第141話 カァル、どっちがいいと思う?
〇5月5日(日)地球
「暁さん、今日は何時の飛行機ですか?」
朝の挨拶をすませた後、海渡はカァルを抱えて歩く暁に尋ねている。
「昼過ぎ。空港まで樹の親父さんが送ってくれるって」
今日はお父さんの釣りがお休みでちょうどよかった。僕も一緒に行って見送る予定なんだ。
「それなら、お散歩はゆっくりとできますね」
「ああ、色々と相談しときたいこともあるから付き合ってくれると助かる」
昨日テラでも話しているけど、あちらでは話しにくいこともあるのだ。
「早速だけど暁くん、朝からお姉ちゃんにあのことを聞いてきたよ」
「お、どうだった?」
短刀のことだ。昨日いなかった海渡に教える。
「今のあたいじゃ技術が足りねえ。もうしばらく待ってくれって」
「やっぱそうだよな。仕方ない。今あるもので我慢しとくか」
「それとね。日本刀の技術を使ってねえが、新しいナイフなら作れるぞ。どうするかって」
「あ、それは欲しい。タルブクの職人が帰るときに持たせてくれ」
「わかった。麦3袋って言ってたから貸しだね。次の隊商に預けといて」
「ぐっ、値が張るが命に代えられない」
さすが風花、ちゃんと商売を忘れてない。
「それで、海渡。俺んとこの職人はどうしてる? 女が多くて大変だろう」
タルブクから工房にやってきた五人の職人のうち、男は一人だけであとは女性。理由はタルブクに行ってわかった。男の人は放牧に出るから村にいないんだね。
「そんなことないですよ。皆さん素直ですし、二日に一度入れるお風呂を楽しみに頑張っておられます」
「お風呂? そういえば、カインではお風呂を作ったと言ってたな。職人たち、帰りたくないって言い出さないかな……」
「大丈夫だとは思いますが、タルブクでもお風呂を作られた方がいいと思いますよ」
女の人がお風呂を一度経験してしまったら、それが無い生活は耐えられないだろう。
ついでに妊婦さんと生まれてくる赤ちゃんの為にも、体を清潔にしといた方がいいと暁に伝える。
「不潔だと感染症に……なるほど。チャムには間に合わないけど、これからの子供たちのためにも必要だよな。カインでは川の水を使って、銭湯みたいな感じにしてんのか。俺のところでもできるかな?」
「できるんじゃね。チラッと見たらよさそうな小川がいくつかあったし、設計図は今度送るから……ん? そういや、タルブクで釜を作れるか?」
「釜って金属製だろ。うちの村には鍛冶工房がないんだ。カインから運んでもらうことは?」
「荷馬車が通れねえから、しばらく無理だぜ」
そうそう、タルブクまでの間に何か所か道が狭かったり急勾配のところがあった。そこを何とかしないと荷馬車は使えない。
「マジか。職人が帰ってきたら、みんなに風呂のことを話すよな……」
女の人の情報網を舐めてはいけない。すぐに村中に広まるはずだ。
「あのですよ。タルブクの職人さんの中に鍛冶に興味がありそうな女の子がいるのですが、その子に鍛冶修行をさせてみたらいかがですか?」
「カインの鍛冶工房ってパルフィさんのところだろ。俺、あまり話したことないんだけど、鍛冶の技術って簡単に教えてくれるものなの?」
テラでは、鍛冶や陶器の職人さんは一門の人で技術を伝え合うというのが一般的。暁が不安に思うのも仕方がないと思う。
「たぶん大丈夫だと思いますが、ご本人さんとパルフィさんに明日聞いてみます」
「助かる。やべー、うまくいったら俺んとこものすごく暮らしやすくなりそう。でもこれって、他のところから妬まれたりしないかな?」
「その可能性はある。だから、自分たちだけが美味しいところ取っちゃダメだぜ」
そうそう、みんなが幸せにならないといつかしわ寄せが来ちゃう。
「肝に銘じとく。それと、あっちの俺たち今シュルトまで向かっているだろう。町長には会うのか?」
「うん、テンサイの栽培を頼もうと思って」
「テンサイって?」
暁に砂糖の元だと伝える。
「さ、砂糖! ……俺のところでも作れないかな?」
「暁さん、タルブクって冬はずっと氷点下ですか?」
