第150話 俺の居場所はカインだからな
〇(地球の暦では5月20日)テラ
シュルトを出発してから八日目、私たち四人は左手に連なった山を見ながら街道を西に向かって進んでいる。
「ほんと、この子たちすごいね」
「だな、おかげで水をたくさん積まずにすんだぜ」
シュルトで貰った四頭のラクダちゃんたち、何日かおきに水を飲むことができたら水を確保できなくても死ぬことはない。おかげで荷物を減らすことができた。
でも、もうそろそろ……
「まだかな?」
「距離的には……あ、見て、あれって水じゃない?」
リュザールが指さす先、キラキラと光が反射している。
よかった、これでラクダちゃんたちにも水を飲ませてあげることができるよ。
「シュルトで聞いた通りだね」
「ああ、やっぱ川の流れが変わったんだろうな」
コルカから戻ってきたシュルトの隊商が、これまで無かったところに川を見つけたと言っていたのだ。
「ねえ、リュザール。地球にはここに川があるの?」
テラと地球、地形はほとんど一緒だけど、たまに違うところもある。地球では上流にダムがあったりして、川の位置や幅が違ったりすることがあるんだ。
「ううん、たしかここには無かったはず」
「ということは……どういうこと?」
「よくわかんないけど、この川ってあの山からの雪解け水だよね」
リュザールは南の山脈を指さす。
私たちが住むこの地方は乾燥地帯で雨はほとんど降らない。それでも冬になると、僅かな水分が高い山にぶつかって雲を作りそれが雪を降らせる。それがとけたものが集まって川になり、私たちの命の水になっている。
「これまで向こうの谷に向かっていたのが、こっち側に来るようになったってことじゃないのかな」
向こう側は以前ユーリルが住んでいた町がある方。こっち側は人があまり住んでいない方だ。
リュザールによると、人の手によらなくてもがけ崩れで川がせき止められたり、崩落なんかで地中に穴があいたりして川が違う方に流れ始めることがあるらしい。水は流れやすい方に向かうからね。
「でもさ、シュルトに逃げてきた人たちは、この川を見てないのかな」
川のほとりまで着いた私たちは、ラクダを休ませながら話を続ける。
水が無くて逃げたんだから、川を見ていたらこのあたりに住もうと思うんじゃ……
「見ているとは思いますが、たぶん川の場所が落ち着いていないんじゃないですか。ほら」
ジャバトは川べりを指さす。
確かに砂が少しずつ削られていっている。なるほど、今はここを流れているけど時間がたったら違うところを流れることもあるってことか。
「つまり、ここに村を作ってもまた移動しなくちゃいけないかもしれないんだ」
「その可能性もあるってことだね。とりあえず旅の水はこのあたりで確保できそうだから、コルカの隊商に伝えておくよ」
ここに住めるようになるのは、しばらく先になるかもしれない。でも、水が無くなってしまったわけじゃなくてほんとよかった。
「それにしても、ここは遊牧民にとっていい水飲み場になりそうだぜ」
ユーリルは美味しそうに水を飲んでいるラクダの方を見た。
今はそこまでではないけど、しばらくすると川の周りには草が生えてくる。新芽は柔らかくて羊も馬も喜んで食べることだろう。
〇(地球の暦では5月21日)テラ
「みんな止まって!」
突然、リュザールが街道の脇にある折れ曲がった杭を指さした。
「なんの合図?」
「砂が深いから注意しろって」
砂が……これまでも紐がついた杭とかがあったけど、これも隊商の間で決められた印の一つなのかな。
「あっ!」
今度はユーリル。
「どうしたの?」
「そうだ、ここ。ここは川だ!」
川?
