出会い
「第一部隊帰還!開門!」
青空の下に高らかな声が響く。それに応えるように大きな門が開かれた。
水の国、アクアフォール。この国は水が豊富なため他国から狙われることも多かったが、一番厄介な敵は魔物たちだった。この国に王はいない。この国の頂点に立つのは水宮殿を守る神子で、政治は神子と執政官、騎士団の部隊長によって行われていた。魔物たちは神子の膨大な神力を狙い、日夜攻めいってくる状態だった。
この国を守る騎士団は第一から第四まで部隊があり、それぞれの隊長は人間離れした力を持っていた。第一部隊隊長、ミヅキ・カグヤは長い濃紺の髪を一つに束ねた美丈夫で右の瞳は金、左の瞳は紺という変わった色をしていた。その力は他の三部隊の隊長をも凌ぎ、類いまれなる剣技と水魔法で国を守る要だった。
「隊長、お帰りなさいませ」
「ああ、予定より少し遅れたな。他の方々はお揃いか?」
足早に水宮殿の廊下を歩いていると補佐官のサイ・イヅミが声をかけてくる。サイはミヅキとは対照的なショートカットの銀髪を軽く整髪料でセットし、縁なしメガネをかけていた。
「はい。皆様お揃いでございます」
ミヅキの問いに答えながらサイが資料を差し出す。その資料に目を通しながらミヅキは会議室に向かった。
「俺の留守中変わったことはなかったか?」
「はい。特に変わりありません」
「わかった。会議が終わったら屋敷に帰る。隊員たちを休ませてくれ」
「承知しました」
ミヅキの言葉に軽く頭を下げてサイはそばを離れた。ミヅキはそのまま会議室に行くと衛兵が開けた扉から中に入った。
「第一部隊隊長ミヅキ・カグヤ、参りました。遅くなって申し訳ありません」
遅刻を詫びながら会議室に入ると三部隊の隊長と執政官、そして神子が視線を向けてにこりと笑った。
「帰還して早々にすみません。探し物は見つかりましたか?」
そう声をかけたのは神子だった。神子は純白のドレスに身を包んだ初老に差し掛かろうかという女性だった。若い頃は艶やかな黒髪であったが、今は艶やかさは変わらないものの白髪になり、その美しい顔には年齢を感じさせる皺が刻まれていた。
「見つかった、と思います。しかし、いまいち確証がありません」
歯切れの悪い返事をして席についたミヅキに隣の席の第二部隊隊長シン・ハクジュが声をかけてきた。
「第一部隊の今回の出陣は討伐じゃなく捜索が任務だったのか?」
「捜索はあくまでついでにと神子に頼まれたものだ。主な目的は討伐だ」
「へえ。何を探してたんだ?」
「次代の神子を」
そう答えたのは神子だった。まさかの答えに固まったのはシンだけではなかった。執政官は知っていたのか難しい表情をしていたが、第三、第四部隊の隊長たちはシン同様固まっていた。
「黙っていてごめんなさい。まだ公にするつもりはなかったから。ミヅキ様にお願いして少し気にかけていただいていたの」
悪戯が見つかってしまったかのように言う神子に執政官はため息をついた。
「このことは最重要極秘事項です。知っている者は必要最低限でなくてはいけません」
「確かにそうですが、なぜ今次代を?」
そう尋ねた第三部隊隊長アカギ・クジョウに神子は悲しげな表情を浮かべて笑った。
「まさか…」
「ええ。私の命はもう長くはないの。だから次の神子を探さなくてはならなくて。ちょうど存在を感じる方向にミヅキ様が出陣予定だったからミヅキ様にお願いしたの」
神子の言葉に5人が沈痛な面持ちで目を伏せる。確かに神子は短命なことが多かったが、慣れ親しんだ人の寿命がもうじき尽きると聞けば心静かではいられなかった。
「こればかりは仕方がないわ。私はこれでも長生きなほうなのよ?」
神子は5人を慰めるように言うと優しく穏やかに微笑んだ。
会議を終えて屋敷に帰ろうとミヅキが水宮殿を出るとシンが声をかけて追いかけてきた。
