2-2 魔王様は部下に体の関係を迫られるようです。
「一つ、頼みたいことがあるわ」
「魔王様の頼みであればなんなりと! それでどんなご用ですか? イオナちゃんをニナちゃんの前で引き裂いてみますか? それとも姉妹で殺し合いをさせみてますか? あ、それともそれとも――」
「あの姉妹、私が引き取りたい」
魔王のその言葉に、ティシーは顔色を変えた。
「そ、それは、精肉加工食品としてですか?」
「生きたままで。私の飼い人にしたいの」
「はぁ……」
魔王は僅かに緊張した目を、横を向いてティシーから隠そうとする。もちろん魔王の力で持ってこの魔物を従わせることはできる。だが、そうした横暴な振る舞いは軍全体の士気に影響を与える――らしい。それはセトの言葉。
「もちろん魔王様に捧げることに異存はありません! が、少々状況がよくないですねえ。ええ、この状況はよろしくありません。だってほら、魔王様が人間の命を救ったように見えてしまいます」
ティシーは目をわざとらしく細め、続ける。
「それにお言葉ですが、部下たちの中には元人間である魔王様を信じきれていない者も多い。彼らが納得するような理由があれば、今すぐにでもこの姉妹を差し上げるのですけど……」
「それ、あなたがここでのことを他言しなければ済むことじゃない?」
「ははあ、魔王様はもちろん翔女という魔物の特性をご存知でしょうけど……僕達、視覚と聴覚を全て共有してるんです。はい、目印のない空中で狩りが行えるようにですが」
魔王は眉をしかめる。ティシーの言葉が本当か嘘か、今の彼女には知る由もない。なにせこの世界に来てまだ一週間と少ししかたっていないのだ。力だけを頼りに君臨しても、部下の支持がついてくるのはずっと後のこと――らしい。これもまたセトが言っていた。
ようするに天下りなのだ。今の魔王の立場は。現場からの信頼と指揮能力はティシーに遠く及ばない。彼女の言葉を蔑ろにはできない。
「理由はあるわ。この世界の人間を調べて理解を――」
その言葉をティシーが遮る。
「おっと魔王様! その話はもう過去のことです。今は新たな問題に対処しなくてはなりません」
「なに?」
「ここでのことを他言しなければ済む……失言ですねぇ、さっきのそれ。部下たちのざわめきと不安が流れてきちゃって……魔王様って隠し事してまで人間を救いたいの? だとか。うーん困りましたねえ、なんと言ってやればいいのやら」
「なっ……」
鮮やかな翼で口元を隠し、翔女はくつくつと笑い声を漏らす。見上げてくる瞳は獲物を狙う猛禽のそれだった。魔王は咄嗟に左腕を胸元によせ、魔力を込める。だが脅しにはならなかった。ここで揉み消せばいよいよ言い逃れできない。彼女が強く出られない状況を、既にティシーは作り上げていた。まるで最初から狙っていたかのように。
「ティシーあなた……いったい私になにをさせたいの? 魔王の地位を狙ってるってこと……?」
「べつにぃ……ただ、僕たち翔女って美しいものに目がないんですよぉ。その点でいうと魔王様ってぇ……あははぁ、そのぉ……」
ちろり、赤い舌がのぞいた。
「私の好みドストライクなんですよねぇ……」
ゾッと血の気が引いた。無意識に後ずさっている自分に魔王は気がつく。一方でティシーは素早くその身を乗り出し、鼻先がふれあう程の距離で顔を覗き込む。鉤爪のついた右手を耳元の壁に押し付け――いわゆる壁ドンの体勢だった。
「あぁ……なんて美しい……力だけを与えられた未熟な未熟な魔王様……」
「は、離しなさい無礼者……!」
「あれ、声が震えてますよ? 地下牢は寒いですからねぇ」
ティシーの顔立ちはおおむね人間の少女に近い。が、唯一人間離れしているのはその瞳だ。白目がなく、瞳全体が夜の闇のように黒い。その中央で赤色に燃える虹彩だけが、ぎょろりと魔王の目を覗き込んでいた。
「ところで魔王様、人間と魔物の違いをご存知ですか?」
「な、なに……」
「正解は、僕たち魔物には利他の精神がないんです。自己犠牲と言ってもいいですが。全ては自分のため、ですよ。どんなに仲がよく見える魔物であってもそうです。心の底では相手を利用している。もちろん僕も」
魔王にはティシーの言わんとすることが理解できない。だが彼女はお構いなしに続けた。
「しかし人間は違う。誰かのために本気で命を張れる。どんな苦しみを受けても構わないと言う。ちょうどそこの姉妹のように。魔王様にも心当たりがあるのでは?」
「……!」
咄嗟に魔王は目を瞑り、考えを逸らそうとする。だが無駄だった。脳裏に蘇る、自分と同じ顔をした少女の声。
――コノハのことは私が守る。たとえ何があっても。世界が全部敵になっても。
忘れたいのに忘れられないこと。離れたいのに離れられない誰か。
ドクンと心臓が高鳴る。ティシーはそれを動揺の徴としてみとめたらしい。耳元に向け、囁く。
「僕、その自己犠牲で苦しむ人間を見るのがなにより好きなんです。誰かのために命を張って死んでいく――そんな人間の姿はなにより美しいでしょう? だからそこの姉妹はお気に入りなんですよ。イオナは妹のニナのために喉と声を差し出しました。ああ、なんて健気で美しい!」
「サディスト……!」
