第152話 冬に頑張った甲斐がありました
〇(地球の暦では5月29日)テラ
カインを出てから35日目。ようやく生まれ故郷のフェルガナ盆地へと入った私たちは、盆地の中を流れる大きな川を左に見ながら東に進んでいる。
「ねえリュザール、ここって湖の底?」
「たぶんね」
何を言っているのかと思うかもしれないけど、地球の航空写真ではこのあたりにダム湖※があるんだ。
「ソルさん、ここはタジキスタンの海と呼ばれていて、水鳥の宝庫になっているそうですよ」
そうなんだ。
というか、ジャバトも地図を調べている。まあ、自分たちが今いるところは気になるよね。盆地に帰ってきて、ようやくどこにいるかわかるようになってきたし。
「でもさ、アラル海が小さくなっているのも、こういう人工物の影響だよな。あんなにきれいなのにもったいねえよ」
ユーリルは子供の頃に、放牧であちらの方にも行ったことがあるって言っていた。地球では干上がっているけど、こっちにはちゃんと湖が残っているみたい。
「ソビエト連邦時代、綿花を作るためにあちらこちらにダムを作ったのが問題みたいです」
ソビエト……たぶん、環境保護とか後回しの時代だ。
「私たちも綿花を普及させようとしているけど、そうならないように気を付けよう」
みんな、うんと頷いてくれた。どこで綿花を作るのか、話し合いながら決めていこう。
それにしても……
「ジャバト、どうしたの?」
さっきから、なんだかソワソワした様子。お腹を壊した感じでもないし……
「い、いえ、そろそろコルカでしょう。僕、子供の頃からいつか行ってみたいと思っていたんです」
こちらを向くジャバトの目がキラキラと……
ジャバトの生まれたナムル村はコルカとカインの間の北側の川向こう。地球にはナマンガンという大きな都市があるんだけど、こっちには小さな村がいくつかあるだけの田舎だって言っていた。ジャバトが子供の頃は地球のことを知らないから、バザールで隊商の人から聞くコルカの話に胸を躍らせていたんだろう。
※ちなみにこのダム湖は、タジキスタン共和国ボジェンド近郊のカイラックム貯水池と言います。淡水ですが、タジキスタンの法律でタジキスタンの海と名前がつけられたそうです。
〇5月29日(水)地球
「それからラクダを降りて、コルカの町の中に入ると……」
朝の散歩の時間、いつものように海渡に旅の報告を行う。
「へぇー、子供たちが」
「はい、楽しそうにしてました!」
コルカの町に入ってすぐ目にしたのは、路地の片隅で石を使ってお絵描きしている子供たちの姿だった。
去年コルカに行った時には、避難民で溢れていて町の雰囲気もよくなかったから、子供たちを外で見ることはほとんどなかった。
「ボクが春に隊商で行った時にはまだ見かけなかったから、町の状態もよくなっているようだよ」
広場に建ち並んでいたユルトが少なくなっていて、あちらこちらに新しい家が建っていた。コルカに余裕ができて、避難民が定住できるようになってきたみたい。
「ほぉ、そんなに落ち着いているのなら、ルーミンも一度連れて行ってもらいたいです」
そういえば、ルーミンもコルカに行ったことないんだ。
「いいよ。ルーミンの故郷のビント村に紙の件を話しに行かないといけないから、その時について来て。ついでにコルカまで回ろう」
「ビント村にまで……ほんとにいいんですか?」
「もちろん、ルーミンちゃんがいてくれた方が交渉もうまくいくと思うんだ」
「はい、お任せください!」
海渡、ニコニコだ。カインに来て以来、一度も故郷に帰ってないからね。
「あのー、その時に僕も連れて行ってもらえませんか?」
凪ちゃん(ジャバト)も一緒に?
「いいけど、どうして?」
「ルーミンのご両親にご挨拶しときたいです」
挨拶……確かにルーミンは口減らしに出されているから、ご両親も心配しているはず。結婚相手まで連れて来たとなったら安心するだろう。
「どう?」
風花が海渡に尋ねる。
「はい、父さんも母さんも喜ぶと思います」
「ということなんだけど、工房の責任者として、樹、いい?」
「もちろん、二人を連れて行ってあげて。それでさあ、風花」
凪ちゃんの方を見る。
「さすが樹、ボクもそう思っていたんだ。凪ちゃん、ナムル村にも寄ってみようか?」
「は、はい! ありがとうございます!」」
ルーミンもジャバトも初めての里帰り、元気な姿を家族に見せてほしい。
「うわぁ、皆さんが戻られるまでにいろいろと準備しておかなきゃ。忙しくなりそうですぅ」
何かプレゼントでも用意するのかな。海渡、ほんと嬉しそう。
「あ、ところでですよ。これもコルカが良くなってくれたおかげですが、どうして急にそんなことになっていたんですか?」
不思議に思っても仕方がない。僕(ソル)たちもそう思ったもん。
「クトゥさんによると、ルーミンたちが頑張ってくれたからだって」
海渡がなんで? という顔をしている。
「あのね、春になって隊商を出せるようになったでしょう。それで、糸車が結構行き渡るようになったからだって」
糸車がコルカだけでなくて近くの村にも普及するようになってきたらしくて、それで仕事の効率が上がって新しい住人を受け入れる余裕が生まれたみたい。
「ほんとですか! 冬に頑張った甲斐がありました」
乾燥地帯であるカインでは大雪が降るということは滅多にないけど、空はずっと曇ってて時折雪が降るし何よりとても寒い。外にあまり出ることができないから、糸車とか荷馬車とかを村の人にも手伝ってもらってたくさん作っていたんだ。




