第35話 衣食足りて礼節を知るですね
〇6月5日(月)地球
「マジか! ふぅー、とにかくソルが無事でよかった」
「うん、僕(ソル)は何もしてないんだけど、隊商のみんなが強くてあっという間に盗賊を倒してくれたんだ」
翌日、いつもの朝の散歩は雨でお休みにしたので、学校のお昼休みの時に竹下、海渡と集まって話をすることになった。
「ソルさん、僕に無断でいなくならないでくださいね」
「わかっているって」
半泣きで抱きついてきた海渡の背中をトントンと叩く。
僕だって、みんなと別れたくないよ。
「こうなると、やっぱり身を守る手段が欲しいよな。いくらあちらが危険な世界だと知っていても、知っているだけじゃダメだわ」
ほんとにそう思う。これまでもそういう世界だってことはわかっていたつもりだったけど、いざ目の当たりにすると考えさせられてしまう。
だって、さっきまでものすごい形相で襲ってきていた盗賊が、首にナイフを突き立てられ、ぴくっぴくっと二、三度体を震わせたかと思うとそのまま動かなくなってしまうんだよ。これまで病気で死んでいく人は見たことあるけど、殺されて死ぬのを見るのは初めての経験だった。今回は助かったけど、次はどうなるかわからない。
「樹先輩、大丈夫ですか? 僕がそんな目に遭ったら、しばらく寝込んでしまうかもしれません」
「うん……昨日の夜、リュザールが手を繋いで寝てくれたからかな。今日は随分といいんだ」
盗賊を弔った後、次の村に向かって出発する時に気分が悪くなって歩けなくなってしまっていた。盗賊が残した馬に乗せてもらえて置いて行かれずにすんだけど、リュザールが馬を曳きながら声を掛けてくれたり、夜、手を繋いでくれてなかったら、今日はこちらの僕も体調を崩していたかもしれない。ほんと、リュザールが近くにいてくれてよかった……
「……樹先輩、なんだか恋する乙女のような目になってますよ」
「うそ!」
慌てて、顔を隠す。
全くそんなつもりはないのに……
「いいなー、ソルにはいい人が現れて。なあ、俺(ユーリル)の奥さんのことも忘れないでくれよ」
「い、いや、前にも話したけど、か、仮にだよ、リュザールと一緒になったとしても、こちらで他の誰かを好きになれそうにないから難しいって」
「確かに自分と違う誰かを思ってそんな顔をされたら、樹先輩の恋人さんはたまりませんねぇ」
そ、そんなに顔に出てたんだ。うぅー。
「樹はリュザールと同じ人格の人を見つけるか、それを含めて受け入れてくれる人を探すしかないな」
そんな都合のいいことをお願いなんてできないよ。
「とにかく、最初聞いた時に驚きましたが、ソルさんが無事でよかったです」
「ほんとだぜ。でもその様子じゃ、かなり治安が悪くなっているってことだろう。俺がコルカを出てから一か月くらいか……たったこれだけの期間でこんなになっているって、この先大丈夫なのか?」
「おじさんたちもそれは心配してて、コルカに着いたら町長と話してみるって。このままじゃ隊商も出せなくなるからね」
「盗賊と話し合いでもするんでしょうか?」
「いや、討伐だろうな。話し合って一時は上手くいっても、そのうち要求が増えてって破局するはずだ」
おじさんもそう言っていた。一度落ちてしまった人を元に戻すのは難しいから、仕方が無いって。
「盗賊の皆さんには可愛そうですが、いなくなったら安心ですね」
「それも難しいだろうな。隊商まで襲ってくるということは、短期間で盗賊が増えているんだと思う。だから、討伐してもすぐに別の盗賊が現れるだけじゃないかな」
「それでおじさんはね。避難民が食べることができなくて盗賊になるんだから、食べることができるようにする必要がある。だから早く糸車を作ってくれってさ。僕もそう思うんだ。糸車ができたら女の人に余裕が生まれて、畑仕事だって放牧だって今よりもできるようになるし、織物だってもっと盛んになるはずなんだ」
「ああ、それに今は、みんなに心の余裕が無くて避難民を受け入れられないっていうのもあるはずだから、食べる余裕が出てきたらそういうことも少なくなるかもしれないぜ」
「衣食足りて礼節を知る(生きるために必要な着るものや食べるものが十分にあってこそ、人は礼儀や節度をわきまえるようになる)ですね」
「まあ、そんなところだけど……海渡、お前たまに難しいこと言うよな」
「お父さんがこういうの好きなので、よく話してくれるんですよ」
なるほど、それで海渡は国語の成績が特にいいんだ。
「あ、そろそろ時間か。こっちは工房もできて、職人さんたちに明日から来てもらうように頼んでる。上手くいくかわからないけど、糸車を作ってみるわ」
「うん、まずは村の人に渡さないといけないけど、それが済んだらおじさんがコルカで売ってくれるはず。そうしたら、少しは良くなるかも。二人ともよろしくね」
ようやく工房ができた。これからだ。
〇(地球の暦では6月7日)テラ
「もうすぐコルカだよ。なんとか予定通りについたね」
私の隣を並んで歩くリュザールはホッとした様子。
あの日以来盗賊に襲われることは無かったけど、それっぽい人影がチラチラと見えてて緊張の連続だったのだ。
「……町に着いたら、リュザールたちはすぐに行っちゃうの?」
「ううん、行商をすませてからだから数日はいると思うよ」
よかった。すぐ別れることになるかもと思って馬に乗らずにリュザールの隣で歩いていたけど、もう少しだけ一緒にいられそう。
「リュザール、その事なんだが、すぐにバーシに戻れないかもしれんぞ」
前を歩いていたおじさんが、そう言いながら歩調を合わせてきた。
「セムトさん、どういうことですか?」
「ほら、あれを見てごらん」
おじさんの指さす方角には、いくつかのユルト(遊牧民が使うテント)が見える。
「遊牧民の人?」
「そうだ、ソル。このあたりに遊牧民はあまり住んでいないのだが、それがこれだけいるということは、町に入りきれないくらいの避難民がいるかもしれんのだ」
コルカって大きな町のはずなのに……
もしかしたら、私たちが想像しているよりも事態は悪い方に向かっているのかもしれない。




