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1. 人質になります③

 朝日が完全に登った。出発のときはもう目前だ。

 徹夜して寝不足なのと、大泣きしてしまったのとで、私の目は開けられないほどパンパンに腫れていた。


「まあ、何てひどい顔なの!? リリーたら、こんなときまで笑わせてくれるのね。あなたらしいわ」


 お母さんが笑いながら泣いた。


「いつもの作業着ではいけないわ。これに着替えなさい」


 お母さんは真新しい服を手渡してきた。

 いつの間に用意してくれたんだろう? 全く気付かなかった。


「でも、つなぎ服はつなぎ服なんだ?」


「あら、言ってくれるじゃない。でも、この素材は丈夫な上に、すぐ乾くところがいいのよ。洗い替え用に3着作ったから、汚れたら手洗いすればいいわよ」


 お母さんの手作りだ。すぐに分かった。

 すぐに着たいような、でもいつまでも着たくないような……

 ふたつの相反する思いに、心の中はメチャクチャだ。


「あと、これも。ジャーン!」


 お母さんが上等そうなワンピースを掲げた。


「私に? どうしたの、これ?」


「お父さんに聞いたって『何着ていったって構わん』としか答えてくれないの。でもそんなはずないじゃない? だからお祖母さんと準備したのよ」


 ドワーフの森に自生している花のモチーフが、胸元と腰にあしらわれている。


「わあ、すごく素敵」


「登城する日には、これを着ていって」


 ああ、何だ。そういうこと……

 ほんの一瞬浮遊した気持ちは、地面にのめり込みそうな勢いで落っこちた。

 丁寧にたたみ直して私のバッグに詰めてくれていたお母さんは、幸いそのことには気づかなかった。


 お母さんが不意に手を止めた。


「あら……そういえば、髭はどうしよう? リリー、付ける?」


「髭! そうだった……」


 ドワーフは、男女問わず髭が生えている。

 人はそう信じている。

 しかし、それは真実ではない。

 ドワーフは人に比べて背が低いため、若く(下手をすると幼く)見られやすい。

 そこで、侮られたりすることのないように、成人を迎えたドワーフは付け髭を付ける風習がある。

 それと、成人前の髭を付けていないドワーフは人前に姿を出してはならない、という掟もある。

 もちろん男性のドワーフの中には、付け髭ではなく、本物の髭をたくわえている者もいる。

 私のお父さんがそうだ。

 族長という立場のため、人と会う機会が比較的多い。そのため、『いちいち付け髭を付けるのが面倒』だと言って、地毛を伸ばしている。

 しかし、女性のドワーフの場合はみんな付け髭だ。

 私は成人していないけれど、これから人の中で生活していくことになる。

 今日から付け髭を付ける方がいいんだろうな。


「お母さんの持ってる中で、1番上等な髭をあげるわ。これならゴツくないし、若い子にも似合うと思うの」


 それはとても柔らかい短毛のあご髭だった。


「それと、髭に慣れないうちは食事中にしょっちゅう汚してしまうものだけど、これは毛が短くてあんまり邪魔にならないところがいいのよ。付け髭初心者にも使いやすい髭なのよ」


 お母さんに手伝ってもらいながら、私は身支度を整えた。

 その間も、干からびてしまうんじゃないかと心配になるくらい、お母さんは泣き続けていた。


「お母さん、私はみんなより半年だけ早く大人になって家を出る。ただそれだけだから」


 私なりに精一杯の背伸びをして、強がってみた。

 そして、お母さんのお腹をなでた。

 まだ下腹部がほんの少し膨らんでいる程度だ。


「この子、女の子な気がする」


 なぜかは分からないが、はっきりそう感じられた。


「それと、この子はきっと細工師になる。だからお母さんは体に気を付けて、元気で丈夫に産んであげて」


「ええ、そうね。そうするわ……」


 お母さんを泣き止ませたかったはずなのに、お母さんはますます激しく泣いた。

 こんなに泣いたら、お腹の赤ちゃんにも酸素がいかないんじゃ……

 オロオロしているところへ、お父さんが入ってきた。


「残念だが、時間が来てしまったよ。リリー、出発だ」


 王城へ行くためにまずドワーフの森を抜け、一番近くの町で馬車を借りる計画になっている。

 それのどこが問題かって……

 ドワーフの村から町まで行くのに、徒歩を除けばイノシシが唯一の交通手段ということだ。

 ドワーフの村では、大イノシシを飼っている。

 非常に力が強く、スピードもある。しかし、如何せんイノシシは真っ直ぐにしか走れないのだ。しかも、視力は弱いときている。

 だからイノシシに乗るときには、前方に障害がないかをよく確認してから、ダーッと思いっきり走らせて、いったん止めて、また前方を確認してダーッと一気に走らせて……これを延々と繰り返す。

