第42話 樹くんの近くならどこでも
「いた! 水樹ー、ここよ!」
駅の乗降場所に車を滑り込ませたお母さんは、助手席の窓を開け車の中から荷物を持ってキョロキョロとしている女性に声を張り上げた。
「真由美! 風花行くわよ」
お母さんの名前を叫んだ女性が、中学生くらいの女の子と一緒に荷物を持ってこちらに駆けてくる。
水樹さんか……この人なんか見た覚えがあるかも。隣の女の子は、風花……うーん、思い出せそうで思い出せない。
「早く乗って、ほら、樹、席をあけて」
真ん中に座っていた僕は、荷物を抱え運転席の後ろ側に移動する。
すぐにドアが開き、水樹さんが助手席に、そして風花と呼ばれた女の子が僕の隣に乗り込んできた。
「さすが真由美、時間通り」
「水樹、シートベルト締めてね。ここは邪魔になるからすぐに出発するわよ」
水樹さんのシートベルトを確認したお母さんは、話もそこそこに車を発進させた。
「……真由美ったら相変わらず。ふふ、樹君、久しぶり。大きくなったね、私のこと覚えている?」
助手席からこちらを振り向く水樹さん。そういえば、よくお母さんと遊びに行って、そして……
「ぼ、ぼんやりと……」
「小さい頃だったから仕方がないか。風花のことは?」
風花……ふうか……うーん、そういえば、聞いたことがあるような……
隣の女の子を見る。
この面影は……
「もしかして、ふーくん?」
「樹くん!」
「わっ!」
ふーくんがいきなり抱きついてきた。
あ、この匂い……もしかしてリュザール?
いや、それよりも
「男の子だと思ってた……」
小さい頃に会ったふーくんは、髪も短かったしいつも男の子の服を着ていて、僕たちと一緒に走り回っていた記憶がある。
「風花ったら、あの頃は樹くんたちと遊ぶのに夢中で動きやすい格好ばかりしていたのよ。今は可愛らしくなったでしょう」
「う、うん」
髪も少し長くなっていてミドルというのかな、肩ぐらいまであってそしてちょっと跳ねていて、小さな顔によく似合っている。
というか……
「ふーくん、いつまで?」
ふーくんはずっと僕に抱きついたまま離れない。
「樹くん、ごめんね。もう少しだけこのまま……」
「わ、わかった」
ふーくんに抱きつかれたまま、お母さんの運転する車は駅を離れる。
「それにしても駅が変わっててびっくり。逆方向に待ち合わせって聞いて、とうとう真由美もボケたのかと思っていたら、新幹線は通っているし高架になっているし、様変わりしたのね」
そうそう、新幹線の開通に合わせて駅は去年新しくなったばかりなんだ。工事の様子が面白くて竹下たちとよく見に行ってたよ。
「失礼ね、孫を抱くまではボケてられないわ」
「ほんとね」
振り向いた水樹さんと目が合う。
「ねえ、水樹、風花ちゃんってこんなに大人しかった?」
お母さんは、バックミラーでチラチラとふーくんのほうを見ているみたい。
ふーくん、そういえば昔はおしゃべりが好きだった気がするけど、今は僕に抱き着いたままほとんど話していない。
「風花ったら、この前まではここに来るのを楽しみにしてはしゃいでいたのに、先週くらいから急に静かになったのよね」
先週といえば、リュザールが討伐に行き始めた頃だ。ふーくんがリュザールだとしたら、その影響が出ているのかも……
「体調が悪いのかと思って中止にするか聞いたんだけど、絶対に行くってきかないの。余程樹君に会うのが楽しみだったのね」
「それじゃ、計画は予定通り?」
「風花もそのつもりよ」
計画って何? ちょっと怖いんだけど。
でもそれが、ふーくんを元気づけるものなら僕も協力するよ。
「あ、ここよ」
え? もう? 駅からそんなに離れてないよ。
お母さんは、駅の近くで家からも歩いて10分くらいのところにある時間駐車場に車を止めた。
「あら、この公園なのね。懐かしい。前住んでいたところの近くじゃない」
「そうそう、ここなら私の家にも近いからいいでしょう」
そういえばこの公園で竹下と海渡とふーくんの四人で遊んでいたっけ。
「で、真由美。まだ降りないの?」
「ちょっと待っててね。少し時間が早いのよね……」
お母さんは時間にうるさいから、だいたい予定よりも早く着いちゃうんだよね。
とはいえ……
「あ、あの、ふーくん、そろそろ離れてもらえませんか?」
あの時からずっとふーくんに抱きつかれたまま。車が曲がるたびに胸が当たってくるし、それにふーくんの匂いがリュザールを感じさせてくれて……
「うん」
やっと離れてくれた。でも、ちょっと寂しそう。
「樹、さっきからふーくん、ふーくんって男の子に話すみたいにしているけど、風花ちゃんは女の子なのよ」
え、だって……
「私はそれでも……」
「二人でよく話し合いなさいね。これから長い付き合いになるんだから。あ、時間。行くわよ」
お母さんに促され、ふーくんと一緒に車を降りる。
「あら、雨も止んだようね。こっちよ」
お母さんと水樹さんのあとをふーくんと並んでついていく。
「大丈夫?」
ふーくん、元気がない。
「ごめんね。樹くんに会うのを楽しみにしていたのに、なんだかこのところ自分が自分じゃないような感じで……」
やっぱりリュザールの影響が出ているんだ。テラのことを伝えた方がいいみたい。
「ふーくん、あとから二人だけで話がしたいんだけど……」
「立花さーん、ここですよ」
呼ばれた方を見ると。新しいマンションの入り口で見覚えのあるおじさんが手を振っていた。
確かあの人は、お父さんの釣り仲間で不動産屋さんの……名前は何だっけ?