「ミヅキ、これから屋敷に帰るんだろう?久しぶりに一杯どうだ?」
「いいな。では共に行こう」
酒の誘いにうなずいてミヅキとシンは馬車に乗り込んだ。
「それにしても、神子の代替わりが思ったよりも早そうだな」
「ああ。仕方ないとはいえ、やりきれないな」
シンの言葉にうなずいてミヅキは目を伏せた。
神子は代々世襲ではなく、代替わりが近付くと国内に新たに生まれるのだ。次代の神子は自分がそれとは気付かず育ち、その存在を感じられるのは当代の神子だけだった。
「きみ、次代の神子を見つけてきたんだろ?どうやって見つけたんだ?」
「特徴は聞いていた。まだ子供だが、目が離せなくてそのまま連れ帰った」
「おいおい、ずいぶん適当だな」
ミヅキの言葉にシンは顔をひきつらせた。だが、ミヅキが連れ帰った者が次代で間違いないと神子も言っていたので違いないだろう。それよりこの男は今なんと言った?そのまま連れ帰ったという言葉は聞きようによっては人拐いだ。
「ミヅキ、ちゃんとその子や親に承諾はとってきたんだよな?」
「近くに親はいなかった。森の中で行き倒れていたからそのまま連れてきたんだ。道中もずっと眠っていて起きなかったな」
嫌な予感が的中してシンは深いため息をついた。騎士団随一の力を持つこの男は時々常識はずれのことをするのが唯一の欠点だった。
「きみ、それじゃあ人拐いと同じだと気付いているか?」
「は?行き倒れていたのを助けたんだぞ?」
シンの言葉に全く思い至らなかったとミヅキが背凭れから体を離す。シンが再び深いため息をつくと馬車はミヅキの屋敷の玄関ポーチに停まった。執事が開けた扉から外に出た瞬間、上から侍女の悲鳴が聞こえた。
「きゃー!ここは二階です!飛び降りちゃダメです!」
何事かとミヅキとシンが上を見上げると、二階の窓から銀髪の子供が降ってきた。
「うわっ!」
咄嗟にミヅキが受け止めてそのまま倒れこむ。シンは執事に医師を呼ぶよう言いつけて二人のそばに膝をついた。
「大丈夫か?」
「ああ…」
シンの問いかけに返事をしてミヅキが体を起こす。ミヅキに抱かれた子供も大きな怪我はなかったようですぐにミヅキの胸を押して逃げようとした。
「二階から飛び降りたら危ないじゃないか。怪我をしたらどうするんだ」
「うるさい!ここはどこだよ!あんたら誰だ?!」
顔を上げた子供は綺麗な銀髪に翡翠色の瞳をした少年だった。
「ミヅキ、何の説明もせず連れてきたきみの責任だぞ?」
「わかっている。おい、ちゃんと説明してやるから逃げるな」
うなずいたミヅキは少年を下ろすと立ち上がって服についた塵を払った。
「俺は騎士団第一部隊隊長ミヅキ・カグヤだ。お前を連れてきたのは俺だ。悪いようにはしないから落ち着け」
「騎士団…」
「俺は第二部隊隊長のシン・ハクジュだ。よろしくな?」
騎士団の存在は知っていたらしい少年が急に大人しくなる。シンの手を借りて立ち上がった少年は警戒心を露に一歩後ずさった。
「騎士団なんかが俺に何の用だよ」
「話をする前に傷を診てもらって着替えろ。あちこち擦り傷があるだろう」
ミヅキの言葉に心配そうに控えていた執事がそっとそばに寄ってくる。少年は執事に優しく促されると大人しく屋敷の中に入っていった。
ミヅキとシンがサンルームで紅茶を飲んでいると風呂に入れられ傷の手当てをされた少年が執事と共にやってきた。服も綺麗になっていたが、執事曰くミヅキが子供の頃の服がちょうどいいサイズだったそうだ。
「そういえば、名前をまだ聞いていなかったな」
執事が少年の分の紅茶を淹れて下がるとミヅキは思い出したように尋ねた。その様子にシンが盛大にため息をつく。少年は警戒しながら紅茶を一口飲んで「イサキ」と名乗った。
「イサキか。姓はなんという?」
「知らない。俺は孤児で人買いに売られた。親の顔も覚えてない」
