第106話 ば、倍!
〇(地球の暦では10月16日)テラ
工房の中が少し薄暗くなってきた。今日の作業も終わりだ。
「そろそろですかね」
隣で糸車を組み立てているルーミンの呟きにうんと頷く。
「風花は、今日中に着きたいと言ってたけど……」
馬に乗っての移動だから歩くよりは早い。ただ、今は冬眠に備えてクマが歩き回っている時期だから、それに遭っちゃうと予定通りにはいかない。
「リュザール兄、帰ってきたよ!」
トイレに行ってたテムスが、そう言って駆け込んできた。
クマはいなかったみたい。
「聞いて。今日の作業はこれで終わりにします。みんなでカイン隊を出迎えよう」
村のために盗賊がいないかどうか遠くまで行って調べてくれたんだから、労わなきゃ。
工房前を通り過ぎる隊商にお帰り、お疲れ様と声を掛け、手を振る。
リュザールとアラルクもそのままついていっちゃったけど、一度村の広場まで行ってそこで解散になるのが隊商の習わし。
「皆さんお疲れの様子でしたね」
隊員の人たちの体がいくら丈夫だとしても、今回の強行軍は堪えたみたいだ。
「ルーミン、夕食の手伝いに行くよ。たくさん食べて元気になってもらおう。それに、今日はたくさん来るはずだから」
リュザールとアラルクが帰ってきて人数が増えるというのもあるんだけど、父さんと話をするためにセムトおじさんが来るんじゃないかな。それに、サチェおばさんも一緒だと思う。エキムを連れて。
「そうですね。せっかく皆さんお集まりになるのでしたら、あれを作りましょうか。栄養満点だし、疲労回復にはもってこいですよ」
あれか……時間はギリギリ間に合うかな。
「そうすると、今日でお米が無くなっちゃうよ」
「ええ、ですのでリュザールさんに頼んで次の行商の時に仕入れてきてもらいましょう。そろそろ今年収穫した分が出回る頃じゃないですか?」
そういえば、新米の時期だね。
お米を作っているところは多くは無いけど、セムトおじさんたちのプロフの普及も始まったばかりだから米の需要もそこまでじゃないはず。仕入れるのに苦労するということは無いと思う。
「早速母さんたちに話そう」
タルブクとの間には隊商宿がなくて、食事は携帯食。温かいものに飢えているはずだから、みんな喜ぶはずだ。
「ルーミンちゃん、話には聞いていたが手際がいいね」
「えへへ、ありがとうございます」
予想通り、セムトおじさんはサチェおばさんとエキムを連れてやってきた。おじさんとエキムは居間で父さんたちと話をしていて、おばさんは料理の手伝いに来てくれたのだ。
「これでいいのかい」
「はい、あとは蒸しあがりを待つばかりです」
女性陣総出の甲斐あって、十数人分のプロフがもうすぐ出来上がる。
間に合ってよかったよ。
「あれがエキムかな?」
ようやく手が空いたので、ルーミンと一緒に台所から居間を覗いてみる。
セムトおじさんの隣に、明るめの茶色い髪を後ろで結んでいる少年が座っていた。
「確かになにか気になる感じはしますが、匂いをどうやって嗅ぎましょうか?」
「だよね。どうしよう……」
リュザールとユーリルはともかく私とルーミンは女の子だ。理由も無く、既婚者の男性に近づくことはできない。
リュザールがいうように地球にもエキムがいるのなら、みんなで匂いを嗅いでいた方が見つけやすくなるんだけど……
「最悪ユーリルだけでも嗅いでもらおう」
それなら、地球でも竹下と風花がエキムの匂いを知っているということになる。相手が男の子でも女の子でも一応近づくことはできるだろう。
「さあ二人とも、今のうちに食器を出すよ。手伝っておくれ」
初めて見るプロフにエキムは怪訝な顔をしている。
「いい匂いだけど……これ、米だよね」
こちらの世界では米と言えば美味しくない食べ物の代名詞。それでも作られているのは、麦が病気とかでうまく育たなかったときのための保険だって、以前セムトおじさんから聞いたことがある。
「つべこべ言わずにとにかく食ってみろ」
エキムの隣に座ったユーリルが、プロフを大皿からエキムのお皿にどんどん移していっている。
「わ、わかったよ」
エキムがさじを使って、出来たてのプロフを口の中に放り込む。
「えっ! すご! これ! うま!」
初めて食べるプロフに驚いた様子。そりゃ、そうなるよね。美味しいもん。
というか、似たようなことを誰か言ってなかったっけ?
