第119話 とにかく、休んで。無理は禁物だよ
〇1月3日(水)地球
「ここはお湯だけだと危ねえんじゃねえのか?」
竹下が以前書いていたお風呂場の設計図に穂乃花さんが指摘をする。
「こっちの樋から水を注ぐから、湯船の温度はちょうどよくなると思うんだけど」
穂乃花さんと話すときの竹下は口調が大人しくなる。どうやら初めて会ったその日に思いを通じ合わせたようだけど、だからと言って年上のお姉さんにいつもの口調で話すのは憚られるらしい。
「子供も入るんだろう。大人は理屈がわかるから構わねえが、小せいのははしゃぎまわって熱湯の中に突っ込むかもしれねえぞ」
今日のテーマはお風呂の建設について、穂乃花さんが東京に帰る前に一度話し合いたくて集まってもらったんだ。
「小さい子の動きは予測ができません。穂乃花さんの言う通り、湯船にはある程度温度を下げたものを入れた方がいいと思います」
そうそう、海渡の小さいときはほんと大変だった。ちょこまかして、一時もジッとしてないんだもん。
「……樹先輩、何か失礼な事考えていませんか?」
「そ、そんなことないよ。僕、コーヒー淹れてくるね」
「ボクも手伝う」
風花と二人で部屋を後にする。
「穂乃花さんが繋がると話が早いね」
食器棚からコーヒーカップを選んでいる風花に声を掛ける。
「うん、鍛冶工房の方も早速改修を始めたみたいだし、これからどんどん効率が上がってくるんじゃないかな」
今は、重たいものを運びやすくするための滑車を作っているみたい。お風呂用の大きな釜を作るには必要なんだって。時間に余裕ができたら、安全性を考慮した道具も作りたいって言ってた。働きやすい環境が整ったら、鍛冶工房の職人さんも増えてくるかも。
ん?
「ねえ、風花。砂糖をそんなに持っていくの?」
カップを並べたお盆に、風花はコーヒーシュガーの入った瓶をそのまま乗せている。いつもは二、三本で足りるのに……
「お姉ちゃん、甘いものが好きなんだ。いつも頭の栄養素だと言って、コーヒーや紅茶にどんどん入れてるよ」
ということは……
「穂乃花さんの記憶を得たパルフィも?」
「そうだ、きっと甘いものを欲しがっているよ」
はは、これは今年の秋にとれる砂糖を楽しみしている人が増えちゃったかな。
「甘いものと言えばさ、風花。テンサイを作る場所を決めないといけないでしょ」
「うん、たくさんの砂糖ができるところがいいね」
砂糖大根ことテンサイは寒暖差が大きい方が甘みを貯えるみたいだから、ちゃんとしたところで作ったら効率よく砂糖を作ることができるはずだ。
「春になったらシュルトの方に行くでしょ。確か、地球のあの辺りはテンサイを作っているみたいなんだ。頼んでみたらどうだろう」
「シュルトか……」
出来上がったコーヒーをポットに注ぎながら風花の言葉を待つ。
「うん、コルカあたりは紙、米、それに綿花を扱って、シュルトあたりは高級品の砂糖。バランスもいいし行商人も喜ぶと思うよ。今度セムトさんに話してみよう」
これでシュルトに手ぶらで行かずにすみそうだ。
〇(地球の暦では1月5日)テラ
「ここはどうするんだい」
村のおばちゃんが指導担当のルーミンに声を掛ける。
「ここの線に沿って削ってください」
冬になって工房で作業をしてくれる職人さんが増えた。というのも、畑仕事ができないから村の人たちが働きに来てくれているのだ。ちなみに今日部屋の中にいるのは女の人ばかりで、男の人は全員外で作業中。
「うぅー、寒いー」
おっと、噂をすれば……
「ほら、早く暖炉にあたって」
外から帰ってきた男衆のために、暖炉の前を空けて温かいお茶を入れてあげる。雪は降ってないとはいえ朝から桶にうっすらと氷が張るほどだったから、かなり寒かったはずだ。
「ふぅー、生き返りましたぁ」
「ご苦労様。どんな感じ?」
ホッとした表情のジャバトに声を掛ける。
「もう少しで基礎が出来上がります」
パルフィと穂乃花さんが繋がってからそんなにたってないのに……ふふ、近いうちにお風呂に入ることができそう。
「あれ、ユーリルは?」
そういえば、建設責任者の姿が見えない。鍛冶工房の方に行ってるのかな。
「声を掛けたんですが、まだ残ってますよ。気になるところがあるみたいで」
うーん、これは……
「ルーミン、行くよ」
竹下……いや、ユーリルの悪い癖が出たみたい。注意しなきゃ。
鍛冶工房を通り過ぎ、10メートルほど先を流れる小川まで向かう。これから作ろうとしているお風呂はいわゆる公衆浴場で、この小川の水を使ってお湯を沸かすつもりなのだ。
「あーあ、あんなに這いつくばっちゃって」
ルーミンの言う通り、ユーリルはお風呂の建設予定地で頭を地面すれすれまで下げていた。平らになっているか調べているんだろう。
「カァル」
ユーリルに付き合っていたカァルが足元までやってきて『にゃー……』と鳴く。
ほら、カァルだって心配そうだよ。
「寒いでしょ。工房に戻って休んで」
片目を閉じて地面を眺めているユーリルに声を掛ける。
「んー、ずっと動いてたから寒くないぜ」
「果たしてそうでしょうか……ほら、手なんてこんなに冷たいですよ」
ルーミンが無理矢理手を握り確かめる。あれ?
「ユーリル、手袋はどうしたの?」
出かけた時にはみんなはめていたはず。工房に戻ってきた男衆の人たちの手にもそれはあった。
「熱いから外した」
ユーリルは立ち上がり、ほらといってポケットから革製の手袋を出した。
確かに通気性はよくないから蒸れるかもしれないけど……
「俺は草原の生まれだからカァルと一緒で寒さには強いんだって、心配すんな」
ユーリルが生まれたところは、地球でいったらカザフスタンとロシアの国境近く。緯度的には北海道のさらに北、たぶん樺太あたりになると思う。だから、とても寒いところなのはわかる。でも、
「とにかく、休んで。無理は禁物だよ」
「いや、早くしねえとパルフィが風呂釜を作っちまうし」
「いいから来る」
「にゃ!」
「あ、こら、カァル、噛むな」
渋るユーリルを無理矢理工房へと連れて行くことにした。