「水樹さん、久しぶり」
久しぶり? 水樹さんも知り合いなんだ。
「高尾君も元気そうじゃん。10年ぶりくらいかしら。それにしてもあんたが社長なんて大丈夫なの?」
そうそう、高尾さんだ。社長さんなんだ。
「いやー、何とか潰れずにやっているよ。これから温泉行くんだろう。羨ましいね。おっと、遅れたら真由美さんに怒られちゃう。早速、物件に案内するから付いて来て」
温泉は行くんだ。でも、物件って……
高尾さんは、すぐ目の前の高級そうなマンションに中に入っていく。
もしかしてここをうちが買うの? それとも水樹さん?
「12階ですね」
12階か……この町ではかなり高い建物だ。見晴らしもいいんじゃないかな。
エレベーターに乗って目的の階に到着した僕たちは、高尾さんと一緒に角の部屋へと入る。
「広い! それにいい眺めね」
間取りは4LDK。南側には広い窓が付いていて、そちらは公園だから高い建物は無く見晴らしはいい。それに何よりも明るい。
「水樹、部屋数もちょうどいいし、もうここに決めちゃいなさいよ」
うちじゃなくて、水樹さんか。買っちゃうのかな。
「高尾君、ここにいた人はどんな人だったの? ここってかなり新しいじゃない? どうして貸そうと思ったのかな?」
貸すということは水樹さんたちが住むんだ。ということは、ふーくんも一緒?
「心配しなくても事故物件じゃないよ。僕が保証する。ここのオーナーさんは保険会社の役員さんなんだ。数年前この町に支社長として赴任してきて住んでみたらいいところだってなって、定年前だし終の棲家にしようと思って一昨年新築で買ったみたい。ところが一年たったところで社長が変わって、オーナーさんが急に役員として東京に呼び戻されちゃって、退任したら戻ってきたいけどローンが残っているしどうしたらいいかって僕に相談があったんだ。で、とりあえず貸して様子をみたらどうですかってなっているとこ」
「く、詳しい説明ありがとう。でも、それじゃすぐに戻って来るんじゃないの?」
「いやー、あの人かなり優秀だから当分戻って来れないよ。あの人を辞めさせたら会社の損失ってわかっているから、社長さんも役員にしたんじゃないかな」
「なるほど……間取りなんかも希望通りだし、場所もいい。ここに、法人契約でも大丈夫って書いてるね」
水樹さんは高尾さんから貰った資料に目を通している。
「うん、むしろ法人契約の方が喜ぶね。だって水樹ちゃんの旦那さんの会社だよね。超大手、倒産しないっしょ」
水樹ちゃんになってる……
「風花、あなたがよかったら母さんここにしようと思うけど、どう?」
「私は、樹くんの近くならどこでも」
高尾さんは、いつのまにか僕の隣に来て肘でつついてきた。
「それじゃ、申し込みってことでいいのかな」
「あ、会社を通さないといけないみたいだから、ここ取っといてもらえる?」
「OK、まだ広告も出してないし、うちしか扱ってないから問題ない。でも、来週いっぱいに申し込みがないと次に回しちゃうよ。オーナーさんに迷惑かけちゃうからね」
「大丈夫、旦那にすぐに総務に連絡するように言っとく」
「了解。それじゃ、これからの旅行楽しんで、あと、二人の計画が上手くいくことを祈っとくよ」
ここでも、計画……