 神経を消耗する上に、乗り心地もはっきり言って『悪い!』のひと言に尽きる

 今回は、サイラスと従兄のお兄さんが町まで送ってくれることになった。

 ふたりはそれぞれ大イノシシに騎乗し、その大イノシシに台車を曳かせる。私とお父さんは、荷物と一緒にその台車に乗り込むのだ。


 ドワーフ族総出で見送りに来てくれていた。

 お父さんは、宝剣の入った木箱を革製のベルトで自分の背中にきつく縛り付けた。

 それから斧とクロスボウを装備した。


「リリーも王城に着くまでは、斧くらいは身につけておけ」


「使うことあるの?」


 工具の扱いには自信があるけれど、斧については不安だ……


「襲れるとしたら、この森の野生動物にだけどな。森を出たらほぼないと思っていい。でも武器を目立つように持ってるから、野盗に襲われないだけかもしれん。だから、せいぜい見せびらかしておけ」


「そういうことかー」


 お父さんから小ぶりの斧を受け取った。

 お父さん、私の順に台車に登った。


 門番が重い鉄製の扉を開けると、ギイイと音がした。

 私はドワーフ族のみんなに聞こえるように、できるだけ明るく声を張った。


「お世話になりました! それでは行ってきます!」


 イノシシにまたがったお兄さんが、台車を振り返った。


「忘れ物はない? それじゃあ、行くよ?」


 私は大きくうなずいた。


「僕、台車を引っ張るのは初めてなんだよね」


 サイラスは少し緊張しているように見えた。

 『よろしくね』と言いかけたそのとき……突然、台車が勢いよく前へ飛び出した。

そういえば、イノシシに助走なんてものはないんだった。情緒のへったくれもない出発だ。


「わっわっわっ!」


 私は慌てて台車にしがみついた。


「リリー、しっかり口を閉じろ! 舌を噛むぞ」


 お父さんに言われ、私は口をぎゅーっと結んだ。


 日が高くなる頃には、私の腕は疲れてガクガク震えていた。

 これ最後まで耐えられる気がしないんだけど……

 私は絶望的な気分になった。

 がんばってくれているはずの大イノシシが恨めしい。

 しかし、ちょうどそのとき、大イノシシたちも疲れてへばってきたのか、スピードが落ちてきた。

 最初からこのぐらいのスピードに調整して走ってくれればいいのに……

 ガタガタタタタガタタ……ガタガタタ……

 徹夜明けの身体に、台車の揺れが徐々に気持ちよくなってきた……


 お父さんに肩を叩かれて、私の目はぱちっと開いた。


「リリー、そろそろ森を出るよ。起きて周りを見てごらん」


「あれ? 私、寝てた?」


「ヨダレが出てたぞ」


 お父さんにガハガハ笑われ、私もつられて笑ってしまった。


「えへへ。せっかくお母さんが服を新調してくれたのに」


 大イノシシは相変わらず、ダダダッと走っては止まり、またダダダッと走っては止まりの繰り返しで進んでいた。

 そして次の瞬間、目の前がぱああっと明るくなった。森の外へ出たのだ。

 景色が一変した。

 森の先は、鮮やかな黄緑色が広がっていた。太陽の光を浴びてキラキラ輝いている。風が吹くと、その黄緑は巨大な1枚のシートのように揺らめいた。


「うわあああー!」


 私は思わず歓声を上げた。


「小麦畑だよ」


 ドワーフ族の主食は小麦だ。工芸品などを売って得たお金で、人から小麦を買っている。

 にも拘らず、小麦畑を見るのは生まれて初めてだった。

 農作業をしている人たちも見えた。


「お父さん、あれっ!」


 私は見慣れた農器具を見つけて叫んだ。


「ああ、これから行く町にはドワーフ族と取引している商家のひとつがあるから、この辺りでは俺たちの作った道具がけっこう普及してるんだよ。評判もかなりいいんだ」


 お父さんは淡々と説明した。

 私は大興奮だったのに、お父さんにとっては何でもないことだったみたい。

 人がドワーフの道具を使い慣れた様子で使用している風景は、私の目にはこれほど新鮮に映っているっていうのになー。

 それからもぼんやりと農作業の様子を眺めていると、お兄さんが右前方を指差した。


「リリー、あっちを見てごらん。町が見えてきたよ」 



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