第29話 だから言ったろう。疲れさせとかないと大変だって……
〇(地球の暦では5月30日)テラ
「うわ、この時間は眩しいな」
馬を操るユーリルは、帽子を深くかぶりなおした。
街道を東に向かっている私たちの正面にはまだ太陽が残っていて、朝の光を浴びせかけてくる。
「この時間は初めてだもんね」
ユーリルにならって帽子をかぶりなおす。
「朝の空気が気持ちいいですぅ」
ルーミンは眩しくないのかな。帽子はそのままだ。
「三人で馬に乗ったのは初めてですが、ユーリルさんうまいものですね」
「ま、まあな。大人だと窮屈だけど、俺たちくらいの年齢までなら何とかいける」
ふふ、ユーリル照れてる。
今日はいつものテムスの代わりにルーミンが一番前に座って、ユーリル、私の順番だ。
昨日父さんを問い詰めたら、直前に伝えて驚かそうと思って黙っていたって……気持ちはわかるけど、私にだって準備は必要なのにって怒ったらしゅんとしていた。
それから慌てて出発の準備をして、今日は朝から工房の建設を村の人に頼んで私たちは薬草畑に向かうことにしたのだ。私の代わりをルーミンにお願いすることになったので、作業のやり方を教えとかないとね。地球で話を聞いているとはいえ、実際やってみないとわからないことがあるはずだもん。
「カァル、置いて行くよ」
「にゃ!」
カァルは、ピョンピョンと飛び跳ねるように私たちに追いついてきた。道端のいろんなものに興味があるようで、よく道草を食っている。少しくらい離れても追いついてくるけど、見えないと不安になっちゃうよ。
「ちゃんと付いて来るんですね。でも、一緒に乗せてあげなくていいんですか?」
ルーミンが心配するのもわかる。馬は歩いているだけなんだけど、歩幅が全然違うからついてくるのも大変そうだ。
「こいつら野生なら一日に何キロも歩いて移動してんだよ。今のうちから歩かせとかないと山に戻った時に困るからな」
さすがはユキヒョウ博士。説得力がある。
「それにさ、こいつほんとに元気だから、少し疲れさせとかないと後が大変なんだって……」
カァルの元気さに、さすがのユキヒョウ博士もタジタジみたいだ。
「ところでルーミン、さっきミサフィさんから何を貰ってたんだ?」
「これですか? はい、お弁当を持たせてくれました」
ルーミンが、母さんから受け取った袋を持ち上げた。
「へぇー、お弁当か、よかったじゃん。朝はあまり食べられなかったもんな」
朝ごはんの時、ルーミンはたくさん食べようとしたんだけど、すぐにお腹いっぱいになったみたいで私たちの半分くらいしか食べていない。たぶんこれまで食べてきた量が少ないから、胃が小さくなっているんだと思う。だから母さんがお昼も食べるようにって、パンとチーズを持たせてくれたってわけ。
「ソル、俺たちの分は?」
「無いよ」
「まあ、そうだよな」
こっちの世界では一日の食事は朝晩の二回。お昼を食べる事はめったにない。
「パンは一つですけどチーズをたくさん入れてくれたので、あとからみんなで食べましょう」
ルーミンは振り向きながらにこやかに話した。
「ところでソルさん、カァルくんは何を食べているんですか?」
「草」
薬草畑の雑草を抜いている私とルーミンの隣で、カァルはイネ科の背の高い草をはむはむしている。
「草!? ユキヒョウって肉食動物じゃありませんでしたか?」
「ふぅ、ふぅ……ちょっと休憩。……こ、こいつは、肉食動物で間違いない」
川から天秤棒を使って水を運んできたユーリルは、一人はきついと言いながら私たちの隣に座った。今日は私がルーミンに付きっきりだし、テムスもいないから水を運んでいるのはユーリルだけ。大変そうだ。
「……肉味の草なんでしょうか?」
「はぁ、はぁ……そんなものがあるのかどうか知らねえけど、ネコ科の動物は草を食べる事が多いらしいぜ」
ユキヒョウ博士はネコのことも詳しいみたい。
「そういえば、スーパーでネコ草を売っているの見たことがあります」
「あ、私も聞いたことあるよ。なんか毛づくろいで飲み込んだ毛を外に出すために草を食べるって」