「そう! でもいいじゃないですか、性癖は生きる糧。さて、魔王様。あなたはそこの姉妹を引き取りたいんですよね? それはまさに利他の心! 私になくて、魔王様にだけあるものですよ! だから、僕からもお願いがあります。どうかそのために苦しんでいただけませんか? 魔王様の美しい自己犠牲を私に見せて欲しいんです! その美しさを見れば、今回の失言諸々とも部下も納得いたしましょう」
正気じゃない。魔王は思わずそう思った。だがこれこそ魔物にとっての正常なのだ。頭では知っていたそのことを、今はじめて心の底から理解した。
「それで私に何をさせるつもりなの」
「そうですねぇ。魔王様は大切なお体、傷つけるわけにはいかない」
しばし考えた挙げ句、ティシーは性悪な笑みを浮かべて、
「僕に一晩抱かれてくれませんか?」
魔王が何かを返す前に、怒声がそこに割って入った。
「ティシー貴様! それ以上の無礼を働けば切って捨てるぞ!」
いつの間にか二人の背後には、鬼の形相のセトが立っていた。素早くティシーは魔王から離れ、へらへらとセトに近づいていく。
「なーんだ、結局僕のコレクションが気になって来てくれたんだ。セトったら素直じゃないな~」
「それ以上近づくな。貴様は血生臭くて耐えられん。斬り殺してしまいそうだ」
「やだなあ、同じ四天王どうし仲良くしようよ……ねぇっ!」
瞬間、ティシーは身をかがめ、セトに向け目にも留まらぬ速さで鉤爪を振り抜いた。鋭い金属質の激突音。いつの間にか抜かれていた漆黒の刃が鉤爪を受け止めた。
「狂った魔物め……」
「ここじゃそれが正常なのさ。郷に入っては郷に従えって言葉知らない? 裏切り者の剣士さん?」
「今ここで剣の錆にしてやる」
「できるものならね! あんたの内蔵が人間と同じ色か確かめてあげるよ!」
二人の声は本気だった。しかし実力は拮抗していた。ぎりぎりと鍔迫あう鉤爪と刃、互いにその位置を譲らない。ティシーの黒目が嗜虐心に見開かれ、逆にセトの瞳は固く閉じられたままだ。
『その辺にしておけ、愚か者共。魔王様の御前じゃ』
またしても苛立ちの混じった声が割って入った。ティシーが勢いよく飛び退き、セトが魔王を守るように側に立ち、恭しく呟く。
「魔女様……」
黒衣に身を包んだ腰の曲がった老婆が、先程ティシーたちの争っていた辺りに立っていた。しかしその半身は薄く透けており、本人がその場にいるわけではないと示していた。
『今しがた、フリアエの一人から報告があった。託宣の通り、勇者がサダムの街に現れたそうじゃ』
セト、ティシーの両名に緊張が走る。魔王もまた息を呑んだ。
「勇者とは、確かなのですか」
『無論。しかし案ずることはない。我々には魔王様がついておる。魔王とは魔を統べるもの――が、それだけではない。勇者を迎え討つもの。それこそが魔王』
魔王が静かに首肯した。それこそが彼女に与えられた使命。左手首にそっと触れつつ、彼女は口を開いた。
「メガイラ。私は上手くやる。今度こそ上手くやってみせる」
『もちろんですとも。そして儂らも顔見せの時じゃ。人間共に希望を与えるわけにはいかぬ。漆黒の軍勢でもって勇者殿を出迎えようぞ』
ティシーが飛び上がって歓声をあげる。
「魔女様! サダムの制圧は僕の翔女部隊に任せてください!」
『また例の病気か、ティシポネ』
「あははぁ、わかっちゃいます? あそこは東西の結節点、ハーフは美形ですから。ああ、素敵だなぁ! きっと美しいコレクションがたくさん手に入る! さあ皆! 次の作戦の準備だよ!」
恍惚の声をあげて地下牢を出ていくティシーを放置して、老婆――魔女メガイラは魔王へ向けて一礼する。
『それでは魔王様、前線でお待ちしております』
そして老婆の姿は霧のようにかき消えた。あとに残る沈黙を、セトが破る。
「魔王様、あれほどティシーにはお気をつけくださいと――」
「ごめんなさい。私、上手くやりたくて。皆が私のこと歓迎してないってわかってるから、少しでも理解したくて……でもダメだった……あの姉妹を見たら思わず言葉が出ちゃって……」
「姉妹?」
セトは地下牢の奥にうずくまる姉妹に気がついた。二人は身を寄せ合い、じっとセトたちのことを見つめていた。
「人間の姉妹ですか……。もしや、あの子たちを助けようと?」
魔王はこくりと首肯した。その目には涙が滲んでいた。セトは溜め息をついて魔王をそっと抱き寄せる。
「ごめんなさい……今の私は魔王なのに……」
「謝るのはおやめなさい。慣れなくて当然です。あなたはつい先日までただの少女だった。私の前でだけは、それを隠さなくてもいい。とにかくその姉妹のことはお任せを。ティシーの手にかからぬよう保護します」
「ありがとう、セト……」
そう言ってセトの胸にすがる姿は魔王とは程遠いものだ。とても殺戮の修羅道を率いる器ではないと、セトは改めて思わされる。
(魔王とは勇者を迎え討つ者……言ってしまえばただ装置にすぎない。腕輪の力を扱えればそれでいい。魔女様はなぜ、この子から理性を奪い去らなかったのだろう。そのほうが兵器としてはよっぽど有用だったはずなのに)
答えはでなかった。
せめて魔王を休ませてやりたかったが、その時間もない。勇者は現れしまった。希望の光は、かき消されなければならないのだ。
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