第142話 争った跡があります。
〇(地球の暦では5月7日)テラ
「ここから先も気を付けろって」
隊の先頭から戻ってきたエキムが神妙な顔で告げてきた。
今朝ユルトを出発した後、私たちはシュルト方面へと向かわず湖の方に進路を取っている。
「というかさ、峠を越えてからこっち全部の村から人がいなくなっているんだぜ、盗賊もどこかに行っちまっているんじゃねえのか?」
タルブクを出て二日目に峠を下ってから、人の姿を見ていない。村が襲われた様子はなかったから、みんな前もって逃げたんじゃないかってリュザールは言ってた。
「ユーリルの言う通りかもしれないけど、用心に越したことはないよ」
そうそう、待ち伏せされてたら大変。
「それでエキム、湖は近いの?」
「お昼過ぎには着くんじゃないかな」
昨日地球で地図を見てみたら、かなり大きな湖だった。盗賊は気になるけど、楽しみなんだ。
「エキムさん、こちらにも人気がありません。家畜も見てませんし、ここまで通ってきた村の皆さんはどこに行かれたのでしょうか?」
「俺たちは峠を下ってから東に来ただろう。あそこを西に行くと高原に出るんだ。隊長は、そっちの方に家畜を連れて避難しているんじゃないかって言ってた」
そうか、普段から放牧で村を空けることが多いから、このあたりの人たちは村を捨てることにもそこまで抵抗が無いのかも。
「でも、戻ってこないと困りますね」
「ああ、ほんと、何とかならないかな」
タルブクの隣村でエキムと手を繋いで寝て以降、村という村に人がいないから隊商宿を使うことができずにずっとユルト暮らし。そろそろ体を伸ばして眠りたいよ。
「シュルトの町長にこのことを話してみるよ。これからタルブクで糸車を作るんだから、交易先として外すことはできないはずだからね」
隊商宿が使えないとなると、盗賊の心配がなくなったとしてもシュルトとタルブクの間で交易をしようと思う隊商が集まらないかもしれない。
このあたりの交渉はリュザールに任せよう。
「おっ、あれじゃね?」
山かげの向こう、ユーリルが指さす先にぼんやりと水辺のようなものが見える。
「ほんと大きいね」
近づくにつれて、その広さに圧倒される。
「イシク湖は2500万年前から存在している古代湖で、琵琶湖の9倍の広さがあるみたいですよ」
ジャバトも地球で調べたんだ。
「エキム、この湖こっちでは何と呼ばれているの?」
「イル湖だって」
イル湖か。こうやって地形と地名を調べていったら、風花の地図作りも捗るだろう。
「坊ちゃん」
エキムが呼ばれ、すぐに戻ってきた。
「湖を見たいなら、ちょっとだけ立ち寄ってもいいってさ」
おぉー、是非そうさせてもらおう。
湖の西の端に着いた私たちは、近くで馬を降りて岸辺に向かう。
「おー、すげえ。透明だぜ」
ほんと、底まで透き通ってるよ。
「向こう岸が見えません。それに波も、まるで海みたいです」
ユーリルとジャバトは靴を脱ぎ始めた。湖に入るつもりなんだ。
タルブク隊の人が見張りを引き受けてくれているし、私も……リュザールを見る。
「まだ、冷たいんじゃないかな」
確かここの標高は1600メートルで、流れ込んでいるのは雪解け水……やめておこう。
ということで、手だけをつけてみる。
つ、冷たい。ユーリルたちも冷てぇ、やめろとはしゃいでいる。
地球のイシク・クルは塩湖って書いてたけど、ここは?
「おいしい?」
リュザールが覗き込んできた。
「少し塩気があるから、飲みにくいかも。はい」
手で掬ってリュザールの口元に持っていく。
「んっ、ほんとだ。ちょっとしょっぱい」
「かぁー、お前たちほんと仲いいな」
エキムがいたんだった。
「飲む?」
「やめとく。隊長がそろそろだってさ。ほら」
馬の方を見ると手招きする隊長さんの姿が見えた。
ユーリルたちを呼んで馬へと戻る。
「リュザールさん、あれ?」
馬の背に乗ったジャバトが、丘の上に並べられた石を指さす。
「土が盛られているし、お墓かな」
タルブク隊の人たちも気が付いたようで、隊長さん以外の二人がそちらの方に向かって行く。
「エキム、村はこのあたり?」
「いや、もうちょっと北の方だと思うけど……」
そういえば、湖の北側って言ってたっけ。
あ、戻ってきた。
「墓は全部で五基。最近できたもののようでした」
隊長さんへの報告を一緒に聞く。
やっぱりお墓だった。それに五基も……
「旅人か逃げ出した人たちのものかと思っていたが、そうではなさそうだな」
「はい、隊長、ただ埋めて石を積んでいただけでした」
「ということは、盗賊か」
盗賊……
「隊長、誰かが盗賊を討伐したということですか?」
気になっていることをエキムが聞いてくれた。
「坊ちゃん、その可能性は高いですが、まだはっきりとはわかりません。気を抜かずに参りましょう」
再び移動を開始した私たちは、お昼を過ぎたころ湖の岸辺の村に到着した。
「争った跡があります。皆さん注意して下さい」
隊長さんの言うとおり、村の入り口の柵や塀などが壊されたまま放置されている。
馬を降りずに、村の中に入ってみる。
ただ、盗賊に襲われたにしては……
「死んでしまった村人が見当たらないよ」
リュザールは以前、盗賊が襲った村人を弔うことはまずなくて、食料や女の人を奪ってそのまま立ち去ると言っていた。
「でもさ、ほら」
リュザールが指さす先にドアが壊された家がある。
盗賊がやって来たのは間違いないんだ。
「うまく逃げられたのかな」
「うーん、どうだろう。所々血の……あ、でもこれは新しいな」
地面に黒いしみが残っている。確かに古かったら消えているかもっと薄いはずだ。
「最近にしては村が荒れているね」
雑草が放置されていたり、井戸を使っていた形跡はあるけど……なんだろう……そうそう、生活感が薄い気がする。
それからみんなで村の中をあらかた見て回ったけど、やっぱり人はいなかった。
「あっ、あれ!」
村の近くの丘の上にいくつか石が積んである。お墓だ。
馬から降りて近づいてみる。
周りと土の色が違う。盛られた土が馴染んでいないんだ。ここも、さっきのお墓と同じようについ最近作られたものみたい。
「村の人……のものじゃないようですね」
丁重に弔われているんだけど、ジャバトのいう通り親しい人のために作られているようには見えない。
「坊ちゃん、リュザールくん、ちょっと来てくれ」
二人が隊長さんに呼ばれた。これからどうするのか話し合うのだろう。