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山のお宿

作者: 冬木アルマ

 時坂(ときさか)は古道を歩くのが好きだった。

 そこを歩きながら、先人達が何を考え、何を残していったのかを思い馳せるのが好きだった。歳の割に古臭いと言われても、全く気にしなかった。


 さらに言えば、その道を歩いて見える景色も好きだった。平地では昔ながらの建物や史跡が見えるし、そこに存在する伝承を知ることもできる。自国の歴史を学ぶのに最適の方法だ。


 ただ、古道の中には人の気配が一切しない山の中を通る場合もあり――――今回のお話は、そこを通った時の不思議な体験談である。


 ☆☆☆


 その日は、かなり山深い場所を歩いていた。

 今にも脇から獣でも飛び出しそうな古道である。念のため鈴は付けているが、これで万事対処できるわけではない。時坂は心の中で祈りながら、一歩ずつ進んでいく。


 登山の格好で臨んだのは正解であった。かなり勾配のある場所もあったし、道もほとんど舗装されていない。昔の人は普段からこんな道を歩いていたのかと考えると、本当に先達には頭が上がらない。いかに自分達が便利で楽な生活を送っているかが理解できる。


「んん?」


 しばらく坂道を登った所で、時坂は前方少し離れた所に、小さな山小屋があるのを発見した。表面には苔が生え、蔓が巻き付いている。壁も腐食のせいかいくらか黒ずみ、どこか趣深い風情を出している。


 一目でかなり年季の入った建物だとわかった。建付けも何となく古風な感じがする。建築の専門家ではないので、はっきりとしたことは言えないが……。


(昔は休憩所とかで使われていたのかな……)


 などと考えていると、


 ガチャン――――


「えっ!?」


 ――――扉が開く音がした。時坂は思わず、近くの木陰に身を隠した。


 気配を殺し、ジッと目を凝らして見ると、黒い影が二つ、山小屋の中に入っていくのが確認できた。


 詳細は不明であったが、それは間違いなく人の形であった。時坂はゴクリと息を呑んだ。


(なぜこんな所に人がいるのか。俺と同類か、もしくは登山者か? それにしたってあんなボロ屋に入るか? いや、まさか今でも休憩所として機能しているのか? そうだとしたら……気になる)


 ――――後に、時坂は語る。あの時、どうしてあのような気持ちになったのだろうか。理由をあげるとすれば、


 山に、()()()()()()のかもしれないと思う、と。


 ☆☆☆


 扉の前まで来ても、やはりとても機能しているようには見えなかった。扉も、本当に動くのかどうか怪しいくらい朽ちていた。


(さっきのは幻か? いやしかし、音もしっかり聞こえたし)


 試しにノブに手をかけ、回してみる。


 ガチャリ。


(ちゃんと動く! やっぱり間違いなかった!)


 時坂はおそるおそる、扉をゆっくり開けていった。


 カランカラン


 乾いた音が響き、時坂は肩をビクッと震わせた。


「いらっしゃい」


 状況を把握する前に、透き通った声が耳に入ってきた。時坂はバッと声のする方向に顔を向けた。


 そこには、巫女服姿の中学生位の少女が、カウンター越しで何か作業をしていた。艷やかな濡羽色(ぬればいろ)の長い髪を一つに結び、後ろに垂れ下げている、言いようのない気品を感じる少女だった。


 時坂は、その光景に思わず魅入ってしまった。時坂に少女愛の趣味はない。しかしどうしても、眼前の女性から目を離せなくなってしまう。それほどまでに美しい人だった。


「座らないの?」


 再び鈴の音のような声が、時坂の耳に入る。時坂はそこでハッとし、カウンターにそそくさと座った。少女はそれを確認すると、時坂にそっと水を差し出した。


「あ、ありがとうございます」


「礼なんていいよ。お客様なんだから」


「客? どういうこと?」


「あれ? もしかして知らずに入ったの? てっきりわたしは……」


 そういって少女はスイッと時坂に顔を近づけた。紙一重の近さに、時坂の心拍がより早くなる。顔が赤くなっていないことを祈りながら、少女の顔を見返した。


 少女はしばらく時坂の顔をじっと見続けた。黒曜石のような瞳が時折キラリと輝き、それがますます少女の異質性を際立たせていた。時坂は無言のまま、時間が過ぎるのを待った。


 やがて少女はスッと時坂から顔を遠ざけると、


「……まじか」


 と、少し困ったような声色で呟いた。


 時坂がその言葉の意味を尋ねようとしたその時、


「ねえ、久々の客人だよ」


「ねえ、久々の客人だね」


 クスクスと、どこからか男女二人組の笑い声が聞こえてきた。


(ん? 他に誰かいたのか? 入ってきた時は、少女以外誰もいないと思っていたが……)


 よく耳をすましてみると、声は二人だけではないようだ。


「本当だ、久々の客人だよ」


「本当だ、久々の客人だね」


 クスクスクス……クスクスクス……


 四方から、ありとあらゆる笑い声や話し声が、時坂の耳に入り込んできた。ついさっきまで無音だったはずなのに、今では町の居酒屋のような喧騒が辺りを充満している。時坂はゾクリと悪寒のようなものを感じた。


(何だ? 入ってきた時、こんなに人いたか?)