「そうか。ではなぜあんなところで行き倒れていた?人買いから逃げたのか?」
「山賊に襲われて、無我夢中に逃げたらあそこで動けなくなった」
「なるほど。きみは運がいいな。ミヅキに拾われなければ今頃魔物の餌だ」
シンの言葉にイサキが顔をしかめる。ミヅキは気にしたふうもなく紅茶を飲んだ。そんなミヅキにイサキは訝しげな表情を浮かべた。
「あんた、なんで俺を助けたんだ?」
「俺はお前を探すよう言われていたからな。お前はこの国の神子について知っているか?」
ミヅキの言葉にイサキはますます訝しげな顔をした。
「いくら俺でもそれくらいは知ってる。この国が豊かなのは神子がいるからだ」
「その神子から次代の神子を探すよう言われて見つけたのがお前だ」
「は?」
さらっと言われた言葉にイサキが固まる。二人のやりとりを見ていたシンは苦笑しながら紅茶を飲んだ。
「いきなりそんなことを言われたら誰だって混乱する。ミヅキ、明日イサキを水宮殿に連れていくんだろ?」
「ああ。神子からも会いたいと言われているからな。イサキ、俺はただ命じられてお前を見つけたにすぎない。詳しいことは明日神子から直接聞いてくれ」
明日この国の頂点に立つ人に会わせると言われたイサキはすっかり思考回路が停止していた。
その夜、ミヅキとシンは書斎で酒を酌み交わしていた。
「今日はなんともバタバタな一日だったな」
「そうだな。あんなに賑やかな夕食は久しぶりだった」
ミヅキの言葉にシンが思い出し笑いをする。夕食の席でイサキは見たこともないような料理に感動しきりだった。どれを食べても美味いと満面の笑顔で食べるさまはマナーがなっていなくても気にならないほど幸せそうだった。ひとしきり食べたイサキがミヅキやシン、執事たちの視線に気付いて真っ赤になるのも可愛らしかった。
「あれで15だというんだからな。今までろくなものを食べられなかったんだろうな」
「そうだな。だが、これからは衣食住には困らないだろう」
「ああ。だが、何も知らずに運命が決まっているというのは可哀想だな。今の神子も、何も知らないで連れてこられたんだろうな」
次代の神子は当代の神子が死ぬまではただの人。神子としての自覚も力もない。そんな状態で水宮殿に連れてこられるのだ。話で聞いてそれが当たり前だと思っていたが、いざそれを目の当たりにするとなんとも言えぬ後味の悪さがあった。
「知らない場所に知らない人間ばかりで心細いだろう。ちゃんと気にかけてやれよ?」
シンの言葉にミヅキは無言でうなずいた。
翌日の早朝、シンが自分の屋敷に帰るために客間を出ると隣の部屋の扉がかすかに開いた。隣はイサキが使っていたことを思い出したシンはにこりと笑って声をかけた。
「おはよう、イサキ。ずいぶん早いな。ちゃんと眠れたか?」
「…おはよう」
扉から顔を出してイサキが挨拶する。その顔はまだ眠そうだった。
「俺が起こしてしまったかな?」
「立派な部屋すぎて落ち着かない。でも、ふかふかのベッドは気持ちいい」
素直な感想にシンが微笑む。イサキはシンが着替えもすませていることに気付いて首を傾げた。
「どこかに行くのか?」
「自分の屋敷に帰るのさ。水宮殿でまた会えるぞ?」
ミヅキよりは話しやすいシンが帰ると聞いてイサキがわずかに残念そうな顔をする。シンはそれに笑うとイサキの頭を撫でてやった。
「ミヅキは口下手でとっつきにくそうに見えるが、実は面倒見のいい情に厚い奴だぜ?安心して甘えるといい」
「もう子供じゃない!」
「あっはっは!そうか、そいつは悪かった。じゃあ俺はそろそろ行く。お前はもうひと眠りするといい」
楽しそうに笑ったシンはイサキにひらひらと手を振って去っていった。イサキはシンが行ってしまうと部屋に入ってベッドに潜り込んだ。こんな柔らかいベッドで寝たのは初めてだった。眠れそうがないと思っていたイサキだったが、布団にくるまれているうちにいつしか眠りに落ちていった。