「だろ。俺も初めて食った時に驚いちゃってさ」
「わかる。語彙が無くなるわ」
二人って相性がいいのかな。いつのまにか仲良くなっているし。
「こんなのシュルトでも見たことないよ。ユーリルたちはいつもこんなご馳走を食べてんのか?」
「今は米が少ないから無理だな。でもこれからセムトさんたちがプロフを普及させてくれるから、そうなったらみんな米を作り始めるはずだぜ。ですよね。セムトさん」
「そうだね。時々試食を作って行商人に食べてもらっているんだけど、なかなか評判がいいよ。おかげで、来年にはたくさんの米を扱えそうだ」
さすがおじさん、仕事が早い。
「お義父さん、タルブクでも米が欲しいです」
「タルブクか……カインから運ぶにはちょっと。荷馬車が使えたらいいのだが……」
米のような嵩張るものを馬に括り付けて運ぶには、タルブクは遠すぎる。
「荷馬車って、なんですか?」
「荷物を積んで馬で曳く道具だよ。ソルの工房で作ってくれたんだけど、おかげでこれまでよりもたくさんの荷物が運べるようになったね」
「ソル……あ、チャムの親友の!」
親友だなんて、チャムったら。
「ほら、あなたたち、話はあとにしてさっさと食べなさい。せっかくの料理が冷めちゃうわよ」
そうそう、一生懸命に作ったんだから、美味しく味わってほしい。
「お腹いっぱいだ。人の家だというのに、あまりの美味しさにがっついてしまった。恥ずかしい」
顔を赤くしたエキムだけでなく、リュザールもユーリルもお腹をさすっている。久々のプロフでみんなが美味しそうに食べるから、それにエキムが釣られたとしても仕方がない。
「いえいえ、全部食べていただいて作った方としては嬉しい限りです」
ほんと、残ってたら悲しくなるんだ。
食事が終わった後、父さんたちが濃いめの馬乳酒を飲みだしたので、子供たちだけで集まって話をしている。あれは美味しいんだけど、後からお腹に……
「あのさ、リュザール。タルブクの人たちにもプロフを食べさせたいんだ。荷馬車ってやつがないと米を運べないのか?」
「運べはするけど、安く手に入れたいのなら荷馬車が使えた方がいいね」
「安く……ちなみに、ここでは米はいくらくらい?」
「麦3袋で米2袋かな」
作っている人が少ないから、お米の方がちょっと高い。
「うわ、俺のところは麦2袋で米1袋だよ。シュルトに行ってもなかなか手に入らないんだ。それでセムトさんに頼んだんだけど、結局そう変わらないか、むしろ高くつきそうだ」
シュルトは北の方だから、周りにお米を作っているところが無いのかも。かといってカインから運んでも、高い山を越えないといけないから行商人の手間賃が余計にかかっちゃうんだよね。
「それで、どうして荷馬車を使えたら安くなるの? さっきのセムトさんの話じゃ要領を掴めなくて……」
そういえば、荷物を馬で曳くとしか言ってないや。
「ふっふっふー、なんと、荷馬車を使うと同じ人数で今までよりも倍の量を運べるようになるんだ」
なぜかリュザールが誇らしげに言った。
「ば、倍!?」
「そう、たくさん運べるから、荷物一つあたりの利益を押さえることができる」
「だから安くなると……」
リュザールはうんと頷く。
「でもさ、タルブクじゃ使えないんだろう。それじゃ意味ないよ」
荷馬車を使うにはある程度道が整備されてないといけないんだけど……
「ねえ、リュザール。荷馬車は絶対に無理って感じなの?」
地球の衛星写真では、カインとタルブクの間には車が通れる道路ができている。地形は一緒のはずだから、できないことは無いような気がする。
「今回確かめながら通ってみたけど、幅が狭かったり勾配がきついところがいくつもあったね。そこを何とかしないと難しいよ」
そうなんだ。タルブクの人たちと協力して道を作ったとしても、すぐにはできそうにないな。
「シュルトとの間はどう?」
せめてそちらが通れたら、タルブクでもシュルトのお米が少しは安く手に入るかも。
「ボクは、タルブクから先に行ったことが無いから何とも……」
リュザールは元々バーシの行商人だから、さすがにあちら方向まではいかないか。
ということで、みんなでエキムを見る。
「い、いや、確かにシュルトには行ったことあるけど……だから、荷馬車がどんなものかわからないんだって」
それもそうか。
「さて、エキムくん。そろそろ失礼しようか」
おじさんと父さんの話も終わったみたい
「エキム、明日、工房に来るんでしょ。そこで見せてあげるよ」