 入ってきた時、間違いなくこの場にいたのは時坂と眼前の少女だけだった。自分が入った後扉が開いた音もしなかった。だというのに、この声は何だ? どこから発せられているというのか?


 さらに不気味なことに、会話の主達はどうも時坂のことについてあれこれ喋っているようであった。得体の知れない何かが自分のことを話していると思うと、いっそう気味が悪い。時坂が声のする方に顔を向けようとしたその時。


「見てはダメ」


 眼前の少女が、突然時坂の両頬を押さえてきた。予想外の事態に時坂が驚いていると、


()()を見てはいけない」


 鬼気迫ったような表情で、少女は時坂にそう告げた。時坂が何が何だか分からないでいると、


「邪魔をしないでよ、巫女」


「邪魔をしないでよ、巫女」


「邪魔をしないでよ、巫女」


 複数の声が一斉にその言葉を発した。すると、


 キイイイイイン


 時坂に今まで味わったことのない強烈な頭痛が襲いかかった。あまりの苦しさに時坂は頭を抱えながらその場に突っ伏した。


「あ……が……」


 呼吸が苦しくなり、ロクに声を発することもできない。肺が圧迫され、全身が軋むように痛い。まるで重度の高山病にかかったような状態だったと、後に時坂は語った。


「邪魔をするな、巫女」


「邪魔をするな、巫女」


「邪魔をするな、巫女」


 得体のしれない声は徐々に大きく、かつ高圧的になっていく。時坂はいよいよ耐えられなくなってこの場から離れようとすると、


「ダメだよ、まだダメ」


 少女が、およそ想像しがたい力で時坂を押さえつけてきた。時坂は必死に抵抗するが、全然ビクともしない。


 声はますます強くなり、高くなる。初めはささやき声だったのに、今では隣で話しているくらいはっきりと聞こえる。巫女はなおも時坂を押さえつけながら、声の主達と何やら言い争っていた。


「邪魔をスルナアアアアア!!!!」


「今日は()()()じゃないでしょ!? ダメなものはダメ!!」


 内容は意味不明であったが、少なくとも少女が時坂を守ろうとしていることは理解できた。


(どうして、こんな、ことに……)


 全身にほとばしる激痛に苦しみながら、時坂は少女を信じて状況の収束を待つのだった。


 ☆☆☆


 どれだけ時間が経ったのだろうか。


「お待たせ。もう大丈夫だよ」


 いつの間にか、痛みも背筋が凍るような声もなくなっていた。


「い、一体、何が起きて……」


「間が悪い時に来ちゃったね、お兄さん」


「君は何なんだ? あの声は? 何であんなに痛みが?」


「ここはお宿だよ。昔は人間相手にも商売してたんだけど、道が廃棄されてからは特殊な客ばかり相手するようになってね」


「特殊な客……それは一体」


「このお山の主たちさ。みんな美食家だからね、お兄さんを見て興奮しちゃったんだよ」


「そ、それって……もしさっき逃げ出したりしてたら」


「よく我慢できたね。顔を合わせた瞬間、貴方は攫われていただろうよ」


 時坂は全身から血の気が引くのを感じた。


「とにかく、あと一、二時間はここにいたほうがいい。約束はしてくれたけど、わたしの目に届かない所だったら何するか分からないから」


「わ、分かった。そうするよ」


「ふふっ、お兄さん、現代人のくせに随分物分りがいいね。前に来た人は馬鹿馬鹿しいって言って出ていったけど」


「あんなことがあって信じない方がおかしいよ。それに、僕はモノノケの類は実在すると思っているから」


「そうなんだ。それなら案外、さっきの方々とも仲良くできるんじゃない?」


「いや無理だろう。僕のこと食べようとしてたんだろ?」


「まあね、彼らにとって生きとし生けるもの全ては食料だから。といっても、人間もさして変わらないけど」


「ふっ、確かに」


 似た者同士。もしかしたら、遥か昔は親戚だったのかもしれない。


「ところで、君は何者なんだ?」


「わたし? わたしはただの人間だよ。お山に認められて、この宿を経営している。普段は女子中学生やってるけどね」


「君が一人で?」


「基本はそうだね。いつも何人かに手伝ってもらってるけど」


「すごいね、それは」


「世襲制なのさ。わたしはただお役目をいただいて果たしているだけ。そう難しいことじゃない」


 女主人は何でもなさそうにそう答えた。普通は嫌がるものだが、この少女は全然そんな素振りを見せない。教育による賜物か、はたまた少女の生来の気質によるものか。会ったばかりの時坂には、それを判断することはできない。


「さっ、しばし時間があることだし、何か食べていきなよ。これでもうちは評判良いんだ。お代はタダにしてあげるから」


 それを聞いた途端、時坂の腹がぐぅと鳴った。


(あんなことがあっても、腹はちゃんと減るんだな)


 時坂は己の意地汚さに恥ずかしさを覚えつつも、生きるとはこういうことなのかもなと、しみじみ考えるのであった。


終わり

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