2-1 魔王様は部下と仲良くなりたいようです。
二頭の死した魔馬に曳かれた荘厳な外装の馬車が、半ば崩れかけの破壊された城門をくぐり抜けていく。
かつては栄華を誇ったのかもしれない街の紋章は痛々しく地に落とされ、代わりに、魔軍の象徴である三つ目の龍を象った旗が幾本も翻っていた。更にその上空を、極彩色の翼を持つ女性型の魔物――翔女が何十体と我が物顔で舞っている
「もウジきデす」
皮膚だけが肥大化した子供のような見た目の御者が呟く。言葉を話す魔物は多いが、そのほとんどは流暢とは言い難い。耳をふさぎたくなるような不快さ。馬車の中、豪奢な椅子に腰掛けた少女が不快げに顔をしかめると、その向かいに座り、鞘に収めた剣を手にした女性が薄く笑った。
「まだ魔物の話し言葉には慣れませんか、魔王様」
瞳が見えないほどに細めた三つの瞳とは裏腹な、柔らかい声だった。少女も少しだけ相好を崩し、訥々とした口調で言葉を紡ぐ。
「私、あなたがいなかったら、とっくに魔王なんて辞めてたかも。向いてないのかな」
「お戯れを。あなた様は腕輪に選ばれた。魔王となるべき器だという何よりの証拠です」
「……そうね。でも、なんで私だったんだろう。セト、あなたのほうがずっと強くて格好いいのに」
「どうぞ自信をお持ちください。世を恐怖で支配せんとする魔王様がそのような弱気では人間共に舐められます。お忘れですか、弱みを見せた相手に対して連中がいかに残酷になるかということを」
「……うん、わかってる。こっちでは私、今度こそ上手くやってみせる」
馬車が緩やかに速度を落とし、豪奢な屋敷の前で停まった。
元はこの街の有力者が使っていたのだろうが、今は荒れ果て、窓ガラスはことごとく打ち砕かれて、完全に魔物の巣と化していた。屋敷を取り巻く長い槍のような柵には、元の持ち主たちと思われる惨めな白骨死体が何体も突き刺さって晒されている。魔王はそれを一瞥し、すぐに興味を失って目をそらした。剣呑な漆黒のマントが風にひるがえる。
「この先です。が、くれぐれもご注意を。ティシーは性根の悪い魔物ですから」
女剣士、セトに促されて魔王は屋敷の奥の部屋に入る。
その中は、それまでとは打って変わって整っていた。鮮やかな真紅の絨毯、上質な木材で作られたシェルフ。そこに飾られた調度品に混じって並ぶ、人間の腕や足。それらの指には輝かしい金や宝石の指輪やアクセサリーがつけられたままだった。
そして部屋の中央では、両腕から翼を生やした魔物が、机に鉤爪のついた足を投げ出し、上質な椅子の上でふんぞり返ったまま人間の腕を貪りかじっていた。
「相変わらずの猟奇趣味だな、ティシー」
セトが呆れたように言う。魔王はそのすぐ後ろで部屋主の猟奇コレクション兼食料を眺めていた。
翼をそなえた魔物が妖艶に微笑む。両腕と足が猛禽のようなことを除けば、彼女は半裸の美少女と言っても差し支えなかった。ちろりと赤い舌がのび、白い頬についた血を舐め取る。
「やっぱり元人間としては心が痛む? 裏切り者の剣士さん?」
「殺し喰らうは自然の摂理だ。否定はしない。ただ悪趣味というだけだ」
「ふうん。ま、この部屋にあるのはもう楽しんだ後のなんだけど。それだけでセンスにケチつけられるのって心外だな~。あ、ねえ魔王様、僕のコレクションを見に来ませんか? 今回の侵攻でたっくさん増えたんですよ!」
ティシーは身を乗り出して瞳を輝かせる。まだらに返り血のついた新緑色のくせ毛の端が、興奮を表すようにぴこぴこと揺れていた。
セトが魔王を庇うように前に出る。
「ティシー、魔王様はお忙しい身だ。おまえのくだらない趣味につきあわすのはやめろ」
「ねえ、僕は今魔王様とお話しているんだけど」
