1. 人質になります④
町の前まで連れてきてくれたお礼に、私は大イノシシに好物のドングリを食べさせた。
2頭はフゴッフゴッ鼻を鳴らしながら、勢いよく食べてくれた。
大イノシシを町の中へ入れることはできない。
だから、お兄さんとサイラスとはここでお別れだ。
別れ難かったけれど、ふたりには日が沈むまでにドワーフの村に戻ってもらいたい。
慣れているといっても、夜の森はドワーフ族にとってもとても危険だから。
私はお兄さんとサイラスを順番に、ありったけの力で抱きしめた。
「リリー、ドワーフ族と母さんのためにありがとう」
「姉さん、どうか元気で」
私は何も言えなくて、ふたりの胸に強く顔を押し付けて、何度も何度も大きくうなずいた。
「姉さん、きっとまた会おうね」
私はニ度と会えないことを覚悟している。
でも、そんなことはわざわざ言わなくてもいい。サイラスだって本当のところ、そのことを知っているに違いないんだから。
私は、『うん、きっとね』と答えるだけに留めておいた。
私とお父さんは、台車から荷物を下ろして担いだ。
私たちが行かないと、ふたりはいつまでもここにいるんだろうな。
それが分かっていたから、私はお父さんに合図し、町に向かって歩き始めた。
それから少しすると、ダダダダダッ……ダダダダダッ……という獣の足音が聞こえてきてた。
徐々に遠ざかっていって聞こえなくなるまで、私は耳を澄ませていた。
お父さんはそのことに気づいていたのか、しばらく黙ったまま歩いてくれた。
町の入り口ではちょっとした人だかりができていた。
どうやら荷物検査がおこなわれているようだ。
「お父さん、私たち大丈夫なの?」
「ん? ああ、大丈夫だろ」
その自信、どこから来たの? 謎すぎるんだけど……
私もお父さんもそろって斧を携えてるっていうのに。
これは最悪没収されてもいいとして、問題はお父さんが背負ってるやつ!
検査官が、宝剣は剣じゃないって判断してくれるとは限らないよね?
余裕かまして大股でゆったり歩いてる場合じゃないと思うんだけど……
検査官の視線がお父さんに向けられたとき、私の緊張はピークに達した。
「族長さん、こんにちは」
「おお、お疲れ様」
あら? あらら? 妙に和やかじゃない?
検査官もお父さんも笑顔だし……
「今日はどうして町へ?」
「これから王城まで行かないといけなくて、馬車を借りに来たんだ」
「へえ、それで。後ろのお嬢さんは、族長さんの連れですか?」
「俺の娘」
「えっ、似てないですね。似てなくて可愛い」
わっわっわっ、たとえリップサービスだとしてもうれしいかも……?
「余計なお世話だよ」
「娘さんも王城まで?」
「そうなんだ」
「遠くまで大変だね。気をつけて行っておいで」
最後のセリフは明らかに私に向けてだった。
ひらひらっと、手まで振ってくれた。
私は戸惑いながらも、ぺこりと頭を下げた。
「あれっ!?」
「何だ、大きな声を出したりして」
「荷物検査は?」
私とお父さんはすでに検査所を通過してしまっていた。
「そんなもん要らないだろ」
「そういうもの?」
「リリー、まさか人の字が読めないんじゃないだろうな?」
「読めるよー。むしろドワーフ語のほうが不自由だよ」
自慢じゃないけれど、そうなのだ。
ドワーフの村でも、王国の公用語を日常的に使っている。
子どもたちは小さいうちから、村の外で購入した絵本や童話を読み聞かせてもらって育つ。
ドワーフ語はもはや古語の域に達している。
「なら、あれを読め。盗品を隠し持ってないか、チェックしてるんだろ」
お父さんが後方を指差した。
そこには大きなポスターが貼られていた。
『近隣の町で強盗事件が発生しました。目撃情報によると、メンバーは20代から40代の男性とのこと。この特徴に該当するかたは、手荷物検査にご協力ください』
なるほど……
「でも、お父さんだって20代から40代の男性だし」
「おおい、ドワーフの族長を疑うってのか? 特長にドワーフと書いてあるならまだしも、ありえないな」
「お父さん、まさかの顔パス? でも、斧もってるし」
「もってるだけだ。ドワーフが強盗なんかするはずないだろ。そんな物騒なこと考えるなんて、リリーのほうこそ捕まえてもらってこい。リリーだって、斧を所持してるじゃないか」
「やだよー!」
「そうか。一生人質に取られるよりはマシだと思ったんだけどな……」
「冗談はやめてよー」
そう言って笑い飛ばしたけれど、お父さんのそれは少しも冗談には聞こえなかった。
お父さんは『そうだな……』とだけ小さく呟いた。
それからすぐに町の通りに出た。
うっわあああ……
私の足はすくんでしまった。
たくさんの人が行き交っていた。色々な音や声が入り混じって、やたらと騒がしい。
それと建物が大きくない?
