第168話 リュザール遅せえな。ほんとに来るのか?
〇(地球の暦では9月2日)テラ
「リュザール遅せえな。ほんとに来るのか?」
夕暮れ時、暖簾が内に掛けられた鍛冶工房の入り口でパルフィが呟く。
「ごめんね。もうちょっと待って、終わったらすぐに来るって言ってたんだけど……」
お昼頃、工房に隊商が戻って来たと知らせがきて、みんなと一緒に広場に行ったらリュザールもバザールを開いていた。そこで声を掛けたら、早く銅貨を見たいから鍛冶工房を開けといてと頼まれたのだ。
「お、ようやくだぜ」
パルフィが指さす先、西の方から荷馬車に乗って……あれ、父さんも一緒に御者台に並んで座ってる。まだ戻ってなかったんだ。
「それではタリュフさん、よろしくお願いいたします」
「ああ、その件は任せておいてくれ」
何の話だろう……
「ゴメン、遅くなった」
家の前で父さんと別れた後、荷馬車から降りてリュザールがこちらにやってきた。
「父さんと何を話してたの?」
「今度のお祭りで頼むことがあってさ」
お祭りの話? 昨日風花が、バーシのバズランさんが秋の中日(お彼岸)から30日後にみんなを連れてカインにやってくると言っていたからその件かな。
「おい、リュザール、もう見れんのか? 早く閉めてえんだ」
「あ、ゴメン、先に馬を休ませてくる。ちょっと待ってて」
リュザールは荷馬車のところに走っていった。
馬も長旅で疲れているはずだから、休ませてあげなきゃね。
「へぇ、これがこの世界での初めての硬貨ってことだね」
改めて鍛冶工房にやってきたリュザールは、作業台の上に広げられた銅貨を見て感慨深げだ。なるほど、期間限定とはいえ物々交換以外で何かを手に入れるというのは今度が初めてになるんだ。
「まあな。で、どうだ?」
「いいんじゃない。ある程度の重さもあって大きさも手ごろ。慣れちゃえばみんな違和感なく使ってくるはずだよ」
そう言ってリュザールは、手に取った銅貨を親指でポーンと上に向けて弾いた。
「よっと、どっちだ」
リュザールが、左手の甲の上に落ちてきた銅貨を右手で隠しながら私たちの前に差し出す。
どっちって、表と裏を聞いているんだよね。図柄が入っていないんだから区別のしようがないと思うんだけど……
「ほら、ソル」
そう言われても……
首を横に振る。わからないよ。
「パルフィは?」
「表というか、平たい方が下だな」
平たい方があるの?
「ボクもパルフィの言う通りだと思うけど、さて、どうだろう……」
リュザールが右手を外した。三人で覗き飲む。
「な、あたいの言った通りだろう」
よく見ると、確かに上の方の角が丸みを帯びているような……って、結構微妙だよ。
「リュザール、よく気が付いたね」
「これからはこっちの世界でも銅貨を使っていくことになるからね。もし違う物を掴まされても分かるように、普段から地球で練習していたんだ。今では新旧500円玉の重さの違いが分かるようになったよ」
「マジか。確か0.1グラムの差だろう。すげえな」
気づかなかった。重さに差があるんだ。
確かに遠くの村から大事に運んできた商品の支払いに、偽の銅貨が使われたら行商人は堪ったものじゃない。騙されないために今から備えているんだ……あれ?
「でも、銅貨の価値は金属の値段と鋳造にかかる費用の分だけにすると決めたでしょう。偽造とか、わざわざそんな手間のかかることをするかな」
先日風花たちと話し合って、銅貨の価値は日本円換算で原価400円に鋳造費100円の合計500円にすることにした。パルフィに確認したら鋳造費はまあそんなもんだろうということだから、他の鍛冶工房で同じように作ったとしても儲かることはないと思う。
「違げえ金属を使うとか、手間を惜しんでノロ(不純物)も取らずに仕上げるとか。安くする方法はいろいろあるぜ」
そ、そうなんだ。
「もし、安いものが出回ったら困ることって何があるの?」
「そうだな。まずは品質。錆びて見た目が悪くなったりボロボロに崩れることだってあるし、金属によっては触っただけでかぶれるものもあるから注意が必要だ」
かぶれるって、そんなものを手にしたらもう二度と銅貨というか硬貨自体を使ってもらえなくなるよ。
「それに、品質が悪い銅貨でもボクたちの銅貨と同じ枚数で同じ物が買えるとなったら、誰もボクたちの銅貨を使わなくなるからね」
「えっと、それってつまり?」
「銅貨の価値と品物の価値が合わなくなって、相場が崩れる。誰も銅貨を信用しなくなるんだ」
銅貨が普及しないと、商売をやりやすくして遠くの品物を手に入れようという計画がうまくいかなくなっちゃう。いろいろと欲しいものがあるのに……
「何か手を打たないと大変だよ」
「心配するな。そのために図柄を打ち付けるようにしてんだ」
そうだった。以前パルフィに、金属を流し込む型の方に図柄を彫り込んでいたら手間がかからないんじゃないって聞いたことがあるんだけど、『いくらあたいが地球の知識を使えるからといって、同じデザインの型を10も20も手で彫るのは無理ってもんだ。それに凹凸があると均一に金属が流れ込みにくくなるから、ムラができやすくなる。その点、打ち付けるのなら一つの型でやるから同じものが出来上がるし、叩くことで銅貨を強くすることもできるんだぜ』って言っていたっけ。
「あとね、今度バズランさんが他の村から若い人を連れてきてくれるでしょう。その時にそれぞれの村の隊商の人に、一人でもいいから誰か行商人を派遣してもらえないか頼んでいるんだ。銅貨を使うところを実際に見てもらいたいからね」
そこで本物と偽物の見極め方とかも教えるつもりなのかな。
「あ、でも、あまり人が来ちゃったら、工房の寮に入りきれないよ」
二、三日だからといって、無理矢理押し込むにしても限度がある。
「うん、それで、タリュフさんと一緒に長老さんのところに行っていたんだ。村の方でも手分けして泊めてもらえないかって」
なるほど、それで帰りが遅かったんだ。
「村の人も喜びそうだね」
「うん、長老さんもそう言ってくれた」
こちらの世界の人は、お客さんが来るのがほんとにうれしいんだ。いろんな話が聞けるからね。
「ちゅうことはだ。銅貨も多めに作っておいた方がよさそうだな」
「そうしてもらえると助かるけど、大丈夫?」
「なあに、まだ時間はあるし、どうせ終いには全部鋳潰して新しい銅貨にしちまうから、余る心配もいらねえ。それに、可愛い妹がそうして欲しいんなら、あたいは喜んでしてやるさ」
「はは、こっちでは男なんだけど、ありがとうお姉ちゃん」
二人の笑顔はほんとよく似ている。たぶんこっちでも、本当の姉弟なんじゃないかな。