第188話 よし、それでは行くとしようか
「お願い」
縫い終わったばかりのひもの束を工房の女の子に渡す。今度はこれを、ルーミンたちの班が長方形に織った厚手の綿生地の四隅に縫いつけたら布マスクの完成だ。
「クソ! こんな事なら先にミシンを作っとくべきだったぜ」
パルフィの前には、同じ長さに切りそろえられた麻の生地が並べられている。私と一緒にひもを縫っているんだけど、手作業だからなかなか進まないんだよね。
「仕方がないよ。こんなことになるなんて予想してなかったんだから」
こちらでは編んだり織ったりが主流で、縫うことは綿が普及し始めてようやくこれからってところ。だからミシンの優先順位が低かったのは仕方のないことだと思う。
「よし、落ち着いたら、あいつらに部品を作らせとく」
ミシンの本体はパルフィの出産がすんでからかな。
「それで紙の方はどうなってんだ?」
「漉いてた分は持っていけるけど、今日の分は乾燥させないといけないから無理だって」
「綿のマスクだけでも無いよりはましか」
「うん、飛沫を直接浴びないだけでも全然違うからね」
なんで慌ててマスクを作っているかというと、バーシから来たショウルさん(ユティ姉のお兄さん)が大変なことを伝えてきたから。
「ソルの見立てはインフルエンザだったよな」
「うん、聞いた感じではそうだったよ」
ショウルさんによると、バーシで多くの人が突然の高熱、寒気、倦怠感などでダウンしているとのこと。症状的には地球のインフルエンザっぽいんだけど、これだけいっぺんに不調になる人が増えるのは私が小さいときにたくさんの子供とお年寄りが病気で死んだ時以来なので、慌てて父さんに助けを求めに来たみたい。
「調べようがねえから仕方がねえけど、ソル、気を付けろよ。地球で数千万人が死んだスペイン風邪も実のところインフルエンザらしいからな」
こちらの世界には、電子顕微鏡が無いからはっきりと原因を特定することはできない。ただ、状況的に感染症なのは間違いないはず。
「わかった。みんなと一緒にマスクをしっかり付けて作業にあたるよ」
バーシには、父さんだけでなく工房から私と数人の男女を派遣することが決まった。父さんの治療の補助はもちろんのこと、家族全員がダウンしてしまった家への食事の提供や水汲みなどを手伝う予定だ。熱を出しているときの家事は本当につらい。無理をして治るものも治らなかったら大変だからね。
〇1月20日(月)地球
「というわけなんだ」
東京の暁にバーシで病気が流行っていることを伝える。もしかしたら、タルブクあたりでも流行の予兆があってるかもしれないと思って。
『俺んところにはそんな症状のやつはいねえな。それにしても疫病か……状況は分かったけど、ソルたちも行って大丈夫なのか? 未知の病原菌で、かかったら高確率で死んじゃうやつだったらどうするんだ?』
「そうかもしれないけど、このまま手をこまねいていたら結局は一緒だと思うんだ」
必需品を自分の村だけで確保することが難しいテラでは、村を閉鎖することはできない。つまり、これから暖かくなって隊商が動き出す前にできるだけ被害を食い止めておかないと、ソルたちが住む地域が全滅ということだってあり得るのだ。
『そうか……俺たちが何か役に立てればいいんだけど……すまねえ』
今の時期のタルブクは、すぐ隣の村に行くのでさえ命がけのはず。
「どんな感じか毎日報告するよ。それと、そちらでも流行る可能性があるからマスクを準備を忘れないでね」
『わかった。紙のフィルターの作り方を竹下に聞いとくわ。それにしても、念のためにトロロアオイの根を仕入れといてよかったぜ』
タルブクの気候ではトロロアオイを栽培することはできないけど、紙漉きをするには寒い方が都合がいいのでそちらでもやってみたらと話しておいたのだ。
『出発は明日の朝一だろう。ほんと、気を付けろよ』
〇(地球の暦では1月21日)テラ 火の日
早朝にカインを出発した私たちは、夕方近くになってようやくバーシが見える位置まで来ることができた。
「いつもの倍くらいかかっちゃったね」
隣の馬のルーミンに声をかける。
「慣れてないので仕方がないですよ」
私たちはこちらで生まれ育っているけど、冬に街道を使って移動するのは稀なこと。雪で隠れた道のどこを通ったらいいかを探りながらだったから、時間がかかってしまった。リュザールやユーリルがいたらよかったんだけど、今回はカインに残ってもらっている。ユーリルにはマスクの追加を、リュザールにはできたマスクをバーシまで運んで貰うように頼んでいるから。
「春になったら、ユーリルさんたちに街道の整備を頼んでみましょうか?」
「その方がいいかも」
隊商が動けるようにが理想だけど、そこまで行かなくても人が行き来できるくらいに道を整備できたら何かの時にも安心だ。
さてと……
「みんな止まって」
村に入る前にマスクを付けるように促す。
「ソル、これはどうやったら……」
「口をつぐんで……ほら、こうすると隙間が空かないでしょう」
工房の職人さんたちにはレクチャー済みだけど、父さんとショウルさんは初めてなので鼻と口の部分に紙のフィルターが掛かるように付けてあげる。
「おや、思ったほど息苦しくないね」
「でしょ。ユーリルが苦労して作ったんだよ」
そして、うんと頷く。
「よし、それでは行くとしようか」
さて、いよいよだ。少しでも落ち着いていてくれたらいいんだけど……