第200話 養蚕場は作っとくからさ
〇(地球の暦では4月27日)テラ 日の日
この子が右の獲物に向かって……いや、獲物まで表現したら大変そうだな……省略しちゃおうか。ならこの子の……
羊毛紙に描かれた下絵から顔をあげ、カラカラと糸車を回しているコペルに声を掛ける。
「ごめん、コペル、ちょっと教えて。この子の躍動感を出すにはどうしたらいい?」
今日は工房が休みなので女の子部屋で刺繍をしているんだけど、布地の上で動きを表現するのは難しい。
「……躍動感? これは生き物?」
「そ、そう。ユキヒョウなんだ」
「ユキヒョウ……カァルは何をしている?」
カァルというわけでは……
「えーと、右に獲物がいて……あ、獲物は省略するんだけど、それに向かって飛び掛かってる感じ」
「右……?」
コペルが首をひねっている。
「カァルは山の神様の使い。本当なら山にいる。獲物も山にいるはず。横には動かない」
そういえばそうかも。それなら……棒状の黒鉛を木で簡易的に縛ったものを手に取り、横向きのユキヒョウの脇に新たなユキヒョウを書き加える。
「下に飛び降りてる?」
「いや、上に飛び掛かって……」
やっぱり、連絡用の掲示板の絵はジャバトに描いてもらわないといけないみたい。
「上……」
コペルがまだ首をひねっている。難しいのかな?
「ちょっと貸す」
コペルに綿で織られた生地を渡す。
「この花の刺繍を生かす」
コペルは元からある花の刺繍の他にも、何種類かの花を追加するように言って……
「へぇ、カァルくんは獲物ではなくて、恋人さんに渡す花を探されているんですね。ソルさんその方がいいですよ」
はは、急に乙女チックになったけど、それもありかも。
「コペルさん、次は私です。よろしくお願いします」
ルーミンが手に持った下絵には、細かくて色鮮やかな模様がたくさん描かれている。
「ルーミンのは手間がかかる。やめておいた方がいい」
「そんなこと言わずに教えてください。お客様が来た時に、まずこれが目に入るんですよ。きっと、晴れやかな気分になってくれるはずです!」
今、私とルーミンが刺繍をしているのは大きめの敷物。前にも話したことがあるかもしれないけど、こちらにはタンスとかクローゼットとかの収納が圧倒的に足りてないから、荷物をそのまま部屋に置いていることがある。でも、生活用品が他人の目に触れるのはあまり好ましくないこととされているので、目隠しのために使うのがこの大きめの敷物なんだ。ただ、普通に織った布地をそのままかけるのは味気ないから、その家の奥さんが刺繍なんかをしてその家のカラーを出すことになっているんだけど……
「ルーミンがジャバトと一緒になるのは来年」
「はい、春から夏にかけての予定です」
「やっぱり無理、間に合わない」
織物自体は機織り機があるから、以前よりもかなり早く作れるようになった。ただ、刺繍だけはひと針ひと針手作業で仕上げる必要があるから、手間がかかればかかるだけ出来上がりまでの時間も増えてしまう。
「何とかするつもりですが、もし間に合わなかったときは無地(の敷物)をかけて、これは結婚してから仕上げていきます」
「作り貯めてたものはどうする?」
「それらは、寝室に使うことになりそうです」
部屋は一つじゃないし隠す物も色々とあるから、目隠し用の敷物もたくさん用意しないといけないんだ。少なくとも10枚くらいはいるんじゃないかな。
「ところで、コペルのそれも目隠し用だよね」
コペルはうんと頷いた。
「早くない?」
コペルのお相手のテムスは、思春期盛りの13歳。結婚できるまであと3年待たないといけない。
「綿も使えるようになった。いろいろと試している」
コペルは糸車に繋がる二本の糸を持ち上げた。
「コペルさん、もしかしてそれって綿と麻ですか?」
ほんとだ。二本とも綿かと思ったら、色合いがちょっと違った。
「混紡してみている。(もしイマイチだったとしても)目隠し用なら無駄にならない」
確かに見えなくするのが目的だから、肌触りとか微妙だったとしても刺繍が施せそうなら問題なく使えそうだ。
〇4月27日(日)地球
「ソルさんがカァルくんを刺繍にしてくれてますよ」
「にゃ!」
だから、カァルというわけではないんだけど……
朝の散歩の時間、いつものようにみんなと情報交換を行っていたら、海渡がその話題を持ち出してきた。
「女は大変だよな。一年以上前から準備しねえといけねえんだろう」
「いえ、早い人はもっと前からされてますね。僕とソルさんが遅れているだけです」
カインに来る前のルーミンは体が十分じゃなくて作る余裕がなかったし、僕の方はみんながあちらと繋がる前は結婚すること自体ピンときてなくて、まったく準備をしていなかった。もちろん、風花とリュザールが繋がってからは気持ちも定まったので少しずつやっていたんだけど、忙しくてなかなか進んでいなかったのだ。
「遅れてって……間に合うの?」
「僕はなんとか……」
「なんだ。その言い方だと、ルーミンが危ねえのか」
凪ちゃんが不安そうな顔。
「ご心配なく、結婚式は予定通りに行います。ただ、居間に飾る敷物が大作すぎて遅れそうなんですが、凪ちゃん構いませんか?」
「それくらいなら、平気です」
ふふ、凪ちゃんホッとしてる。ずっと待っている結婚式が、先延ばしにされるよりはマシだよね。
「ところで、そっちの方は間に合いそう?」
昨日の休み、男手衆はもうすぐ結婚するアラルクの新居を建てに行っていたはず。
「やっとな。注文が多くて大変だったぜ」
風花も凪ちゃんもうんうんと頷いている。
「それはよかったです。アラルクさん、やっと運命の人に出会えたと喜んでおられましたから、新居にも力が入っておられるのでしょう」
アラルクの結婚相手はナムル村のマルカちゃん。収穫祭で体の大きな人を探していたあの子。村長同士の調整とそれぞれの家との話し合いも終わって、あと十日ほどでカインに来ることになっている。
「気持ちはわかるけどさ、付き合わさせるこちらの身になって欲しいよ」
そう言いながら、三人とも嬉しそう。アラルクとは一年以上一緒の部屋だったから、兄弟のような感じになっているのかも。
「凪ちゃん、出発は明々後日だっけ?」
「いえ、明日です。リュザールさんと一緒にマルカちゃんを迎えに行ってきます」
カインへの移住者は、隊商が守りながら連れてきてくれることが多い。ただ今回は、カイン隊がコルカの先のカルトゥまで行く必要があってしばらく帰ってこないのがわかっていたので、リュザールが残ってくれたんだ。盗賊はかなり減ったといっても、いなくなっているわけじゃないからね。って、
「明日なんだ……早く着きすぎない?」
ナムルまでは馬で三日、確か五日後に着く予定だとカイン隊が伝えてくれているはず。
「せっかくなので、以前頼まれました繭を作る蛾を探してみようかと思っています」
繭を作る蛾、野生のカイコ。絹の元になる生糸を作り出す蛾だね。
「もうですか。凪ちゃん、そんなに僕たちの着物姿を……」
そういえば、あの時そんな話になっていたかも。
「今のはテラの話だから、着物を着るのはルーミンとソルだよな。つまりパルフィも……」
竹下と風花がニヤニヤしてる。
「凪、是非とも見つけてきてくれ! 養蚕場は作っとくからさ」
これは、有無を言わせず着物を着せられるパターンだな。でもまあ、僕は別の意味で期待している。絹といえばあれ。まだ履けてないんだけど、どんな肌触りなのか楽しみなんだ。




