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第187話 お、こっちに気付いたようだぜ

〇(地球の暦では1月20日)テラ 月の日



 お昼過ぎ、パルフィと手を繋いで鍛冶工房へと向かう。


「そこ、気を付けてね」


「おうよ」


 足元にはシャーベット状の雪、つるんといったら大変だ。


「カインは確かコルカより800メートルくれえ高かったよな」


「うん、地球の地図ではそうなってたよ」


「ちゅうことは、だいたい5℃の差……なんかそれ以上に寒く感じるぜ」


「たぶん山のせいじゃない」


 北と南には2500メートル、東には3000メートル級の山々がそびえ立っている。そこから吹き下ろしてくる風はさらに冷たいはずだ。


「なるほどな。それでこっちじゃこれを羽織るんだ」


 パルフィは羊毛で作られたカインの冬用の羽織を指でつまんだ。


「そうそう、温かいでしょ」


「おう、それにこれなら腹が出てきても目立ちそうにないぜ」


 冷たい風をシャットアウトするためにモコモコしているからね。ただ、パルフィは妊娠三か月、お腹が出てくるのはもうちょっと先だからその頃にはこの服は……まあいいか。


「それにしても、いつもここは暖かいね」


 外は氷点下ほどの寒さだというのに、鍛冶工房の入り口は開け広げられていて外まで熱気が漏れてきている。


「火を焚いてなんぼの商売だからな」


 パルフィに続いてのれんをくぐり中に入ると、ごうごうと音をたてて存在を主張する炎の声と、それに負けないようにカンカンと鳴り響く金属を叩く音がいつものように耳を刺激してくる。


「おう! みんなお疲れ! 変わりはねえか?」


 羽織を脱ぎ、壁に掛けながらパルフィが声を張り上げる。

 ようやくつわりの収まったパルフィは、日に一度、日が傾き始めた頃に鍛冶工房の様子を見に行くようになった。ただ、一人では何かあった時に危ないので工房から誰かが付いていくことにしていて、今日は私が当番というわけ。これがまた息抜きにちょうどいいんだ。


あねさん、待っていました。こいつを見てください」


 去年入ったばかりの職人さんが、かまの刃先を持って来た。


「お、上手くなってんじゃねえか。ただ、ここんとこがちょいと膨らんでるから、均一に仕上げた方が見栄えが良くなるぜ」


 膨らんでるんだ。パッと見じゃわかんないよ。


「次は俺も」


 今度はくわだ。糸車が普及しだして女の人に時間の余裕ができてきたから、畑を広げようとする人たちが増えたんだよね。それで鉄製の農具の需要が高まっていて、カインの鍛冶工房でも春の隊商の活動開始に間に合うように絶賛増産中なのだ。


「うーん、まだ締まりが甘いようだぜ。こんなんじゃ、すぐにへなっちまう。もう一度火を入れて叩き直してみろ」


「はい、わかりました!」


 そんな感じで、パルフィは時間の許す限り職人さんたちに指示を伝えていった。


「よし! だいたいこんなもんだろう。おい、あれを持ってきてくれ」


 おー、きっとあれだ。


「姉さん、これです」


 声を掛けられた職人さんが、ズシリと下に膨らんだ麻の袋をパルフィの前で開けて見せた。


「お、いいじゃねえか」


 私も覗かせてもらう。やっぱり、刻印の入っていない銅の硬貨だ。秋の収穫祭で使った硬貨よりもニッケルの割合を増やしているから、日本の100円玉みたいな色合いになってる。これなら黒ずみにくくなるから、途中で色が変わったとクレームが入ることもないんじゃないかって意見が出て変更したんだ。


「これでどれくらいあるの?」


 試しに持たせてもらったら、麦一袋分よりは軽い感じだった。


「だいたい500枚ぐらいですね」


 なるほど、ということは一枚当たり……


「500円玉よりちょいと重たいくれえだな」


 パルフィはそっと耳打ちしてくれた。

 考えていることが顔に出てたかな。


「んで、春までにどれくらいできそうだ?」


「そうですね……ニッケルに限りがありますから、この袋で10ほどかと」


 すごい、5000枚も!

 普及させるには全然足りないけど、進んでいるというのが励みになる。


「材料で足りねえやつは知らせといてくれ。リュザールに頼んどくからよ」


「任せてください!」


「んじゃ、あたいたちは戻るから、あとは頼むな」







「それで二次試験はいつだっけ?」


 工房までの帰り道、パルフィに尋ねる。

 昨日、一昨日の二日間、地球では大学入学共通テストがあって、穂乃花さんは自己採点で無事に目標越えたぜとSNSに報告してくれた。追い込みの大事な時期に、こちらでつわりで苦しんでいたというのにほんとすごいと思う。


「2月の25、26だな」


 ちなみに、穂乃花さんの志望は東京大学の理学部だから理科一類を受験するんだって。


「まだまだ気が抜けないね。それで、受かったら大学の近くに部屋を借りるの?」


「いや、夏婆のところに住むぜ。元気だと言ってももう年だしよ。誰かが近くにいた方が安心じゃねえか」


 夏さんは確か今年で75歳。一人暮らしを続けるには、周りが不安になるお年頃ではあるけど……


「夏さんがよくウンといったね」


 前回お会いした時は足腰も頭もしっかりしておられた。性格的に年寄り扱いされるのは嫌いなんじゃないかな。


「そこは物の言いようさ。大学を卒業したら結婚したい奴がいる。そいつにうめえ飯を食わせてえから、あたいに料理を教えてくれって頼んだんだ」


 なるほど、それなら一緒に暮らしてた方が都合がいい。ん?


「もしかして風花も?」


 風花を含めて僕たちも東大を目指している。受かったらどこかに部屋を借りないといけないんだけど……


「正月に夏婆とその話をしていたら、私もそうしようかって言ってたぜ」


 そうなんだ。それじゃ悠もその近くを探そうかな。


「おい、誰か来るぜ」


 パルフィが指さす西の方を見ると、馬に乗ってこちらに向かってくる人影が見えた。


「村の者か?」


 目を凝らしてみる。


「うーん……あの羽織はバーシかな」


 この時期の街道は雪でぬかるんでいるから、重たい荷物を運ぶ隊商は動けない。でも、人が馬に乗ってなら移動できないこともなくて……ただ、馬も歩きにくくて嫌がるから、余程のことがないと来ないんだよな。


「お、こっちに気付いたようだぜ」


 一直線にこちらに向かってくる。万一のことを考えて、パルフィの前に出る。

 さらに近づいてきた人影は、私たちの前で馬から降りて帽子を取った。

 あ、ユティ姉のお兄さんだ。


「ソルちゃん。タリュフさんに取り次いでくれ、急ぎなんだ!」

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