「その時間が余計だというんだ。さっさと戦果の報告をしろ」
「……ッチ。元人間が偉そうに」
険悪な雰囲気に魔王が割って入った。
「ティシー。いいわ、案内して」
「そうこなくっちゃ!」
ティシーの歓声。セトが眉根をしかめる。
「魔王様……」
「わかってる。ありがとう。でも、大丈夫。私は魔王なんだから、皆のことをもっとよく知らなくちゃ」
「ああ、とっても素晴らしいお考えです! だいたい私みたいな雑魚、魔王様がその気になれば一捻りなんだから。セトは魔王様のお力を疑っているのかな?」
そう言われてしまってはセトには返す言葉がなかった。翼を羽ばたかせ、ティシーは瞬きする間に魔王の側に立つ。鉤爪のある猛禽の両手を器用に縮め、魔王の手をはしっと握りしめた。
「ではではご案内~! あ、セトは付いてこないでよ? 僕、あんたのこと全く信用してないから」
ぐいぐいと手を引かれながら、魔王はティシーの後を追う。部屋を出てエントランスの階段を駆け下り、食堂を抜けて木製のみすぼらしい扉の前まで辿り着く。必死に逃げ込もうとしたのだろう、何人かの犠牲者が周囲の壁にしがみつくようにして死んでいた。
扉の奥は薄暗い下り階段が続いていた。魔光石のぼんやりした灯りでは先は覗えない。魔王が足を踏み入れると、ひやりとした空気が彼女の体に絡みついた。
「この先は元の屋敷の主が作らせた秘密の地下室なんです。使用人や不出来な子供を折檻するのに使ってたみたいですね。魔物だったらお友達になれたかもしれませんが……もう食べちゃいました。随分と命乞いされましたねえ。あれで可憐な女の子なら助けてあげてもよかったですが、肥満親父は嫌いなんですよ」
ペラペラと機嫌よく喋るティシーの話を聞くうち、二人はいつの間にか階段の最下部までたどり着いていた。そこは話通りの地下牢で、1ダースほどの牢が廊下の左右に並んでいた。中に閉じ込められた人間はまだ生きているらしい。ティシーが来たのに気がついて哀れな悲鳴がこだました。
「ひいぃいいいい!」「許してください許してください許してください許してください」「お願いします! まだ死にたくないんです!」「いやあああああああ! 魔物に食べられるなんていやあああああああ!」
阿鼻叫喚。ティシーは「どうです? いい音色でしょ?」とでも言うように魔王に向けて微笑んだ。一方の魔王は無表情に犠牲者たちを眺めた。身なりが良い者も悪いものも、大人も子供も混じっていたが、その全ては女性だった。また、全員が頭頂部から狐や狼のような耳を生やしている。この土地、西部の土地では人間は皆そのような耳をしているのだった。
「女の人ばかりね」
「あはは~、気がついちゃいました? ま、人間のオスなんて汚いしうるさいし良いことないですよ。なるべく顔のきれいなのを選んで閉じ込めるんです」
「この連中はこの後どうするの?」
「顔は綺麗ですけど、いかんせんそれだけなので……うーん、飽きるまで眺めて後は部下たちのおやつですかねえ。翔女は大食いですから」
「そう」
騒ぎ立てる人間たちを魔王が睨めつける。哀れな彼女たちは顔を真っ青にして気を失った。魔王の瞳は文字通りの魔眼だ。ある程度の実力がなければ一睨みで昏睡してしまう。
「あれ、お気に召しませんでした?」
「私達の目的は拷問じゃない。でも、あなたのことが少し理解できた。ありがとう。上に戻るわ」
「ええ!? もう行っちゃうんですか!? うーん……あ、そうだ! もう少しだけお付き合いいただけません? 一番奥の牢にとっておきを入れてあるんです!」
にへにへと笑うティシーに促され、魔王は廊下の最奥にまで進んだ。そこはちょうど突き当りで、くすんだ石造りの牢の中に二人の小さな影がうずくまっていた。先程までの犠牲者たちとは違い、ティシーが近づいても騒ぎ立てたりはしない。影のうちの一つが頭をもたげると、暗闇の中でその真紅の両目が輝いて見えた。