建物だけではなかった。建物に付いているドアも大きければ、窓の位置も高い。
見上げていると、自分がみるみると縮んでいくような錯覚を起こした。
「おおい、リリー! 上ばっか見てないで、前も見て歩けよ。ぶつかる」
いつも通りのお父さんが、私の隣を堂々と歩いていた。
お父さんはどこにいようとも変わらないんだなー。
それに気がついたら、少し安心した。
私も王城で暮らしていれば、そのうち人の中を歩くことにも慣れる日が来るのかな……
前方からこっちに向かって歩いている町人が、顔の高さまで手を上げたのが目に入った。
「族長さんじゃん。今日はどうしたの?」
えっ、すっごいフランク……
「馬車を借りに来たんだ。王城へ行く用事があってな」
「こんな時期に? あっ、そうそう、お願いしたいことがあったんだった。王城から戻ったらでいいから、うちの店に寄ってもらえないかな?」
「お願い?」
「絶対に損はさせない仕事があるんだ。というか、ドワーフの職人さんにしか頼めない仕事で、引き受けてくれないとめちゃくちゃ困る!」
「分かった、分かった。とりあえず話を聞かせてもらいに顔を出すよ」
「よろしくー。じゃあ、ドワーフの族長さんを襲おうなんて命知らずはいるはずがないと思うけど、一応気をつけて」
親しそうに笑顔で会話を交わすふたりを、私は不思議な気持ちで見ていた。
「商家のご主人だよ。長い付き合いで、お世話になってるんだ。誠実で信頼できる人なんだ」
「さっきの検査官といい、お父さんって町の人と気安いんだね」
「父さんが成人したら、祖父さんは町へ出掛ける用事ができる度に、父さんも連れて来てくれるようになったからなー。さっきのご主人なんか、その頃からの知り合いだから、かれこれ20年以上の付き合いになるかな」
「まるで友達みたいだったよ?」
「友達……そうだな、友達だな」
「ええっ、ドワーフと人が?」
「別に構わんだろ。仕事で町に来たら、ついでに一緒に飯も食べるし、酒だって飲むよ」
「えええーっ!?」
それは私にとってはとても衝撃だった。
まるで天と地がひっくり返ったような……
「ちょっと1杯ぐらいのことでうるさいな」
「違っ、そうじゃなくて! 人とだよ? 200年前までは戦ってた相手だよ?」
「200年も前は父さんもご主人も生まれてないし、そんなことは知らん。それに今はどっちも同じ王国の国民だ」
「だ、だけど、ドワーフ族から人質を取ってるんだよ?」
「それはあのご主人には関係ない話だ」
「だ、だけど、自分の姉を人質として差し出して、今度は娘を差し出すのに?」
「だから、それはご主人がそう要求したわけじゃない。王家との200年も前からの約束事なんだ。族長でありながら、父さんにもどうすることもできないんだから、仕方ないじゃないか……」
お父さんは悔しそうに言った。
「リリーには『すまない』と頭を下げることしかできない。だけどな、王城に行っても無関係の人まで恨んだりはしないでくれ」
何だか裏切られたような気分だ。
これって、お父さんの懐が深いの? それとも私の器が小さいだけ?
釈然としないながらも、私は『分かった』としか答えることができなかった。