「その話はよく聞くけど、そうでも無いらしいんだ。動物園で飼っているユキヒョウを使って調べた人たちがいてさ。草を食べても食べなくても出される毛の量に違いはなかったって」
「じゃあ、なんで食べてんの?」
「まだ分かんないみたいだぜ」
私たちが話している間も、カァルは細長い草をはむはむしている。
「……肉ばかりだと飽きるんでしょうか?」
「案外、そんな理由かもな」
「ソルさん、ユーリルさん。カァルくんの様子を見ていたら、お腹が空いてきました!」
「あはは、ほんとそうだね。あっちにいい場所があるんだ。そこで休憩しようか」
私たちは、ユーリルがちょうど川から運んできた水を使って手を洗い、畑のそばの大きな木のところへと向かう。
「うわぁー、気持ちいい風が吹いていますよ」
「ね、いいでしょう。疲れた時はここでのんびりとするんだ」
三人並んで木陰になったところに腰を下ろし、カァルはすぐ近くの石の上に寝そべった。この前もそこで寝ていたからお気に入りなのかもしれない。
今は春と夏の境目、日本ではそろそろ梅雨の時期なんだけど、こちらにはそんなものはないので暑くも寒くも無くてちょうどいい気候なんだ。
「まずはこれを……」
ルーミンは、母さんからもらった袋の中から小さめのパンを取り出した。
「もしかして、俺たちにくれようとしてる?」
ルーミンのパンの持ち方は、海渡が私たちにこれ食べてみてくださいっていう時と同じだ。
「はい、みんなで食べようかと思って……」
「それはお前の分だから全部食べろよ。なあ、ソル」
「うん、朝があまり食べれなかったんだから、私たちのことは気にしなくていいよ」
ルーミンにはちゃんと栄養を取って元気になってもらわないと。
「わかりました。それではこれを……」
ルーミンは袋の中からチーズの固まりを取り出し、三等分にした。
「ありがとう。いいのか?」
「はい、全部は入りそうにないので手伝ってください。あ、いけない。カァル君の分を忘れてました」
「あ、ミサフィさんのチーズはちょっと塩気が強いから、カァルには食べさせないほうがいいぜ」
ユキヒョウ博士が言うんだからそうなんだろう。
というわけで、私たちはルーミンに付き合ってお昼を食べることになった。
「体使ってるから、チーズうまいな。塩気が何とも……」
私もルーミンから貰ったチーズを自家製のカルミル(馬乳酒)で流し込む。
「うん、美味しい……糸車が広まったらお昼も食べられるようになるかな」
「早くそうなってほしいよ。ここに来て体を動かすことが多いから、途中で腹が減って仕方がないだって」
こっちの世界が朝晩の二食なのは、女の人の仕事が忙しくてお昼を作る暇がないのが主な理由だ。糸車を使うようになって時間に余裕ができたら、昼用のパンを焼くこともチーズを作ることもできるようになると思う。そしたらみんなの栄養状態も良くなって、病気の人も少なくなるんじゃないかな。
「ふぅー、パン一個でお腹いっぱいになりました」
よしよし、ルーミンはパンだけでなくチーズも全部食べることができた。毎日これを続けられたらすぐに元気になるよ。
「ところでソルさん、コルカにどれくらい行かれるんですか?」
「えっと、ここからコルカまで片道一週間かかるでしょう。父さんはコルカには最低でも半月はいないといけないだろうって言っていたから、帰りまで含めると全部で一か月か、一か月半くらいかな」
「そんなに……せっかくソルさんと会えたのに」
「ルーミン、心配するな。その分地球でたくさん会おうぜ」
そうそう、地球では毎日会えるからね。
「そうですね。はい、そうしましょう!」
「にゃあ……」
カァルから寂し気な声が……
いけない。明日からカァルと会えなくなるから、今日はたくさん遊んであげるんだった。
「ごめんごめん、カァル。いくよ!」
「にゃおん!」
それから時間の許す限り元気いっぱいのカァルと遊んで、三人ともへろへろになって家へと帰ることになった。
「だ、だから言ったろう。疲れさせとかないと大変だって……」
ほんと、ユキヒョウ博士の言う通りでした。