次にイサキが目を覚ましたのは執事に起こされてだった。初老の執事はまるで可愛い孫に接するようにイサキに微笑みかけた。顔を洗って髪を整え、着替えをすませる。手伝ってもらって身支度を整えたイサキはサンルームに案内されるとコーヒーを飲んでいるミヅキにおずおずと近付いた。
「…おはよう、ございます」
「おはよう。よく眠れたか?」
読んでいた書類をテーブルにおいてミヅキがイサキを見る。昨日よりも柔らかい表情を見てイサキは無意識に詰めていた息を吐いた。
「ベッド、気持ち良かった、です」
「そうか。無理に敬語を使わなくていいぞ?慣れないことをすると疲れるものだ」
小さく微笑んでミヅキがイサキの頭を軽く撫でる。驚いたイサキはしかしそれが嫌ではなくてはにかんだ。
「朝食をすませたら水宮殿に行く。急ぐ必要はないからゆっくり食べなさい」
ミヅキが言うとちょうど執事が朝食を持ってきてくれた。香ばしい香りのトーストにサラダ、スクランブルエッグ、フルーツというメニューにイサキが目を輝かせる。執事はミヅキにはトーストとおかわりのコーヒーを用意してそばに控えた。
「…あなたは食べないのか?」
自分の朝食とミヅキの朝食を見比べて尋ねたイサキにミヅキはうなずいてコーヒーを飲んだ。
「俺は朝はほとんど食べない。コーヒーだけの日もあるな。だから気にしないで食べろ」
ミヅキの言葉にイサキはうなずいて食べ始めた。よほどに飢えていたのか昨夜に続いて夢中で食べるイサキにミヅキがゆっくり食べるよう声をかける。そうするとようやくイサキは詰め込むように食べるのをやめた。
「失礼します」
ミヅキがトーストを食べ終わり、コーヒーを飲みながら美味そうに食べるイサキを見ているときっちり軍服を着たサイがサンルームに入ってきた。見知らぬ人間にイサキが一気に緊張する。ミヅキはイサキに部下だから大丈夫だと告げてサイに目を向けた。
「おはようございます。昨日の報告書をお持ちしました」
「おはよう。わざわざすまんな」
サイはミヅキに報告書を渡すと警戒して睨むように見つめてくるイサキに目を向けた。
「はじめまして。サイ・イヅミといいます。ミヅキ様の補佐官をしています」
「補佐官?」
「俺の仕事を手伝う者だ。戦場に行くことはほとんどないが、調べものや書類整理は優秀だ」
補佐官というものがどういうものかわらかないイサキにミヅキが説明する。サイはその説明にため息をついた。
「確かに私は隊長の雑務を減らすのが仕事ですけどね。もう少し言いようがありませんか?」
「ん?今ので不満なら軍師だな。戦術にも長けている」
なんとも大雑把な説明にサイはこれ以上言うのをやめてイサキに向き直った。
「私はここにくることは少ないのであまりお会いする機会はないかもしれませんがよろしくお願いします」
「…よろしく、お願いします」
綺麗に一礼するサイにイサキも慌てて頭を下げる。サイはその様子ににこりと笑うと懐中時計を確認した。
「隊長、そろそろお時間です」
「わかった。イサキ、私は着替えてくるから食べ終わったらここで待っていなさい」
ミヅキはイサキがうなずいたのを見るとサイと共にサンルームを出ていった。一人になったイサキのそばに執事が寄ってきて微笑む。イサキはそれに安心すると残っていた朝食を食べきった。
イサキはミヅキの支度がすむと水宮殿に連れていかれた。国の中心である水宮殿を見て足がすくむイサキにミヅキは優しく手を差し出した。
「大丈夫だ。俺がそばにいるしシンも来ている。何も心配いらない」
ミヅキの言葉にうなずいたイサキは緊張しながらその手を握って新たな一歩を踏み出した。
pixivに上げていたものを下げて上げなおしました。ノベルアップ+にも掲載しています。
更新は不定期になると思います。