第170話 ぼ、僕は先生では……
〇(地球の暦では9月23日)テラ
「あれ? 誰もいないのかな……」
工房の休憩時間、ルーミンと二人で絶賛建設中のユーリルとパルフィの新居に向かうと、作業中のはずなのに静まり返っていた。
「ユーリルさーん、どこですかー。かわいこちゃん二人が冷やかしに来ましたよー」
かわいこちゃんって……
「おー、ここにいるぜ」
足元に注意しながら声のする方に移動する。ユーリルは居間になる予定の場所で、基礎として並べられたレンガの間に座り込み、腕を組んでいた。
というか、かわいこちゃんはスルーなんだ……まあ、いいか。
「えーと、二人は?」
今日もジャバトとアラルクが手伝っているはず。
「床板を取りに行ってるわ」
おぉー、もうそこまで進んでいるんだ。
こちらの住宅には廊下というものがなくて、隣の部屋に行くためには中庭を通らないといけなかったりするから基本的に土足。靴を脱げるのは寝室や居間といった絨毯を敷いているところだけだから、日本での生活を知っている私たちはなんかこうちょっと落ち着かない。
ということで、ユーリルは新しい家に廊下を作って、家の中は全部板張りにするつもりらしい。玄関で靴を脱ぐようになると言っていたから、日本の家と一緒だね。
「ところで、ユーリルさん。何んでそんなに難しい顔をされているのですか?」
ほんと、さっきから時折うーんと唸っている。もしかして、うまくいってないのかな。来月には結婚式を挙げるというのに……
「いや、なんかレンガが歪んでいるような気がしてさ。これから床板を敷くのに傾いてたらいやじゃん」
なるほど、そういうことか。確かに、傾いた家に住んでいたら体調を壊すかもと聞いたことがある。せっかくの新居がそんなんだったら困るよね。
「はい」
ユーリルに、金属の台の上にガラス製の小さな筒がつけられたものを手渡す。
「これって……もしかして水準器か!」
「そう。パルフィから預かってきたんだ。ユーリルが気にしているみたいだからって」
「あ、ありがてぇ」
鍛冶工房で高温の炉も扱えるようになって、ガラスの加工もできるようになった。それで色々と試しに作っている最中なんだけど、パルフィも自分が住む家だから間に合うように作ったんだと思う。
「それで水準器とは、いったい何なんですか?」
「お、ちょっと待ってな」
ユーリルは基礎部分となるレンガの上に足場用の板を渡し、その上に水準器を乗せた。
「ほら、ルーミン見てみ」
「……えーと、泡のようなものが左に寄っていますよ」
「この中には油と空気が入っていて、平行だとこの泡が真ん中にあるはずなんだ。だから……あ、やっぱ斜めってるってことじゃん。えーと……」
ユーリルは部屋の外へと出ていった。
「ふむふむ、これをあてると傾いているかどうかわかるのですね。ソルさん」
はいはい。
ルーミンと一緒に違うレンガにも板をのせ、傾きを測ってみる。
「ありゃま、良かったり悪かったり……いろいろですね」
ほんとだ。大きくはないんだけど、微妙にズレているものがちらほらと見受けられる。
「マジか……」
戻ってきたユーリルも水準器を覗き込む。手には漆喰の入った桶。高さを調整するつもりなんだろう。
「うーん、ちゃんと見ねえといけねえな。レンガの型取りを何人かでやっているから、やっぱ大きさがまちまちになるんだよな……」
「ユーリル、お待たせ。木こりのおじさんから床板を貰って来たよ」
アラルクたちも戻ってきた。
「すまん、先にレンガの歪みを取るから手伝ってくれ」
「歪んでいたの? どこ?」
「全部」
「うそ!」
おっと、
「邪魔になるから、戻ろうか」
「はい、ソルさん」
ユーリルとパルフィの新居、いい家になりそうだ。
〇(地球の暦では10月1日)テラ
「みんな、紐を離さずについてきてくださいね」
「「「はーい」」」
私たちの乗った荷馬車のすぐ後ろでは、ジャバトが長い紐を持ち子供たちを誘導している。
「ジャバト、保育園の先生みたいですね」
「ほんとだね」
今日は工房をお休みにして、テンサイの収穫にみんなで向かっているんだ。地球で小さいころにやった芋ほりが楽しかったから、子供たちも喜んでくれると思ってね。
「リュザールさんとかアラルクさんとか、こういうの好きそうなのに残念です」
ユーリルとアラルクたち建設土木チームはカイン近くの川で作業中だし、リュザールは隊商としてセムトおじさんたちと一緒にコルカまで行っている。それぞれ帰ってくるまで、あと数日はかかると思う。
「仕方がないよ。収穫時期が早まったんだから」
元々はユーリルの結婚式が終わってからの予定だったんだけど、天候に恵まれて生育がよかったみたい。
「ちゃんと甘くなってますかね」
「うーん、どうだろう」
栽培を開始して最初の方は手伝いに行っていたんだけど、シュルトからテンサイの勉強に三人の職人さんたちが来てからは任せっきりになっていて、どうなっているかわからない。
「ま、甘いかどうかにかかわらず、今日は楽しんでいこう」
「ですね。子供たちの思い出になるようにしちゃいましょう」
「はーい、みんな注目!」
テンサイ畑に到着した私たちは、ジャバトの前に集まる。
「これからテンサイの収穫をしてもらいますが、ここは村のはずれだから絶対に子供たちだけで行動しないように! トイレに行くときもお母さんたちと一緒にね」
「「「はい!」」」
そうそう、盗賊が隠れているかもしれないし、山にはクマがいるかもしれない。大人はリュザールから武術を習っているけど、子供たちはこれからだ。
「それでは、早速始めてもらおうと思いますが、まずは僕がやってみるから見てて」
ジャバトは畑の中に入り、腰を落として緑が濃い葉っぱを掴んだ。
「いくよ!」
ジャバトが力を入れると、ダイコンというよりもカブに近い形をしたテンサイが土の中から姿を表した。
「こんな感じで抜けます。泥がついているから、叩き落としてください」
子供たちは『はい』と返事して……はは、もう抜く練習をはじめている子もいるよ。
「何か質問は?」
「せんせーい」
ルーミンから手が上がる。先生という言葉はこっちにないから、みんなキョトンとしちゃってる。
「な、何?」
「どこまで抜いていいんですか?」
「あ、そうか。抜いていいのはこっちの畑だけ。奥の畑は触らずにそのままにしといて」
テンサイ畑はおよそ10メートル×10メートルのサイズのものが三つあって、砂糖用は一つだけ。あとの二つは来年の種用だ。
「収穫したテンサイは、僕のところに集めてもらっていいですか」
「「「はい! 先生!」」」
「ぼ、僕は先生では……え、えーと、それでは、作業を開始してください!」