所々に枯れた木が立っているけど、一面の砂景色。
「もしかして、埋まったってことですか?」
「たぶんな」
埋まったって……ユーリルから、川が枯れたのは去年の春頃と聞いている。一年くらいでこんなになっちゃうんだ。
「あーあ、このあたりに黒い実をつける木があったんだけど、枯れちまってんな。美味しかったのにな」
「黒い実……ユーリルさん、その木ってどんなものでした?」
ユーリルは木の特徴をジャバトに伝える。
「それ、桑の木かもしれませんよ」
「桑って……あ、蚕!」
「はい、さすが呉服屋さんですね」
詳しく話をしてもらう。
「ということは、蚕の元になったクワコが見つかったら絹が作れるってこと?」
「ああ、葉っぱに蛾の幼虫がいたのを思い出した。ここにはもういねえと思うが、飛んでいけるんだし、どこかで生き延びていたら……」
絹か……
「コペルが喜びそう。これから心がけてみてみよう」
「だな」
クワコは飛んでいけるし、桑の木も木の実がなっていたのなら鳥が種をどこかに運んでいるかも。
ん?
「ユーリル?」
ユーリルの顔が曇ってる。
「いや、ここがこの有様だろう。俺んとこが今どうなっているか予想ついちゃってさ」
ユーリルが住んでいた町も、人がいなくなってから同じくらいの時間が……
「近いの?」
「もうちょいかな。日が傾くころには着くぜ」
ユーリルの言う通り、しばらく進むと砂に埋もれかけた町が現れた。
「リュザール、ここって地球ではどのあたり?」
「地球でいったらカザフスタンのシムケント」
シムケントか……大都市じゃなかったかな。川が無くなるとこうなっちゃうんだ。
「やっぱ、砂だらけ。サソリに注意しろよ」
町に着いた私たちは、ユーリルの案内で中に入っていく。
「ここが広場。ここでのバザールはコルカとは違って、遊牧民も売りに来ていたから珍しい物もたくさんあってさ。たぶんカスピ海とか西の方から来た人たちもいたはずだぜ。肌の色も違ったし、何より織物の生地の色合いが独特だった。たぶん染料が違うんだな。そして馬がたくさん! 仕事が早く片付いたら馬を見に行ったりもしてたんだ」
「賑やかだったんだね」
「ああ、この辺りで一番大きな町だったからな。何かにつけ歌ったり踊ったりする人がいてほんとに楽しかったぜ」
ユーリル笑っている。もしかしたら、ユーリルの目にはその時の様子が写っているのかも。
「よし、それじゃ行こうぜ。俺がいた隊商宿はこっち」
ユーリルがラクダを動かそうとしている。
「ちょっと待って……いいの?」
「何が?」
「いや、感傷に浸りたいとか……」
この町はユーリルの故郷ではないけど、数年の間住んでいたんだ。いろんなことがあったはず。思い出に浸りたいのなら、話を聞くくらいなんてことない。
「まあ、懐かしくはあるが、感傷とかそこまではねえかな。だってさ、俺んちはもうカインなんだからよ。さあ、次行こうぜ。俺が住んでた隊商宿を案内するからさ」
〇5月21日(火)地球
「そうですか。ユーリルさんの町は砂に埋もれて……」
「にゃー……」
よく晴れた気持ちいい朝。散歩の時間、いつものように海渡たちに昨日のことを報告をする。
「ああ、隊商宿の入り口には砂が溜まってて外壁の漆喰も剥げかけてていただろう。危なくて中には入れなかったぜ」
人が住まなくなると建物はすぐに傷んでしまうみたい。
「残念でし……ん? それにしては竹下先輩、さっぱりとした顔をされてますね」
「まあな、俺の居場所はカインだからな」
「ですね。僕だってそうです。皆さんもそうでしょ?」
「にゃ!」
カァルだけでなく、風花も凪ちゃんもうんと頷いた。
「これであとはコルカでの用事をすませたら戻って来られますね。僕とカァルはこっちで皆さんに会えますが、パルフィさんを始め他の人たちは寂しそうにしてますよ」
カインを出発したのが4月24日だったから、もうそろそろ一ヶ月か……
「ねえ風花、コルカまでは何日くらいかかる?」
「たぶん八日で行けるけど、その前に一か所寄りたいところができたんだ」
昨日リュザールはそんなこと言ってなかったのに……
「どこに行かれるんですか?」
「地球にはあるんだけど、あっちにあるかまだはっきりとはわからないんだ。だから今は内緒」
風花は人差し指を口にあて、にっこりと微笑んだ。