凪ちゃんは、ジャバトと繋がってから農業のことに興味を持ち始めた。最近では、海渡と一緒に図書館でよく調べものをしているみたい。
「たぶん……外の水はすぐに凍るし、一日中溶けない。だから、むっちゃ寒い」
「夏はどうですか?」
「夏もたいして気温は上がらないかな」
「夏の気温が20度くらいはあって欲しいのですが……」
「それくらいはあるような気がする……」
テラには温度計がないから、ハッキリとした温度を知るすべはない。慣れてきたら感覚である程度は判断できるんだけど、暁は繋がったばかりだから基準がわからないんだと思う。
あ、凪ちゃんがこっちを見た。
「暁、試しに少しだけ作ってみる?」
種に余裕があるわけではないけど、どこで作った方が砂糖が良く取れるかを調べる必要はあるからね。
「い、いいのか! いつから作れる?」
「来年、いや再来年かな。種ができるのは来年の秋なんだ」
「うぅ、結構待たされるな」
「暁さん、それまでに土地を作っておきましょう!」
ここからはまた凪ちゃんの出番。
「土地?」
「はい、テンサイが良く育つように準備する必要があります。資料を送っておきますので、やっといてください」
「わ、わかった」
これまで、やることが一杯で農業は後回しだった。凪ちゃんが興味を持ってくれてほんとよかったよ。
「あと暁さん、大豆とか小豆とか情報をご存じありませんか? 原産地は中国あたりのようなのです」
お、海渡のターンだ。
「大豆に小豆ね……何に使うんだ?」
「大豆はお豆腐を作ってもいいし、麹が見つかったら味噌や醤油が作れます。小豆はお米がありますからお赤飯が作れますし、砂糖が手に入るようになったらあんこにすることもできますよ」
「お豆腐、あんこ……よだれが出てきそう。タルブクにはケルシー(地球の中国新疆ウイグル自治区カシュガル)からたまに隊商が来るけど、豆類は見たことないぜ」
そうだろうと思ってた。
「それは、加工の仕方を知らなくて誰も作ってないからだと思う。僕が綿花を探している時もそうだったもん」
「ふーん、ということはこういう植物を見つけてくれって隊商に頼んだらいいんだな」
「うん、シュルトでも頼もうと思っているけど、いい?」
「OK、その方が見つかる可能性が高そうだ。そして小豆が見つかったら、テンサイで作った砂糖であんこにして……小麦はあるから、ふふ、今川焼が食べられるようになるかも。俺好きなんだ」
暁も甘いもの好きなのかな。
「暁さん、今川焼って何ですか?」
あれ? 海渡は知らないんだ。
「もしかして、こっちにはないの? 中にあんこが入ったこんなやつ」
暁はカァルを下ろして、今川焼の形を手で作った。
「丸くて厚くて……それって、回転焼きでしょ。スーパーのフードコートで焼きたてを見ると、思わず買っちゃいます」
そうそう、回転焼き。こっちではそう呼ぶね。
「そうか、名前が違うんだ……もし、テラで今川焼を作ったとしていろんな呼び方があったら、あっちの人たち混乱しないか?」
確かに、それはあるかも。
「んじゃ、今のうちに多数決で決めとこうぜ。今川焼って人」
暁と凪ちゃん、それに風花まで手を挙げた。
「回転焼き」
竹下が手を挙げたので、僕と海渡もそれに続いた。
「三対三か……あ、穂乃花さんはどうだろう?」
「たぶんお姉ちゃんは、どうでもいいって言うと思う」
ありえる。どうしよう……
そうだ!
「カァル、どっちがいいと思う?」
石の欄干の上で寝そべって、こちらの方を興味深そうに眺めていたカァルに尋ねる。
「にゃ?」
カァルは少し首をひねったあと、ぴょんと飛び降り、
「にゃー」
竹下の足元に体を擦りつけた。
「さすがカァル。おれんちの猫!」
「ずるいぞ! なあ、カァル、こういうの今川焼って言うよな」
暁の問いかけにカァルは毛づくろいをして答えた。
「暁さん、諦めが悪いですよ。カァルはあちらではユキヒョウですからね。山の神の思し召しには従わないといけないのではないですか?」
「ぐっ、山の神様……わかった、あっちでは回転焼き。でもこっちでは今川焼だからな」
美味しかったら、名前はどっちでもいいんだけどね。