勝ち誇った顔でお父さんが取り出したもの……
それはそれは分厚い本だった。
揺れる馬車の中で目を凝らすと、表紙には『これで貴方も大丈夫! 基本のルールとマナー』と書いてある。
「えーっ!? 嫌だ、そんなの!」
私は思わず絶叫した。
「何言ってるんだ。これはすごく役に立つんだ」
「お父さんも読んだの?」
「当たり前だ。読んだに決まってるだろ」
「実践してる?」
「実践? 実践……はしてる……少しは」
「ほらあっ!」
私とお父さん、それからポールさんまで一斉に笑った。
ひとしきり笑い終えると、お父さんは本を差し出してきた。
「リリー、お前には本当に必要だから」
そうかもしれない。
私は渋々、本を受け取った。