囚われた男
「何者かに監視されているのです」
男は診察室に入るや否や医師に向かってこう告げた。
「まあまあ、落ち着いて。順を追って話してもらわねばわかりませんよ」
医師はなだめたが、男は落ち着かないまま早口に言った。
「周りの人間たちが共謀して逐一俺の様子を伺っている。もうこれ以上は耐えられるものか」
「なぜそう思うようになったのです。それだけ強く断言するということは、確かに監視されているという証拠でもあるのですか」
「証拠か。ならば見せてやる。それを貸せ」
男はテーブルの上に置かれたノート型コンピュータを指差した。医師はやれやれとそれを差し出す。
男はひったくるようにして奪い、短くキーワードを打ち込む。液晶画面を埋め尽くすように無数の画像が整然と並べられた。なんのことはない。画像用検索エンジンでとある有名な観光地を検索したのだった。
男はその中から一枚を選ぶと拡大させて医師の顔の前につき出す。
リゾートの海水浴場らしい。真っ青な海と真っ白なビーチの対比が美しく、行楽に来た大勢の人々がうごめいている様が写されている。
「これがなんだと言うのです?」
「よく見てみろ。俺が写っているだろう」
人差し指でトントンと叩く位置に、確かにこの男の姿があった。
カメラのアングルは砂浜全体を捉えているため焦点は男に合っているわけではない。つまり背景の一部として写っているのだ。
「これが証拠ですか?」
医師は鼻で笑ったが、男はその反応を予期していたようだった。
続けてキーワードを打ち込み、同様に一枚の画像を選ぶ。都心の駅の構内の写真だが、その背景にまたしても男の姿があった。
他にも、ハンバーガーチェーン店での女子高生たちの自撮り写真や、事故の瞬間を捉えたドライブレコーダー。ナイター中継のコマ撮り画像では観客席の中に……。そのどれにも背景の中に男が写り込んでいるのだ。
「すべて場所も日時も異なるようだが、確かにあなたがいる。無論、撮影者も違うようだ」
「そうだろう」
「つまり、不特定多数の人々が、意図してかはわからないがあなたを撮影していると」
「そういうことだ」
男は疑いを晴らしたとでもいうように満足げだ。
しかし医師はため息をついた。
「あなたは典型的な心の病です。自意識過剰が行き過ぎたようですな。しかし、よくこれだけの画像を集めたものだ。感心しますよ」
「ふざけるな。前もって用意したわけではない。どんなキーワードを打ち込んでも、そこに俺の写った画像が現れるのだ」
男は顔を赤くして言うが、医師はまったく信用しない。
「そうか、わかった。ならばあんたが適当なキーワードを言ってくれ。それを調べても俺の顔が出てくるならば信じざるを得まい」
医師はしばらく考えてから、ひとつ質問をした。
「スポーツはお好きですか?」
「さあ。最近はまったくしていない。この異変に気付いてからは引きこもりがちだしな。野球観戦は好きだが自分でやることは滅多にない」
「ならば、バッティングセンター、と検索してみましょう」
「なんだと? バッティングセンターなど、生まれてこのかた入ったこともないぞ」
「つまりはそういうことです。狭い生活圏の内ばかりを見ていると自分の姿を見つけてしまう確率も自然と高まる。それが自意識過剰というやつなのですよ」
医師は得意げに言うとキーワードを打ち込んで画像の一覧を表示させた。そのどれにも一見して男は写っていないようだった。
「そうか。先生の言う通り、これは俺の自意識過剰だったのか……」
腑に落ちたようで男はほっと胸をなでおろす。
と、次の瞬間、男は大きく悲鳴を上げて後ずさった。
「いる! いる!」
「なに? どこです?」
「見えないのか? そこに俺がいるだろう!」
医師は画像を注視した。
どこか郊外のバッティングセンターの外観を遠目に映している画像。手前に道路が一本走っている。信号があり、そこに停まっている車、その運転席にいる者の顔は紛れもなく男のものだった。
医師は帰宅するとさっそくグラスに酒を注いだ。
「なんとも気味の悪い患者だった……」
SNSが急速に発達した現代において、インターネット上は様々な画像で溢れ返っている。どこの誰がいつ撮ったのかもわからない膨大な数の写真たち。その中のどれかに自分の姿が紛れ込んでいる可能性など決して低くはなかろう。
しかし、そのことに囚われて自らの影を追い続けた結末があの男だったのだ。
「偶然を必然と思い込んだのだ。気付きさえしなければ心穏やかでいられたろうに」
そうぼやく医師を気遣うように妻が声をかけた。
「最近仕事に力を入れ過ぎではないかしら。この前の休暇も急な用事が入って、お仲間と行く予定だった登山をキャンセルしたでしょう」
「ああ、そうだった」
医師は友人の一人から登山の様子を写したスナップ写真の焼き増しを受け取っていたのを思い出し、デスクの引き出しから取り出した。
「鮮やかな紅葉だ。私も参加したかったものだ」
微笑ましく眺めていた医師だったが、何枚目かの写真を手に取ったとき思わず顔を強張らせた。
背景の中に件の男が写っていたのである。
あれから二度と男が医師のもとを訪ねることはなかった。風の噂ではあのままどこかへ失踪したという。
医師が男のことを未だに忘れずにいるのはその体験が奇妙だったからではない。
今も男の姿を見るからだ。もちろん、直接ではなく間接的に。
日々の生活の中でふと目に入る画像の中にあの男を見つけてしまうのだ。怯えるように周囲を見回し、カメラのレンズから逃れようとでもしているような、挙動不審な男。
彼の風貌は次第にやせ細り、瞳だけがギラギラと光っていく。まるで人外のもの、妖怪にでも変貌していく、その過程を段階的に見せられているようだ。
その存在は明らかに異彩を放っている。だがそれに気付く者はいない。
背景などに意識を向けることもなく無責任にシャッターを押して、その画像をネットに拡散させる。無限に複製されたその醜形が情報網の奔流に乗ってどこまでも広がり、延々とさまよい続ける。そして、それに気付いているのは医師ただひとりだ。
今では医師も男の影に囚われている。画像のたぐいを見ることに恐怖すら感じるのに、自然と目ではその存在を追ってしまうのだ。どこかにいるはずだ、と。
「気付きさえしなければ、心穏やかでいられたろうに……」