「あれは……?」
「街外れで見つけた浮浪者の姉妹ですよ。大きい方がイオナ。ちっちゃい方がニナです。見た目も素晴らしいですが何より……ま、見てもらったほうが早いですね。ほーらイオナちゃん、ご飯の時間だよー!」
ゆっくりとイオナが立ち上がる。着ている服も、伸び放題の真っ白な髪も、全てボロボロだった。とてとてとティシーのもとまで駆け寄ってくるが、ティシーは鳥の脚で少女を蹴り飛ばした。低い呻き声とともに小さな体がバウンドする。
「今のは?」
「これ、基本的な教育です。ご飯に呼んでおいて何度かに一度は思い切り痛めつけるんです。そうするとだんだんご飯の時間が恐ろしくってくる。取りに行ってもまた痛い思いをするんじゃないかって体に刷り込まれちゃうんですよ。だけどどんどんお腹は空く。しかたなく意を決して出てきた人間をまた蹴り飛ばす。いやあ、その瞬間が楽しくて楽しくて……でも、そこのイオナちゃんは偉いんです。なんど痛い目にあってもちゃんとご飯を受け取りに来る。なかなか珍しいんですよ?」
魔王は、よろよろと起き上がる少女の様子をじっと見つめていた。痛みに顔をしかめながら、痛々しい足取りでまたティシーへと近づいてくる。それをまたティシーは容赦なく蹴り飛ばし、けひけひと楽しげに笑った。
「ね?」
それを無視して魔王はイオナへ向けて尋ねる。
「なぜ諦めないの? 痛い思いをするだけとわかっているのに、どうして立ち上がるの?」
イオナは答えない。口を一文字に結び、魔王をきっと睨みつけた。
それにティシーが笑いながら、
「あー無駄ですよ。声帯潰しちゃったので喋れないんです。何かあればニナちゃんの方に聞いてみてください。ほーらニナちゃん、お姉さんとお話しよう?」
奥でうずくまっていたニナが体を震わせると、イオナは目の色を変えて彼女の前に立ちふさがった。ひゅーひゅーという呼吸の音が威嚇のように鳴っている。その背中から響く叫び声。
「お姉ちゃんもうやめて! 私は大丈夫だから! お姉ちゃんが死んじゃうよ!」
しかしイオナはふるふると首をふり、どこうとしない。人を呪い殺せそうなほどの怒りに満ちた真紅の瞳に涙がにじむ。
魔王は僅かに目を細め、手をかざした。
(そう怯えないで。私は、そこの魔物のようにあなたを傷つけるつもりはない)
ぎょっとしたようにイオナが肩をふるわせる。
念話。魔王としての力を持ってすれば些細なことだった。
(ねえ、教えて。なぜ諦めないの? 何があなたをそこまで――)
(ニナのためにきまってるだろ!?)
念話越しの絶叫。念話では嘘をつけない。つまりイオナの魂の叫びに違いなかった。
(ニナは私のたった一人の家族なんだ! ニナのためならどんな目にあったって構わない!)
(なぜ、家族が大事なの? 血はつながっていても所詮は他人。真に理解し合うことなんてできないのに)
(人殺しの魔物にわかるもんか! ニナに指一本でも触れてみろ! 首だけになったっておまえらを噛み殺してやるっっ!)
それが全てということらしい。魔王は念話を終え、ティシーに向き直る。
「一つ、頼みたいことがあるわ」
「魔王様の頼みであればなんなりと! それでどんなご用ですか? イオナちゃんをニナちゃんの前で引き裂いてみますか? それとも姉妹で殺し合いをさせみてますか? あ、それともそれとも――」
「あの姉妹、私が引き取りたい」
ティシーの表情がフリーズする。
「はぁ……?」
力のない声が、地下牢に響いた。
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